39 魔女の紹介する森の彼と地主
地主様が、もう少し森の中を行って下さると仰った。
彼の気が変わる前にと、大急ぎで頷く。
一体どういった風の吹き回しだろう。
正直そう思ったが、この際どうでもいいかとも思った。
久しぶり「森のあの方」にお会いできるのならば。
地主様もきっと彼を一目見たら、驚きに目を瞠ると思うのだ。
そして、その大らかさと威厳に魅せられるに違いない。
「あちらに……。何だと?」
乗り出す私を抱えたまま、地主様の動きが止まった。
「森の彼でございます、地主様。このまま、まっすぐ行かれてみてください」
そう案内する。
なのに、地主様は私の指し示した方向から馬を一回りさせ、背を向けてしまった。
視界が、望む方向から引き剥がされてしまう。
「地主様? どうかなさいましたか?」
「……。」
恐るおそる問い掛けたが、地主様は押し黙ったままだ。
やはり気が変わられたのだろうか。
未練がましく身を捩って、振り返って見やる。
駄目なら、最初から期待などさせないで欲しい。
がっかりしてうな垂れていると、また、ゆっくりと馬が一回りした。
ブ・ルルルルル―――!
いななき鼻を鳴らし、不満そうに歯をむき出しにして、耳を後ろに伏せている。
「どう、どう。馬が怯えている。あちらには何があるという、カルヴィナ?」
いやいやするように首を打ち振る馬を宥めながら、地主様が渋い表情で尋ねてきた。
「怯える。では、行かれませんね」
「まさか、危険なのではあるまいな?」
「いいえ、危険なんてありません。でも、少し近寄り難いかもしれません。私も常々そう感じておりましたから」
「そうか。ならば行ってみるとするか」
「はい!」
嬉しくなって、元気良く返事をした。
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そのまま進んでゆくと木立が途切れ、急に視界がひらける。
場の空気が変わる。
目の前に、広がるのは背の高い草の原っぱだ。
その先に在るのが、堂々とした「森の彼」だ。
地主様が息を飲む。
「森にこんな場所が在ったのか? 今まで何度も森を訪れているが、目にするのは初めてだ」
「はい。私も森の彼のお使いが側に居てくれる時でないと、これません」
使い? と地主様は呟いた後、今も森の影から見守っているであろう、視線の方をちらと見やった。
地主様は全て察しておられるのだ。
私はただ黙って、神妙に頷く。
「あれはオークの樹だな」
「はい。彼こそが森の王様です。おばあちゃんは、いつもそう言っていました」
「そうやって巨樹を擬人化して扱うのが、魔女の流儀なのか? 随分と紛らわしい」
「流儀かどうかは分かりませんが、おばあちゃんはそうやって彼に敬意を表していました。彼は特別、ですから」
ひっそりと地主様が頷いて、彼を仰ぎ見上げた。
私も同じように見上げる。
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「彼」は他の樹木からひとり離れて、こうしてそびえ立っている。
樹齢は、わからない。
でもきっと、この森が出来た最初から、彼はこの場所に在ったと思う。
少し遠巻きにしながら、地主様と話した。
でもきっと「彼」には届いている事だろう。
風が吹き抜けて、彼の梢を揺らしているのがその証拠だ。
寄りそう地主様はやはり、森の彼の気配にちかいものがあった。
そうじんわりと確信する。
少し、近寄り難く感じてしまう所なんかも、そっくりだ。
いつも抱きつく彼から伝わる、安心感に身を任せているうちに、心も落ち着いて行く。
それと同時に、何故か心はざわめき出す。
風に揺れる木立のように。
そんなところも、そっくりだと思う。
慎重に馬を近づけてから、地主様が口を開いた。
「降りてみるか?」
「よろしいのですか?」
「構わない」
そう答えながら、すぐに地主様は馬から降りていた。
いつもの事ながら、素早い身のこなしだ。
両手を差し出され、その腕に縋る。
この高さから身を投げ出す感じが少し苦手だ。
いつまでたってもなかなか慣れない。
それでも飛び込むようにして、降りるのだ。
大げさかもしれないが、なかなか覚悟がいる。
それが表情に表れているらしく、地主様には少し笑われてしまう。
もっとも、そう気が付いたのは最近だ。
それまでは、そんな事を感じる余裕も無かった。
それから二人で黙って「彼」を見上げた。
私が見上げても、彼のてっぺんまでを仰ぎ見る事はかなわない。
恐らく、地主様ほど背のある方であっても無理だろう。
天に一番近い所に樹冠があるなんて、何と彼らしい事か!
