33 魔女と地主と求婚者
責めるような口調になってしまったのが、自分でも説明が付かなかった。
名乗れないなら、オレも名乗らないと宣告されていた事をありありと思い出した。
そうやってお互い、そのまま名乗りあう事も無くやってきたではないか。
付かず離れず。
魔女の娘と村長の息子には、その距離が大事なのではないか。
その領域に踏み込まれた事が、こんなにも不快だとは思わなかった。
何故か裏切られたような気さえしてくる。
「私もあなたの名前を知らない。だからお互い様だと思う。これから先もそれでいいでしょう?」
「オレはオマエを責めている訳ではないんだ。それとも、名乗れば許してくれるのか?」
「そんな事を言い出すこと事態、信じられません。どうしてそんなこと、急に言い出すの?」
今迄みたいに知らんフリをしていてくれたら、それで済む話なのに。
「どうしてって……。」
「私、あなたのこと何も知らない。お願いだからもう帰って」
気が付けば一息にそう言い放っていた。
まただ。
語尾が震えて情けない事この上なかった。
人馴れしていないせいか、いつも感情が高ぶると声が裏返ってしまう。
「帰ってよ!」
「エイメ……。」
うろたえ切った声に名前を呼ばれた。
弱り切った様子で何とも憐れだった。
でも同情できない。
『オレの嫁にしたいと――。』
おばあちゃんに、掛け合っていた?
いつの間に? ずっとって言った?
ずっとってどれくらい前からの話?
駄目だ。受け止めきれそうもない。
何の話だろう。
今、初めて耳にした。
私は何も聞かされていない!
信じられない気持ちがそのまま、口調と眼差しに現れてしまう。
自分で言っておきながら、警戒心丸出しの冷たいものだった。
そんな事を言い出すのは、私の魔女としての知恵が必要だから。
きっとそうだ。
彼は村長の跡取りだもの。
村を豊かにするために、森の恩恵が必要だと思ったに違いない。
地主様みたいに。
そうでなければ顔なじみとは言え、ろくに知りもしない娘に求婚するなんて有りえなさ過ぎる。
それでなくとも色々と欠陥だらけで、持参金も用意できないというのに。
とんだ辱めだと思った。
地主様だって仰っていたではないか。
持 参 金 が な け れ ば 嫁 の 貰 い 手 だ っ て な か ろ う 。
そうなのだ。
その家につり合う持参金を用意できなければ、正式な婚姻と認められないものなのだ。
ましてや彼は村一番の有力者の家。
そんな事も分からない訳ではあるまいに。
「今までのオレの態度はそこまで酷かったんだな」
「……。」
「悪かった。オマエにしてみたら、急に何を言いだすのかといった所だな? 驚かせたな。すまない」
そんな彼の様子に、真摯な気持ちを踏みにじってしまった罪悪感すら覚える。
でも、どうしても悔しくて涙が滲んでしまった。
そうだ。悔しい。
それでもどうにか涙が零れないようにと、がんばって顔を上げ続けた。
何より自分の知らない所で、おばあちゃんと話をしていた所が気に入らない。
それにおばあちゃんは、どうして私に何も教えてくれなかったのだろう?
言うまでも無いと判断したのだろうか。
お互いの仲で秘密なんて無いと思っていたから、少なからず衝撃だった。
いきなり現れて我が物顔で、訳のわからないことを言い出すのは地主様だけで間に合っている。
そこで痛いくらい近くにあった、眼差しとぶつかった。
深い濃紺の瞳が、何やら憐れなものを見たとでも言いたそうに揺らいで見える。
そこでやっと自分が、地主様に取り縋っていた事に気が付いた。
感情が高ぶりすぎて、周りを置き去りにしてしまったらしい。
明らかに自分の感情に、地主様を巻き込んでしまった。
私が手を彼の上着に掛けていなければ、彼はどこへなりとも自由に行けたはずなのだ。
また、見っとも無いところを見せてしまった。
地主様の前で泣いて大騒ぎするのは、これが初めてではない。
今更といえば今更だが、あんまり居心地の良いものではなかった。
『申っ、…しわけっ、ありません。お見苦しい所を、っく』
アレだけ勢いがあったはずなのに我に返った途端、気恥ずかしくもあってかしゃくり上げ始めていた。
嫌になる。
『何も謝らなくていい、カルヴィナ。また日を改めよう』
無意識で古語で詫びていたらしい。
地主様は私が古語で話し掛けると、それに合わせてくれるのだと気が付いている。
「戻るか」
地主様が古語をやめて宣言した。
それは私だけにではなく、村の若者に向けられてのようだった。
「……。」
首を縦にも横にも振れず、ただ固まる。
正直、まだ帰りたくない。
だからといって、このままここに居るのもどうかと思う。
「待った! 地主サマ、魔女の娘は森に帰してくれ」
「それは出来ない」
どうして地主様に言われると、そんなに腹が立たないのだろう?
不思議に思いながら、地主様の言葉に耳を傾けていた。
感情的ではなく、何か考え合っての事だろうと思わせる落ち着いた声に耳を澄ます。
自分よりも恐ろしく格が上であると、認識しているからだろうか。
それもある。
我が物顔であるのは、この彼と大差ないはずだ。
それでも彼が「駄目といったら駄目だ」という時は、絶対だと多々思い知らされてきたせいなのか。
わからない。
ただ一つ、これだけは言える。
どうあっても足りない税金分を綺麗に納めてからでないと、答えは出ないという事だ。
・・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。
戻る戻らない、帰せ帰さない。
そんな押し問答が繰り返される。
地主様と村の彼とで、だ。
相変らず二人とも、私の意思を尊重する気は無いらしい。
二人とも一歩も引かない。
「あのぅ?」
どうにもならないので、声を掛けてみた。
『戻るぞ、カルヴィナ』
「ここに戻りたいだろう、エイメ」
駄目だ。話が付きそうに無い。
「あんた! わざとらしく古語を使うのは卑怯だぞ! オレにも分かるように言えよ」
『そんな必要があるか。俺はカルヴィナに話しかけている』
頭上でわあわあ言い合う二人に、ため息を付くしかなかった。
しばらくすれば、どちらかが折れるだろう。
いがみ合ううちにくたびれて、少しは譲歩しようという気持ちが、どちらかに現れるのを待つ事にしてみたのだが。
そんな事は無駄なのだと思い始めている。
くたびれてきたのは私だけのようだ。
どちらも睨みあったまま、けっして動こうとしない。
自分からは――。
『カルヴィナ』
「エイメ」
そこでやっと気が付く。
二人とも、私の意志でどちらか選べと言っているのだ。
だったら答えは決まり切っている。
椅子に腰掛けたままだったが、姿勢を正して二人を見上げた。
琥珀色と濃い紺色とを代わる代わる見比べる。
「森に居たいです、地主様」
「エイメ!」
「でもあなたの手を取る訳じゃないわ」
ぴしゃりと言い放つと、きっぱりと宣言した。
「私が森の、魔女の娘だからよ」
・・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。
遠くの方、家の外から犬たちの鳴き声が聞こえた。
『どっちがリードか!?』
まずい。
素直な方が勝つな。
なんだ、地主様、存在感が……薄。
と、思いきや~。
意外に魔女っこの中で存在を示し始めていたようなので、一安心。
……するには間違いなく早い。
どう出る、レオナル。