32 魔女と地主と村長のせがれ
「いいなずけ?」
魔女の言葉に思い当たる所は無い。
どうやら古語ではないようだ、という察しが付く。
では、何だろう?
考え込んでしまう。
はたと気が付けば地主様の腕の中だった。
何だろう。
最近、当たり前のように抱えられる事が多くなったせいか、こうやって密着されても平気になってきた。
慣れっていうのは怖い。
それでもいい加減、離れたい。
まずは意思表示として、両手を突っぱねてもがいてみた。
少しゆるんだが、解放されたとは言い切れない状態に急に恥ずかしくなった。
何より目の前の青年の視線が痛い。
「地主様、あの。離してください」
「……。」
再び背に回された腕に、力がこもって抱き寄せられてしまった。
無言で拒否されたと知る。
彼のまとう香りに包まれて、本気で慌ててしまう。
咽喉の奥で小さく悲鳴を上げてしまったが、聞こえただろうか?
「おい! 嫌がっているじゃないか。離してやれ!」
青年が地主様の肩に手を掛けたようだ。
今にも飛び掛りそうな勢いに押されながら、何とか場を取り繕おうと声を上げた。
「あの、大丈夫だから乱暴な事、この方にしないで?」
彼の琥珀色の瞳に見えていた怒りが収まった様に見えた。
頷いて見せると、彼も「わかったよ」と呟いて頷いてくれた。
ほっとした。大声を出されるのは苦手だ。争いごとのある場に身を置くのも。
次は警戒心も露わに、私を抱き込もうとする腕の主を見上げる。
「申しわけありません、地主様。足が痛くなってきたので、椅子に」
腰掛けても構いませんかと、伝え切るよりも早く身体が浮いていた。
それも一瞬の出来事で、すぐさま腰掛けさせられたと気が付く。
安定感に一息ついた。
この力強い腕から解放されたせいでもあるし、やっと足に掛かっていた負担から解放された事も大きい。
「足が痛むのか?」
頭上から降ってくるように響く声に見上げた。
が、それも短い間だった。
地主様が膝を折ったからだ。
そうして目線を合わされた。
「見せてみろ」
そう言いながら、右脚の方の靴紐を弛められた。
あっさりと脱がされてしまいそうになる。
だが、それを何とか押し留めた。
今日のこの服はいくらか少し、スカートの裾が短いのだ。
いつものような踝近くまであるわけではなく、せいぜい膝頭を覆うのが精一杯だ。
この編み上げの靴を脱いでしまったら、醜く引き連れた傷痕を晒してしまう事になる。
そんなのは嫌。
それに痛むのは、どちらかといえば体重を掛けてしまう反対の足の方だった。
「大丈夫です。もう、座れたから楽になってきました。それに痛いのは左の方です」
そう訴える。
だが地主様は引かない。
「左? 右は痛まないのか」
尋ねながら左の靴紐も弛めてしまう。
「もう、大丈夫です。ずっとこっちに体重を掛けて立っていて、くたびれただけです」
「靴を脱いで楽にしておけ」
「あの、や……。自分でします」
靴をどうあってもゆるめようとする指先を止めようと、そちらにばかり気を取られていた。
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少し離れた所に立っている青年が決まり悪そうに、声を掛けてきた。
「エイメ。足が痛むのならば冷やしてやろうか? それとも薬がこの家のどこかにあるだろう。言ってくれ、取ってくるから」
「ありがとう。もう大丈夫だよ。ずっと同じ格好をしていると、痛くなる事があるだけ。あの、良かったら二人とも座りませんか? お茶を仕度致します」
椅子は二脚しかないので、立ちあがって地主様に譲ろうとした。
「カルヴィナ、気を使わずともいい」
「エイメ、座っていてくれ」
二人の声が同時に被った。
再び、地主様と青年はお互いを静かに睨み合う。
いつだったか目撃した狼同士の縄張り争いと同じように、場の空気が張り詰めた。
双方、一歩も引かず己の領域を主張して譲らない。
奇妙な沈黙が流れる。
「なあ、エイメ。ひとつ、訊いてもいいか」
「なあに?」
「この男はオマエの何なのだ?」
「え?」
青年は腕を組み、顎をしゃくって地主様の方を指した。
