44 大地主と村の子供たち
「よぉ」
今日はいつもより、早い時間に迎えに来れた。
まだ日暮れまでには充分時間がある。
うららかな昼下がり。
魔女の家の扉を開けると、そこには村長の息子――名は確か、ジェス青年が居た。
俺を見ると、やる気の無さそうな声が掛かった。
椅子に腰下ろし、身体を前に折りこむ様にして、何やら手作業をしている。
随分と椅子が小さく、窮屈そうに見える。
この青年がいるというだけでかさ張って、魔女の家が手狭に思えた。
扉の取っ手に手を掛けて、押し開けた格好のまま踏み込まず、固まった俺にジェスがため息を付く。
「カ……。」
カルヴィナはどうした、と口を開きかけた途端、青年が人差し指を己の口元に立てて見せた。
そのまま指先で流れるように、部屋の奥の扉を示した。
「……。」
さらに村長のせがれは黙ったまま、顎をしゃくる。
俺の訝しげな視線を一瞬受け止めてから、肩をすくめると、再び手元の作業に戻った。
何なのだ。
何やら癪に障ったが促がされるまま、そっと奥の部屋に近付く。
扉は薄く開かれている。
慎重に覗き込むと、そこには二人の娘が仲良く眠り込んでいた。
射しこむ午後の陽射しを受けて、黒い髪と金の髪がつややかに輝いている。
最初に湧き上がったのは怒りだった。
それも無邪気に眠る娘二人を前にしている内、脱力に変わって行った。
闇色を授かった娘は光の祝福を一身に受けて、微笑んでいるようにも見えた。
気持ち良さそうに眠っている二人は、赤ん坊だった頃の姪を思い起こさせる。
陽射しをやわらかく受け止めて、頬や唇のまろやかさが浮かび上がって見える。
そうだ。
あれはまだ幼さの残る少女だったのだと思い出して、視線を外す。
靴も脱がずに、寝床には足先を出して横たわっているのには、思わずため息が漏れた。
そう高さも無い寝床は、老体であった大魔女の寝床だったのか。
足の充分上がらない娘のものか。
二人とも、やや突っ伏すように眠り込んでいる。
その手元には作りかけの腕輪やら、色石やらリボンやらが握られたままだ。
大方、ここの所の作業の疲れが出て、眠ってしまったのだろうと察しは付く。
だが少々違和感を覚えた。
寝床から少し離れた所に、空のカップが二つ盆に置かれていた。
その側には果実らしきものを漬け込んだらしい、瓶が見えた。
『どうぞ、地主様。じき、祭りも近いからね。魔女特製の果実酒を振舞うよ』
見覚えある瓶に、かつての大魔女の言葉が蘇る。
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「くたびれたんだろうな。眠っちまってさ。もう少し、休ませてやってくれよ」
「眠り込んだのは、くたびれたせいだけか?」
俺の責めるような口調に、諦めたように青年は認めた。
「まあ、酒が効いたんだろうなっていうのもある」
「何故、止めない」
「止めるも何も。来てみたら味見とやらは始まっていたのさ。うん、良い出来だったよ。祭りが楽しみだな」
「……。」
「叱るんだったら、言い出してせがんだミルアを叱れ。あいつは全く。エイメが戻ってきて嬉しいのは解るが、はしゃいで引っ張りまわし過ぎだ」
そこに責めるような響きは無かった。
ただ、出来るものならな、という含みは感じた。
「いいや。両方を叱る」
「厳しいな、地主サマは」
「女子供が酒に呑まれて、無防備に男の前で眠り込んでいるのだからな。――説教だ」
「そこら辺は同感だな。でも、まあ、程ほどにしてやってくれ。それより、アンタも手伝ってくれ」
「何故だ」
即座に切り捨てるように答えた。
何で俺がというよりも、何故オマエと差し向かいで作業せねばならないのかという不満だ。
「あいつらはもう少し寝かせてやらないとな。酒が抜け切らないうちに説教は無駄骨だぜ。だから放置だ。ま、日が陰って来たら、自然と目を覚ますだろ。それまで暇だろう、地主サマ?」
「暇ではない」
「祭りに参加するんだろう? だったら準備にも参加してくれないとなー」
それが自然と言わんばかりの滑らかさで、匙を差し出された。
何となく受け取ってしまう。
また顎でしゃくられ、椅子に腰掛けた。
テーブルの籠に山と盛られたクルミがあった。
それらは全部、からが割られてある。
あとはこうやってかき出すだけのようだ。
「ちまちまと地味で単調な作業だよな。でも以外に手間がかかって、人手は一人でも多い方が助かる」
匙はすくい口の方ではなく、鋭くなっている持ち柄の方を使ってかき出す。
「確かに」
「文句を言わずに噂話やら、色恋話やらを口にしながら、こういう作業をする女どもをオレは尊敬する」
「……。」
確かにそうだ。
こうやって男同士が向かい合って作業をしてみても、つらつらと文句を言うか、押し黙るしかなかろう。
黙った後に流れる殺伐とした雰囲気を避けたくなり、一方だけがしゃべり続けるか。
「味見は五個分までは許す」
青年の不自然な手元のからの山に視線をやれば、そのような許可が出た。
それが手伝いの報酬のつもりならば、とんでもない賃金の低さだろう。
特には欲しくは無いので、首を横に振って見せる。
クルミの実のあぶらがじわりと指先をぬめらせるものだと、初めて知った。
それだけで充分だと思った。
「……。」
「……。」
カラン、カタン、カラン。
しばらく沈黙の中、からのぶつかる乾いた音だけが部屋に満ちる。
