49 地主と魔女と幻の存在
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眠りにつく前に、カルヴィナには内側からきちんと鍵を掛けて休めと言い渡してあった。
大魔女の部屋の方には、鍵が付いていたのを確認済みだった。
だからこそ、石屋の娘の提案を呑んだところもある。
いたいけな少女に無体を働く趣味は無い。
それほど女に飢えている覚えも無い。
だが、男という身と性を信用しきっている訳でも無い。
用心はするに越した事は無いのだ。
「獣はこの家に侵入したりしませんよ? それほど心配なようでしたら、地主様こそ、こちらの鍵付きの部屋でお休み下さい」
等と的外れな事を言い出すカルヴィナを、半ば強引に押し込めて鍵を掛けさせてから横になった。
カルヴィナが使っていたであろう寝床だ。
娘のまとう香草と花の香りに包まれている気がする。
それはそれで、どうかという状況だろう。
「きちんと日に当てて手入れをして置きましたから、どうぞご容赦下さい」
知らず渋面になっていたであろう俺に、そう申しわけ無さそうに詫びるカルヴィナに、何と言葉を掛ければ良かったのか。
「気に病む必要は無い」としか言えないまま、俺の世話を焼こうとするカルヴィナに鍵を掛けさせたのだ。
それが最適の方法だったろう。
いつまでも寝床の周りをうろちょろされるよりは、ずっと。
どうでもいいが、寝付ける気がしないのは何故だ。
腹立たしいまでに無防備な、魔女の娘のせいに違いあるまい――。
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寝付けぬまま、どれほどの時が過ぎたのか。
微かに、だが聞きなれた乾いた音がした。
コツ……コツ……。
カルヴィナの突く杖の音だ。
細心の注意を払っているのだろう。
音は微かで、寝入っていたならば気にならないだろう。
気配を殺しながら、慎重に扉を開けた気配がした。
月明かりに誘われるように、カルヴィナは森に向って歩き出しているのを扉の影から窺った。
祭り前の森の気配を感じたい。
月の光は魔女の力になります。
そんなカルヴィナの言葉が蘇る。
ふらふらとした足取りはおぼつかないながらも、楽しそうに見えた。
だからと言って明かりも持たず、単身森の中をふら付くのは感心しない。
気配を殺すのならば、こちらの方が格上だ。
小剣を胸元に忍ばせてから、カルヴィナの後を追った。
すぐさま、いつも寄り添ってくるものの気配と足並みが揃う。
明かりが無いにも関わらず、足元が明るい。
いつもは控えめなはずの月明かりが、ここまで強いのを初めて感じた。
森の木々も力強くざわめきながら、魔女の娘を歓迎しているかのようだ。
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やがて木立が開けた先に、湖があった。
カルヴィナは静かに佇んでいる。
月の光を静かに受け止めている湖面は、魔女の娘の言う力とやらを蓄えているのだろう。
静かでありながら、力強く訴えてくるものがあった。
カルヴィナが何やら古語で呟いている。
よくよく耳を澄ましてみれば、歌を口ずさんでいるようだった。
口ずさみながら、羽織ったショールを置き、衣服を脱ぎ始めていた――。
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カルヴィナが躊躇い無く、生まれたままの姿でつま先を湖に浸した。
そのか細い後姿をただ、呆然と眺めていた。
止めようと思ったのだが、状況に抗えず、何故か身動きが出来なかった。
湖面がざわめき出す。
ただならぬ気配を感じたと同時だった。
大きく月明かりを写した鏡のような湖面がさざなみ、何者かが姿を現した。
「……っ!?」
思わず、声を上げそうになったが堪え飲み込む。
湖面に出で立つという怪異を容易くこなす。
それは「獣」と呼ばれる存在だった。
それが目の前にいるのだ。
神殿に属する獣の存在は知ってはいたが、お目にかかった事は無い。
彼らは気難しく、人よりも遥かに優れた知能を持っている。
それゆえ、縛りつけようとする人という存在を許してはいない。
獣の存在は神秘だ。
いわば幻の存在。
神に近いとまでされるほど。
実際、この獣は神々しいまでの美しさだった。
月光をまとった毛並は白銀に輝きを放っている。
湖底から現れたとしか思えないのに、その毛並は水気をまるで含んでいないようだ。
蹄を持ちながらも、その足元の方は鱗に覆われている。