その視線に倣うと地主様と目が合った。
深い紺色の瞳を覗く。
「何? 何って……。お仕えしている、大地主様です」
そうだ。それ以外に何と言いようも無い。
確信して言い切る。
それで間違いないはずなのだが、当の地主様からはちっと小さく舌打ちされた。
何故だろう。
「納め足りない税金分を働くように言われているので、私の雇い主様であります」と、ちゃんと説明しなければいけなかったのかもしれない。
そう付け加えようと口を開きかけた時、地主様からも問い掛けられた。
「カルヴィナ。この男はオマエにとって何者なのだ?」
さっきと同じ問い掛けだった。
「村の男の人です。地主様」
「そうか。それだけなのだな」
「はい」
「親しい訳では無いのだな」
「はい」
こっくりと頷いて見せると、何故か頭を撫ぜられた。
「大地主サマとやら。アンタだって、俺と立ち位置はそう変わらない」
腕組みしたままの彼が、鼻を鳴らして冷たく言い放つ。
そしてもう一つの椅子に腰を下ろすと、自分の頭をワシワシと掻いた。
そのまま、髪を前から後ろに撫で付けて整えてから、私と視線を合わせる。
「エイメ。おまえは知らないんだな。俺が大魔女に掛け合っていたことを」
「掛け合う?」
「そうだ。おまえを俺の嫁に欲しいと、ずっと掛け合っていた」
「え?」
そんな話は今、初めて聞いた。
それに彼とは、まともに言葉を交わさなくなって随分と立っている。
話したと言っても他愛の無い内容だった筈で、しかもそれはお互いがまだ幼かった頃の事ではないだろうか?
そういえば彼の名前すら知らない。
子供だった頃、名前を尋ねられて答えられないのだと言ったら、ひどく彼の機嫌を損ねた覚えがある。
「だったら俺もオマエになど、名乗らない!」と。
ふいに目線を外されてしまった。
それは今朝方の地主様と同じような反応だった。
「それはまだ許嫁とは言わないな」
「うるせーな! 俺が先に名乗りを上げていたんだ。その権利がある」
「どこの決まりだ、それは」
突然の言葉に思考が付いて行かなかった。
それに構わず、青年が続ける。
「エイメ。おまえの名はカルヴィナと言うのが真なのか?」
「ううん。地主様が……名付けて下さったの。名乗る事が出来ませんので便宜上、娘とお呼び下さいって言ったらね」
地主様を窺うようにしながら、そっと説明した。
「皆さん、それぞれ素敵な名前を付けて呼んでくれているの」
そう付け足す。
「そうか。なら安心した。まだ、誰にもオマエは真の名を名乗っていないのだろう?」
「う、ん。まぁ」
魔女の名はそのまま力を持つ。
真名を呼ばれるのは、身も心も――魂までをも支配されてしまう事を意味するのだ。
だから、生涯ただ一人と決めた相手以外に、名乗ってはいけないし呼ばせてもいけない。
『おまえが真に、身も心も委ねてもいいと思える相手だけに名乗るんだよ』
そうおばあちゃんから教えられた。
「大魔女が言っていた。オマエ自身が自ら、名乗ってくれたならば許可すると」
そう言って私をじっと見つめながら彼は腰を上げ、そしてその場で跪いた。
胸に手を当てている。
琥珀の瞳がじっとこちらを見つめてくる。
逸らすのを許さないと言うよりも、逸らさないでくれと懇願されているような真摯な眼差しだった。
「だから、エイメ。俺に本当の名を教えてはくれないか。俺に、俺だけに」
「どうして?」
「オマエは人の話を聞いていなかった……訳じゃないよな? 頼むぜ」
「聞いていたけれど、意味がわかりません」
「オマエの名を俺だけに呼ばせて欲しいからだ」
「村長の後を継ぐものとして、魔女の私を支配してしまいたいからそう言っているの?」
「…………。」
地主様は押し黙ったまま傍らに居る。
それだけなのに、ひどく怖かった。
何だかよくわからないが、私の事も含めて怒っているようだ。
何だろう、このいたたまれない空気は……。
エルさんはまだ、戻って来ないのだろうか。
『何気にお久しぶりです。』
年末年始のわたわた~で、少し間があきました。
やるな。村長のせがれ。
ものすごく頑張っていると思います。
それだけ焦っている。
そこを汲み取れない魔女っこ。