幹は両手を回してみても、とうてい回しきれない。
幹は太く力強く天に伸び、おおらかに全ての生き物たちに腕を差し伸べているかのようだ。
その立ち姿はいつ見ても堂々としていて、正に王の威厳を備えていると感心してしまう。
こうして目の前に立つなんて、本当は恐れ多い気もする。
だが彼は親しみやすく、誰からも頼られる存在だ。
その懐には小鳥やリスのような、小さな動物たちが集ってくる。
根っこの部分も太く張り出し、大地にしっかりと根ざしているのが分かる。
その姿に、彼は何者にもなぎ倒される事が無いと安心させてくれる。
だから、自然と膝を少し折って頭を下げた。
王を敬う礼を表すように。
地主様も黙って同じように胸に手を当てて、頭を下げた。
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小鳥たちが鳴き交わしながら、枝にやってきて羽根を休めた。
翠と藍色で出来た羽根に、瞳はさながら黒曜石の生きた宝石、シュリトゥーゼル達だった。
きっと伝言を頼んだコたちだ。
手をそっと振ってみる。
ありがとうという気持ちを込めて。
ピィィ―――ロ・ロゥ!
それに答えるかのように、鳴き声が返った。
「シュリトゥーゼルか。まさか、あの時の小鳥か?」
「はい。おそらく」
「ならば、俺が側にあっては降りて来ないだろうな」
「そうでしょうか?」
「驚かせたからな。繊細な小鳥だ。用心するだろう」
小鳥たちを見上げながら、地主様が静かに言い切った。
そこに、いくばくかの後悔が滲み出ているように感じた。
「きっと、もう忘れたと思います」
そろそろと「彼」に近付いて身を寄せてから、手を差し伸べてみた。
一瞬の間の後、一羽が舞い降りてくれた。
一羽が降りたのを見て、安心したのだろう。
いつものように、次々と舞い降りて来てくれた。
肩に腕に頭にと、くすぐったい微かな重みが加わる。
「ね、大丈夫でしたでしょう?」
小鳥たちに集られながら、地主様に得意げに言ってみた。
地主様は、じっとこちらを見つめていた。
呼びかけても、何の反応も無かった。
急にどうしたのだろう?
ついはしゃぎすぎて、馴れ馴れしくしすぎたせいだろうかと心配になった。
「地主さ、ま……?」
もう一度、声をかけたその時だった。
何かが視界を掠めた。
それは空から降って来て、地主様の足元に落ちた。
「何だ……? オークの実か」
そう言って地主様が見上げたのを合図に、また、ひとつ、ふたつと落ちた。
それは止むことなく、勢いを増して行く。
ぱらぱら、ぱらぱらっと、乾いた音が響く。
何と! 地主様の周りにだけ、オークの木の実が降ってきている。
ぱらぱら、ぱらぱらと彼の上にだけ。
「すごいですね! 地主様にだけ、降っていますよ」
ぱら、ぱら、ぱらとそれは淀みなく続いた。
こんな事は初めてだ。
「地味に痛いな」
羨ましくなって地主様に近付いた。
とたんにオークの実の雨は止んでしまった。
「どうやら俺は、あまり歓迎されていないようだな」
「え? その逆ではないのですか? 地主様にだけ、オークの恵みが落ちてきたのですよ」
どうして地主様は喜ばないのだろうか?
私だったら、すごく嬉しく思うのに。
慎重に腰を落として、落ちてきた実を拾い上げた。
つるつるして、ピカピカしている。
その小さくまろやかな実をつまみ上げ、心持ち目線よりも高く掲げて、木漏れ日にかざす。
うっとりとその美しさに見入っていると、地主様と目が合った。
そこで発見した。
「地主様の御髪の色とおそろいですね!」
深みのある茶色だが光沢があり、このように日の光によっては、もっと明るくも見えるし、深くも見える。
ジルナ様やリディアンナ様、ギル様ともおそろいだ。
嬉しくなって、つい声を上げてしまった。
「少しお土産に拾って帰りませんか?」
そう誘ってみてから、こんな事は子供っぽいと馬鹿にされるかと思った。
だが意外にも地主様は黙って頷くと、一緒にオークの実を拾ってくれた。
『森の彼を紹介します。』
仮タイトルでした。わかりやすい。
★ おまけ ★
地主の愛馬のぼやきです。
ブ・ルルルルルルル――――!
(※ 行きたくない理由を アッシのせいにしないでおくんなせぇ 旦那!)