38 地主と魔女の言う森の彼
今日は神殿勤めがあったので、迎えがいつもより遅れたなと感じた。
まだ日は昇っているが、傾き始めている。
森の中とあってはなお更、陽射しは木立に遮られる。
幸い天気は良い。
少々急げば、日が落ちきるまでには館に戻れるだろう。
そんな事を思いながら、馬を繋ぐ。
こちらが向う前に、魔女の家の扉が開いた。
愛馬のいななきが先触れとなったのだろう。
カルヴィナが村娘に手を引かれながら、こちらに歩いてくる。
娘二人はじゃれあうように笑っていた。
金の髪の娘が、黒髪の娘に何やら耳打ちしている。
実に分かりやすい、内緒話の最中のようだ。
カルヴィナはいつもの困惑顔で、金の髪の娘の話に小さく答えている。
聞き耳を立てる気はないのだが、だいたい聞こえてくる。
たいていが、俺の事をカルヴィナに尋ねている。
カルヴィナは、それに困惑しているのだろう。
それでも、律儀に答えてやっている。
しかし大概、何かを期待している金の髪の娘の思惑からは、外れた事を言っているのは予想が付いた。
(本人を目の前にして噂話か。いい度胸だ)
あまり居心地の良いものではないが、さりとて別段、咎めるほどでもない。
よって、そ知らぬ顔でやり過ごす事にしている。
女の話に口を挟まない。
それは俺が姉との日々で学んだ事である。
「お疲れ様でございます、大地主様」
ミルアという威勢のいい娘が、しおらしく頭を下げてきた。
その様子からは、どこにも悪びれたところが見受けられなかった。
聞かれていないとでも、思っているのだろうか?
無邪気なものだなと思う。
「ああ、ご苦労。準備は進んでいるか?」
「はい。何とか、間に合いそうです。エイメが来てくれて、とても助かっております。魔女の知恵は森を生きる知恵でございますから」
こちらを見上げて、にっこりと笑って見せた。
心の底から楽しんでいるような、自信に満ち溢れた笑みだった。
それに背を向け、いつものようにカルヴィナを抱えあげて、馬に乗せる。
そうして自分も跨った。
体勢を落ち着けて、馬上から見下ろす。
「今日もありがとう、エイメ。また明日ね!」
「うん、ありがとうね。また明日ね、ミルア」
このミルアという娘も、いかに淑やかに振舞っていても、何故かしらそうは見えない。
黙っていても自身の存在を主張してくるのは、生まれながらのものと、生い立ちからのものだろうと思う。
同じような性質の姉や姪が浮かぶ。
そんな事に思考を飛ばしていると、ミルアが声を掛けてきた。
「ところで地主様」
「何だ?」
「毎日、エイメを送り届けるのはご負担ですか?」
「問題ない。何故、そのような事を訊く?」
「エイメが地主様にご迷惑ではないかと、気に病んでおりますので」
「……ミルア」
カルヴィナは、苦々しく娘の名を呼んだ。
そこには何て事を言いだすのだ、という想いがありありと込められている。
それに堪えた様子も無く、ミルアは続けた。
「お忙しい地主様を煩わせるのは、気が引けます。もし、なんでしたら、こちらから迎えに行きますし、送り届けます」
「……オマエがか?」
「いいえ。村の誰かに頼みます。きっと厭わず、喜んで引き受けてくれる事でしょう」
にんまりと笑う娘に、過剰に反応を示さないように、あくまで落ち着いて答えた。
「必要ないし、問題ない」
「はい。承知いたしました、地主様。だってよ、エイメ?」
「……。」
カルヴィナは居心地悪そうに、身を竦めた。
「おまえは変に気を回しすぎだ。気に病まずともよい。わかったな?」
そう確認すると、おずおずと首を縦に振った。
今朝方のやり取りを、カルヴィナはずっと気に病んでいたらしいと判断する。
なんて事だ。
どうにも説明付かない想いが、胸を責め広げて占拠して行く―――。
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「今日は乾燥させた香草を、枝、葉っぱ、花に選り分けました」
そう報告するカルヴィナの髪から、ほのかに甘い香りが漂う。
この娘自体が甘い芳香を放っているようだ。
この森の木々の合間を吹き抜ける、清涼感のある香りとは異なる。
カルヴィナ自体がその香る花だ。
魔女の家を後にして、森の木立の中を進むと、いつもの気配が寄り添ってきた。
姿は見えない。
だが、こちらの様子を窺いながら、付かず離れずで追ってくる。
初めて一緒に森に入ってから、それはずっと続いている。
森を抜けると気配は追いかけては来ないが、視線だけは追いすがるように感じる。
おそらく森に住まう獣か何かの類なのだろう。
カルヴィナに懐いているが、俺に用心して、けっして姿を現さない。
カルヴィナも答える気はないらしく、いつも困ったように微笑むだけだ。
「もう少し森の中を行ってみるか?」
軽い気持ちでそう提案した。
「はい!」
カルヴィナがいつになく積極的に、力強く頷いた。
とてつもなく嬉しそうに、瞳を輝かせてこちらを見上げてくる。
血の気の薄い頬に赤味が差していく。
何だ、この程度の事でこの娘は喜ぶのか、という想いもよぎる。
「どこか行きたい所はあるか?」
「えっと、あちらの方に行きたいです、地主様」
身を乗り出し、あちらですと指差す。
「こら。落ち着け、危ないだろう」
「はい、地主様」
苦笑しつつ、華奢な胴回りを抱え直す。
とたん腕に、娘らしい柔らかさが掠める。
どんなに発育が未熟であろうとも、年頃の娘なのだ。
女という身がまとうやわらかさは、明らかに男ではありえないものだ。
それなのに、この娘ときたら。
こちらがあきれ果てるほど、無防備なままだ。
俺に対して、いつも警戒心露わだが、着目点が違う気がしてならない。
カルヴィナの怯える点。
それは俺の機嫌の良し悪しだ。
それによって、怒鳴られたり、睨みつけられると怯えている。
その点は俺が悪い。
だが、他の視点からの心配はいっさい、していないのが伝わってくる。
男として嬉しいような、哀しいような、複雑な気分に陥る。
年若すぎるカルヴィナに、男の目線がどうあるかなど、思いもよらないのだろう。
そうでなければ、いくらなんでもそろそろ、俺の手元がおかしいと気付き始めるはずだと思う。
あらためて、大魔女の教育の程を問い質したくもなる。
しかしまあ、この娘に警戒心を期待する方が、無駄というものだとも悟っている。
彼女は大魔女の娘。
森に、魔女の知恵に守られて、大切に保護されてきた娘―――。
だからこそ、その無防備さに付け込む存在に、過敏に反応してしまう己にも気が付いてはいる。
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「あちらに何があるのだ?」
「えっと。地主様にもご紹介いたします」
「何?」
「森の、あの方を」
カルヴィナがはにかみながら、夢見るような口調で答えた。
ピィィィィ――――― ……。
何故か小鳥のさえずりが、やたらと遠くに感じた。
『かわいいという言葉を使わずに表現せよ。』
自らに課した指令です。
ふぬぬぬぬぬぅ~。
伝わっていると、良いのですが。
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