34 魔女と地主と村娘
ウォン! ウォン! ウォン!
聞き覚えのあるコの吠え方だった。
きっとあの薄茶色の毛並のコだと思う。
あの猟犬は構って欲しがってやたらと吠えるから、一番苦手だった。
でもその割に気質は大人しい。注意を向けてやれば、それだけでお利口になる。
それよりも吠えないくせに、いつの間にかスカートの裾を咥えて離さないクロブチのコの方が始末に終えない。
撫でてやるまでけっして、けっして! 離さないのだ。
二頭は地主様に良く懐いていた。
だからといって私には懐かなくていい。
犬は吠えるから怖いとうっかり漏らした翌日、犬小屋へと案内された。
否。強制的に連行されたのだ。
何の責め苦かと本気で泣いて怯えて、地主様に抱きかかえるというより拘束された。
恥も外聞もこの時ばかりは吹き飛んで、必死にしがみ付いた。
恐慌状態に陥って、五匹の犬に負けないくらい大声を出したように思う。
それも大きな胸に受け止められたといえるかもしれないが、自分では制御出来ない震えが来てそれどころじゃなかった。
『怯えるな。慣れろ。この犬たちはオマエの味方になる。主人の一人として毅然として振舞え』
冗談じゃない。絶対に無理だ。
何を言い出すのだこのお方は、と思ったが口に出来なかった。
『おまえたち。この娘に無礼を働かないように。これは大魔女の娘だ。唸ったら拳骨で、吠え立てれば鞭をやろう。噛み付いたら永久追放だ』
等と地主様が余計な事を言うから、いけないのだ。
あのコ達の内、何匹かは私の事も気を使うようになった。
気のせいなんかじゃない。
言葉を持たない動物たちの方がずっと素直に感情をぶつけてくる。
怖いくらい、真っ直ぐに。
だから私の犬がコワイっていう気持ちも見透かされていると思う。
そこがやっぱり、怖いと思ってしまうのだ。
地主様は毎日、私を必ず犬に会わせる様になった。
時には餌を与えるよう指示したり、毛並を撫でてやれと世話をさせる。
何か考えがあっての事なのだろうが、あんまり理解はしたくない。
・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・
犬の鳴き声が聞こえてくるという事は、エルさんが戻ってきたという事だ。
良かった。これで少しはマシになる事を期待する。
コンコン、と扉が叩かれた。
扉はすでに薄く開いており、そんな風に気を使う所がエルさんだと思ったら、ひょいと覗き込んだのは金の髪の女の子だった。
「エイメリィ様にお会いしたいと仰るので、お連れしました」
さらりとエルさんは言った。
「私もお邪魔して、大丈夫かな?」
びっくりしながらも、こくこくと頷く。
足取り軽やかに彼女が私たちに近付くと、部屋の雰囲気がガラッと代わった。
「あ! こら~! また、このコいじめて泣かせたの……は、誰かしらね?」
「うるせぇのが来た」
「よし。オマエだな、ジェス。エイメを泣かせたのは。そこに直りな?」
軽やかな足取りの主は躊躇うことなく、自分よりも随分高くにある胸倉を取った。
いつかもどこかで見た光景である。
この自分と年のあまり変わらない少女にも、見覚えがあった。
たまに村で絡まれてしまうと、いつでも駆けつけて来てくれた恩人の顔を忘れる訳が無い。
明るい蜂蜜色の髪が眩しくって、それに負けない笑顔を私にも向けてくれた。
彼女はそのたおやかな見た目に関わらず、なかなかの度胸の持ち主だと常々思っていた。
でなければ、魔女の娘にそうそう関わろうとしないはずだ。しかも愛想よく。
それでも勢いに飲まれて、ぽかんとしてしまった。
地主様から知り合いかと、尋ねられてようやく我に返ったくらいだ。
「ミルア。ミルルーア・シュゼット」
彼女の名前を呼んだ。
澄んだ青空色の瞳が真っ直ぐに私を見つめると、困ったように笑いかけた。
真っ白の歯が、ツヤツヤの唇からこぼれるように覗く。
飛び切りに可愛らしい。
これに参ってしまわない人なんていないだろう。
「お久しぶり、エイメ。急にいなくなったから心配したよ。でも、元気そうで良かった」
どうやらその言葉に偽りは無いらしい。
胸倉を掴んでいた手を離して、私に向って両手を広げた。
それくらい熱心に両手を握り締められて、苦しいくらに抱きつかれたのだ。
「あ、ありがとう」
どうにか、そう答えるのが精一杯だった。
「何を怒っていたのか分からないけれど、随分と良い調子だったわね」
「そ、そう?」
聞いていたの? とこっそり尋ねる。
「そうそう!」
聞こえちゃったのよと、悪びれる様子も無く囁かれた。
「生きているって感じがした」
そうイタズラっぽく言われて、安心したよ、と笑われた。
いったい何時から聞かれていたのだろう。
ミルアの言葉から察するに、だいぶ前からだろう。
恥ずかしくって顔が火照った。
ミルアは「あはは!」と笑い出す。
段々と忍び笑いが堪え切れなくなって行くらしいその様子に、首を傾げるより他に無い。
「ううん。いい気味っていうか小気味良いなと思わない?」
男ってしょうがないわね、って思わない?