見かけはやや小ぶりな馬ほどだ。
姿形はしなやかな鹿の足腰に、馬のような頭が乗っている。
その頭のてっぺんには一角を戴いており、それを突き出すかのようにカルヴィナに頭を垂れた。
カルヴィナは慣れた様にその角にそっと、両手を這わせると、そのまま獣の首筋に抱きつき身を寄せる。
獣の方も慣れたもので、そんなカルヴィナに首筋を擦り付けるようにすると、首を振り少女の身を湖へと導いた。
獣も一緒に半身を水に浸す。
物怖じしないカルヴィナに、呆気に取られるしかない光景だった。
小さいと――。
ずいぶんと発育がままならないと嘲っていたはずの、胸の頂から目が離せずにいた。
「あんな少女を相手にするなんて犯罪だろう」
「ああ、そうだともレオナル」
「俺にだって好みはある。それ以前にあれは子供だ」
「そうだとも。君の言うとおりだ」
今となっては、相槌をしきりに打っていた相手の顔が思い出せない。
声すらも。
そこは残念ながら、寄りそう獣の毛並に被さってしまう。
しかしながら、それが緩やかに持ち上げる頂とその境目が月影に妖しく浮かぶのは、何とも扇情的な眺めだった。
息を飲む。
生唾を飲み込むとはこういうことを言うのだろうな、と頭の隅でぼんやりと思った。
くすくすと笑う声さえ扇情的で己の耳を疑った程だ。
カルヴィナが、まるで違う女に見えた。
いつものようにびくびくと怯えた所も無く、心から寛いでいる。
俺ですら、畏怖を抱かずにはいられない存在を前にしているにも関わらず、だ。
そんな彼女に獣も身を委ね、一緒に水浴びを楽しんでいる。
手ですくった水を掛けてやったり、獣の首筋に抱きついて泳いだりと、実に楽しそうだ。
遠目からでも、あんなに楽しそうに笑うカルヴィナは初めて見たと思った。
胸に何かが圧しかかる。
「……。」
パキっと、空気が鋭く爆ぜたような音を立てた。
小枝を踏みこんだらしい。
小さいが確実に音を立ててしまった。
その場から動く気など無かったのだ、全然。
誓って言う。
その場で様子を窺おうと思っていた。
そう。思っていたのだ。
だが気が付けば一歩踏み出していた。
あまりの美しさに一歩を踏み込んだなどとは、認めたくはないが事実だろう。
そのささやかな音に気が付いたのは獣の耳だけで、カルヴィナはその獣の様子に初めて緊迫したようだった。
そっとその裸体を獣に寄せる。
獣は慈しむように、鼻先でカルヴィナの唇に程近い頬を突いた。
少女は安心しきったように、獣に腕を回して身をすり寄せていた。
それを見た瞬間、どうしようもないくらい熱い気持ちが身体を駆け抜けていた。
月が雲に隠れたのだろう。
辺りは再び闇一色と成った。
そんな中でも獣の瞳だけが爛々と輝きを放ちながら、こちらを見据えていた。
まるで満月のような煌々とした光に射抜かれる。
もちろん逸らさず挑んだが、その側で淡く光を放つ白さ際立つ肌に、目が行ってしまうのは男の性だろうか。
そちらに目を奪われている合間に、月が再び姿を現した。
湖に映りこむ月光を浴びながらの水浴びをする少女と獣――。
どこからどう見ても、この世のものとは思われぬ程の美しさだった。
やがて獣は一鳴きすると、少女の頬をぺろりと舐めた。
その肉厚の舌に頬を舐められて少女の首が大きく傾ぐ。
そのまま襲われてしまいそうな風景に、堪らず身を乗り出していたのも事実だ。
そんな俺に一瞥くれると、水しぶきと共に獣は姿を消した。
強く吹いた風も凪ぎ、圧倒的な存在感が消え、静寂が舞い戻る。
そんな中、置いていかれたかのように、カルヴィナは湖面を見つめて佇んでいた。
瞳はあの強烈な存在を追い求めて、他の何も求めていないのは明らかだ。
その事でより一層、胸に何かが加わる。
それに煽られるまま、命ずるような言葉を発していた。
「カルヴィナ!」
大声で名を呼ぶ。
カルヴィナの肩が跳ね上がり、我に返ったような目つきで、やっとこちらを見た。
「おまえはそんな格好で……冷えるだろう。こちらに来い」
カルヴィナは今やっと、自分があられもない格好なのだと思い出したらしく、弱々しく首を横に振りながら身を沈める。
「来い! 早く!」
「あ、の。すぐ、上がりますから、向こうへ行って」
下さい、と言いながら水に中に身体を沈ませてしまう。
「カルヴィナ」
気が付けば自分も湖に入っていた。
『魔女っこ、お祭りの前の晩に水浴び~R15!』
だから何この仮タイトル。
R15! にしては全然ぬるくてすみません。
さあ、レオナルはこのまま理性は保てるでしょうか。
やっとこさ獣が出せて満足です。