30 魔女を歓迎するものと狩一行
『森の精霊よ。あなたの領域に入る事を許可し、恩恵をお授けください』
森に入る一歩手前で、地主様が厳かに告げた。
風が心地良く吹き抜けて行く。
木々がざわめく。
彼は許されたのだと知る。
地主なだけあって、土地土地のものに彼はきちんと敬意を払う。
彼という人となりを知り尽くしている訳ではないが、そこは早くから気が付いていた。
そうでなければ、大魔女に会うことすら出来なかったはずなのだ。
それはエルさんも同じ事が言える。
彼はおばあちゃんが亡くなってから、ほとんど毎日やって来てくれたのが証拠だ。
エルさんも胸に拳を当てながら、小さく呟いている。
その瞳を伏せた表情は、とても真剣で厳かさが漂っていた。
ただ一番後ろの年若いお付の人は、頭を軽く下げただけだった。
見るからに心のこもらない、形だけのものに思わず眉をしかめてしまう。
いななく馬の手綱を引きながら、その顔は飽き飽きしたとでも言いたげに見えた。
彼は早く狩りに繰出したくてならないのだろう。
すでに弓を持ち、背には矢を担いでいる。
気の荒そうな白と黒の斑の猟犬は、その彼の馬の周りを激しく吠え立てながら、ぐるぐる回っていた。
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森の中を行く。
木漏れ日が気持ちよく、風でしなる梢の音が耳に優しい。
小鳥が少し警戒しながら鳴き交わしている。
少し遠くで笛を鳴らしたような、ピィィイ――ッという鋭い鹿の声がした。
警戒している。
(そう。逃げて逃げて。人間が来たら近寄ったら駄目だからね)
私も緊張しながら、心の中で叫んだ。
しばらくすると鳴き声は遠ざかって行った。
ほっとしたと同時に感じたのは、木々の隙間から窺う視線だった。
こちらを射抜くものの気配がする。
(来てくれている)
嬉しさがこみ上げてくる。心強くて、嬉しかった。
(でも、あんまり近付いたら駄目だからね。危ないから)
同じように心の中で告げる。
森の彼は巧みに気配を殺しながら、地主様の馬に合わせて一緒に進んでいる。
猟犬達はやはり気がついているのだろう。
時折り彼のいる方向に向って鼻を高く持ち上げている。
だが、これといって飛び出して行ったりも、吠え立てたりもしないでいてくれた。
彼の実力と気配に押されてなのか、少し怯えたようにも見えるのは気のせいじゃないと思う。
(やっと、久々に会えるかもしれない)
あまりの嬉しさに、地主様と一緒だという事を一瞬忘れていた。
「嬉しそうだな」
「……っ、はい」
驚いた声を上げてしまった。
「何かが歓迎してくれているようだな」
「!?」
「もっとも我々ではなく、カルヴィナ。おまえだけのようだが」
驚いて息を飲んでしまう。
緊張に強張った身体を、地主様に抱えなおされる。
地主様はそれ以上、何にも追及してこなかった。
ただ軽やかに馬を進ませる。
「そういえば朝食がまだだったな。腹が減っただろう?」
「地主様は?」
「俺は軽く済ませた。おまえはどうかと訊いている」
首を横に振る。
「大丈夫です、地主様」
「昨晩もろくに食事に手をつけていなかったと報告があったが、事実か」
「充分取りました、地主様。私にとって必用な分をきちんと」
そう。充分いただいているのに、毎回こうやって責められるのはキツイ。
最近は地主様とご一緒の食事を免れて、助かっている。
あの立派なお部屋も気後れしてしまうし、給仕をしてもらうというのにもどうしても慣れる事が出来なかった。
私がいつまでもその調子なので、リディアンナ様が良いようにと計らって下さったのだ。
嫌味も鋭い視線も無い食事は本当にありがたい。
「……それなら良いが。もっと多く取るように。おまえは、もう少し『娘』らしくなるべきだ」
地主様は娘の部分だけを古語で仰った。
恐らく魔女の娘に、そこを強調してやろうと思ったのだろう。
そんな含みが感じられた。
『娘らしく?』
『もっと太れ』
『太る』
『そうだ』
『どうやってですか、地主様?』
『だから食事をもっと積極的に取れ』
『魔女の娘にはあれで充分です』
『その体つきで何を言う』
『だって、こうやって森の生気を感じているだけで身体が満たされます。ですから今も、大丈夫だと申し上げています』
『おまえの体つきからは信用ならんな。おまえが精霊の娘だとでも言うのなら仕方が無いが』
もう黙ろうと思った。
いつもこうだ。
彼と話していると、最終的には言葉を紡ぐ気が削がれて行く。
『別に責めたつもりは無い。だからそう機嫌を損ねるな。オマエは―――。』
―――もっと楽にしていろ。
黙り込んだ私に、彼は相変らず古語でそう告げた。
『でしたらエルさんの馬に乗りたいです、地主様』
遠慮なく答えたが、返事は無かった。反応も無い。
代わりに、両傍らに付き添っていた猟犬二頭がくーんと鼻を鳴らして、尻尾をお腹の方に丸めてしまった。
どうしたのだろう?
少し離れていたエルさんは、もっと距離を空けて後方に行ってしまった。
エルさんは俯いて肩を震わせていた。
どうしたのだろう、本当に。
誰にも尋ねる事が出来なくて、すっきりしない気持ちを抱えたまま、ため息を付いてしまった。
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地主様が目指す先に、懐かしい我が家があるのだと気がつく。
いや、もう彼の持ち物になってしまったのだが、我が家には違いない。
懐かしい小道を行く。
振り向けば付いて来ているのはエルさんと、二頭の猟犬だけだった。
やはりあの年若い人は、魔女の住処には近づけないようだ。
これもおばあちゃんの魔法の一つ。
森や魔女に仇を為そうとしたり、敬意を払わないものは森をさ迷うはめになる。
地主様もエルさんも、お付の人が付いて来れていない事を、別段気にしていないようだった。
何も言わずに進んでいる。
『下りたいです、地主様』
『もう少し待て』
待ちきれなくて身を乗り出すと、慌てたように抱えなおされた。
胸のすぐ下からわき腹に掛けて、大きな腕が回されて息苦しい。
腕に手を掛けて、抗議のために足をぶらぶらさせてみた。
『……すまない。だが暴れるおまえが悪い。手元が狂った』
何故かぼそりと決まり悪そうな声が降ってきた。
そう言う割に地主様の腕は動かないままだ。
私が本気でふり払って落ちるとお考えなのかもしれない。
何て過保護なのだろうか。
あまり心配掛けても良くないだろうからと、暴れるのは止めにして大人しく到着を待った。
乾燥した薬草の芳ばしい匂いが、ここまで漂ってくるようだ。
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近付くにつれ、異変に気がつく。
誰もいないはずの魔女の家の煙突から、細く煙が立ち上っているのが見えた。
(お……ばあちゃん?)
―――いるの? 温かいスープを作ってくれているの?
『おかえり』
懐かしい声までが蘇ってきて、ありもしないだろう現実を思って胸が騒いだ。
『仮タイトルは次回持越しとなりました。』
おっかしいな~。
またですよ。
ネタバレなので仮タイトルも次回に。
地主様、その手はまずかろうという位置です。
健康な成年男子ですからね。 ほどほどにお願いします。(まだ)