そう、ごくごく小さく付け足された。
……何の事かわからない。
・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・
「私たちブレンダニィの村人は困っているのです、地主様」
ミルアが地主様と聞いていくらか態度を改めた。
まさか大地主様が、こんな所に足を運ぶとは思っていなかったらしい。
ロウニア家にお仕えの人が付き添って来たのだろう、くらいにしか。
最初は驚きも露わに目をまん丸にして地主様を見て、私を見た。
大 地 主 様 ご 本 人 ! ?
眼差しが雄弁にそう語っていた。
それでもしばらくすると落ち着きを取り戻し、やはり彼女らしく物怖じしない。
「聞こう」
ありがとうございます、と頭を下げてからミルアは切り出した。
「村はもうじき収穫を祝い、森への感謝を捧げる祭りを迎えます。それなのに森には魔女が不在なのです」
「ああ」
「祭事に必要とされる香草や薬草や蝋燭に、仕上げの呪文。その他もろもろに必要な森の知恵や、お祭りの時に捧げる祈りの言葉を教えてくれる者が、今は不在です」
「おまえ達だけでは、準備がままならないと言うのか?」
「その通りですわ、地主様。できるのはある程度であって、完璧ではありません。祭りまであと十日を切りました」
真剣な面持ちでミルアは頷いた。
傍らに立っていた村長の息子の彼も、身を正して頷く。
そんな中、自分だけが椅子に腰掛けているのは気が引けた。
「大魔女が立ち去った森に恩恵が望めなくなる事や、祭りに不備があったせいで凶事を予測する者だっているんだ。例えそれがどんなに馬鹿げた、迷信めいたものにしか感じられないとしても。今、村には古語を操れる者がいないんだ。――エイメ以外に」
「祭事に欠かせない祈りの言葉は古語で無ければ、森に住まう神々や精霊には伝わらないとされているのです」
「いつもなら巫女役が早い段階で大魔女に教わるんだが、今回はそうも行かなかった。だから、エイメの力を借りたい」
いつしか二人は地主様では無く私の方を見て、熱心に言っていた。
正直、向けられた事のない熱意に気圧されてしまう。
思わず俯きかけたが、どうにか堪えて二人を見つめた。
真剣な眼差しが、本当に困っているのだと訴えてくる。
そうだ。泣いてばかりいても仕方が無い。
足がどうであろうと、見てくれがカラスであろうと私が「大魔女の娘」であることに変わりは無い。
おばあちゃんは言ってくれた。
『おまえは私の自慢の娘だよ』
ならばそれに恥じない行いをするまでだ。
「地主様」
「……何だ」
一瞬の間を置いてからぼそりと呟くような返答があった。
それに怯みそうになったが、拳を作って堪える。
目を逸らさないようにするだけで精一杯だったが、彼を見上げた。
言葉がなかなか出てこない。
それでも彼が辛抱強く待ってくれている事だけはわかる。
この方は人の話を聞かない人ではないのだ。
「あの、村祭りの準備が必要なようです。手伝いに行く事をお許しください。大魔女の娘としてやる事があるのです。準備が済んだら、地主様のお役に立てるように戻りますから。その、家にある薬草の干したものや、種を持って帰って傷薬やお茶をこしらえますから」
「準備だけなのか?」
地主様がどこか慎重に言った。
それだけで済むのか、と確認されているようだ。
「え? は、」
「何言ってんだよ! 俺と祭りに参加するだろ」
当然の事とはい、と答えようとする前に遮られた。
「え? え?」
腕を引かれて振り返り見上げれば、ジェス青年がどこか必死の様子で言う事に驚いた。
「なあ!」
よくわからないまま彼を見つめていると、ことさら強く腕を引かれた。
頷けと言う事なのだろう。それくらいならわかる。
だが彼がそんな事を言いだす意味がわからなくて、ますます混乱した。
少しの間、固まってしまう。
「お祭りに、参加? 魔女の役目はいつも準備をするまでだったと思うんだけど」
そうだ。後は村長さんや、巫女役に選ばれた娘たちの出番のはずだ。
何を隠そう私、魔女の娘はお祭りに参加した事がない。
魔女の祭りはすでに祭りが始まる前から始まっており、準備が済めば魔女の祭りは終わるのだ。
『お祭りがんばるぞ!』
決意する魔女っこ。
魔女の力が必要ならば、やるしかありません。
問題はお許しが出るかどうか。
拍手やコメントありがとうございます!
~拍手お礼小話も新しくしました~