「なあ、地主サマ」
「何だ」
軽い口調は変わらなかったが、幾ばくかの緊張を含んで聞こえた。
「オレたちは償いたいんだよ。エイメを仲間はずれにして、祭りにこれないようにしちまった。年頃の娘にそりゃあ酷な事をしでかしたんだ。頼むよ」
「何をだ?」
「祭り前の数日間くらい、エイメを森に置いてやってくれ」
「断る」
「あんた将来、頭の固い頑固オヤジになるぜ」
手を止め、俺をじろりと睨む青年を静かに見返す。
「準備も含めて祭りなんだよ。年頃の娘の楽しみを、あんまり邪魔するな。あんた、過保護すぎるぜ」
「何とでも言え」
誰が狼の言葉を真に受けるか。
そんな思いを眼差しに込める。
殺伐とした空気が、一触即発といった空気に変わる。
その時だった。
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トントントン、と軽やかに扉を叩く音があった。
トン・トン・トン。
トン・トン・トン。
「魔女っーこ! 居ますかー!」
「えいめ、いるでしょー」
「あけてくださぁい! 魔女っーこ」
引っ切り無しに扉を叩きながら、幼い声が呼びかけてくる。
「うっわ。うるせえのが来たな」
匙を放り出して、村長のせがれは後ろ頭を掻き毟った。
「しつこいから居留守は無駄だと思う。開けるしかないぜ、地主サマ」
「何だ? 子供か」
「ああ」
心底諦めきった様子で、青年が扉を開けると幼い子供が三人立っていた。
「居たー!」
「ジェスじゃなくて、魔女っこはぁ?」
「魔女っーこ、おまじない、してー!」
ころころと無邪気になだれ込んできた、好奇心に満ちた瞳が一瞬で固まった。
「「「……!!」」」
見知らぬ俺を見て、恐怖を覚えたのだろう。
騒ぎ立てていた子供たちの動きも口も、ぴたりと止まった。
「おまえたち、大地主サマにちゃんとご挨拶しろよ!」
「えっと、はじめまして。おおじぬしさま。魔女っこに用があってきました」
「きました」
「えいめは?」
その中でも一番年長と思われる、男子が思い切ったように声を上げた。
その背に隠れるようにしていた女子二人も続く。
三人とも明るい茶色の巻き髪が、お揃いに被った頭巾から覗いていた。
深みのある緑の瞳も揃っているから、恐らく兄妹なのだろう。
「ああ。使いに来たのか? 賢いな、おまえたち」
屈んで視線を合わせて褒めてやると、それまで張り詰めていた空気が少し和んだ。
「お母さんが、魔女っこに、これをおすそ分けしてって」
「パンなの。焼きたてよ。おおじぬしさまもどうぞ。でも、ジェスにはあーげない!」
誇らしげに籠を差し出してから、一転。
籠を胸に寄せて抱え込むようにして、幼女はジェスに背を向けた。
「ひでーな!」
苦笑しながらジェスが、わざと脅かすように両手を振り上げた。
「きゃー!」
「きゃあ、わるものー! わるものが来たから追い払って、魔女っーこ」
「ジェス、わるもの役やるもんね、ぴったりだよ! きゃあ、早くー助けて~魔女っこ」
「こら! 誰が悪者だ! カミサマ役の間違いだろう」
青年は子供たちの、期待どおりの動きをして見せたのだろう。
きゃわきゃわとはしゃぎ声を上げながら、部屋中を駆け回り、奥の部屋へと突進して行った。
躊躇い無く扉を開け放つと、うたた寝している娘二人を見つけて歓声を上げる。
「魔女っこ、いたー! おひるねー?」
「おきて、おまじない、して」
「ミルアもいるー! わたしもおひるね、いっしょにする!」
口々に好き勝手な事を言いながら、騒ぎに目を覚ましたカルヴィナにまとわり付く。
カルヴィナは眠そうに目をこすりながらも、ころころとじゃれ付く子供たちに微笑んだ。
「どうしたの? わるものが来たって、ほんとう?」
まだ半分以上、夢の中と思わせる眼差しの焦点はまだ曖昧だった。
抱きつく子供たちを受け止めながら尋ねる声も、おぼつかず掠れている。
「きたのー! だから魔法をかけて」
「わるいものにさらわれないように、おまじないしてもらって来なさいって、お母さんから言われてきたの」
カルヴィナの両腕で抱えきれない女子を、金の髪の娘が背後から抱きかかえた。
「うるさいから、攫います」
「きゃー! ミルア離して!」
「うるさいです。大人しくねんねしなさい」
こちらも寝ぼけているのだろう。
言うなり抱えたまま、勢い良く寝転がった。
「ぐー」
「もー! ミルアは寝たフリでしょ!」
そう騒ぐ横でカルヴィナは抱えた幼子二人に「早く、早く! おまじないして!」とせがまれていた。
「はいはい、一人づつだよ――」
そうあやしながら、子供達の額の真ん中に唇を押し当てながら、何やら古語で呟いてやる。
きゃあ! と嬉しげに声を上げて、お返しにと同じように唇を押し当てては笑う。
最後に、金の髪の娘の腕から抜け出した幼女が、カルヴィナに言った。
「魔女っこ、おおじぬしさまにも、おまじないしてあげて!」
その無邪気な発言で、初めて俺の存在に気が付いたらしい。
そろそろと視線を上げると俺を見て、カルヴィナの動きが止まった。
『ジェス、頼み込む。』
頑固オヤジ宣告。
うむ、違いない。
ちびっこ達は書いていて楽しかったです。
みんな魔女っこが珍しくてまとわり付いて、懐いています。
遊んでくれるジェスやミルアも好き。
子供なりに、地主サマには気を使ってみたようです。