29 魔女と狩一行
「今日は狩りに行かれるのに、最適な日です」
にこにこ笑ってお見送りは完了だ。
夕刻前に濡れ鼠となった、ロウニアの狩一行を出迎えれば良いだろう。
そう油断していた。
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地主様から、何とも言われぬお顔をされた。
驚いたように目を見張ってから、あろうことか頬をさっと朱に染めたのだ。
それを見せたのも一瞬の出来事だった。
すぐさま彼は、自身の手で目元を覆ってしまった。
それから何やら呻くように早口で言い放っている。
古語なのか、呪文なのかと判別できず困った。
何を言っているのか解らない。
そもそもよく聞き取れなかった。
そこで初めて、今日の彼がいつもと何か違うという事に気がついた。
この違和感は何だろうか?
首を捻る。
その違和感の原因を探ろうと、彼を見つめ上げる。
よくよく観察してやろうという、そのつもりで。
「今日はこれから天候が崩れると見ていたが、魔女の娘が言うのなら確かだろう」
馬上であっても彼の動きは素早かった。
そして力強い。
勢い良く馬から飛び降りて、目の前に着地した彼を見上げるよりも早く、つま先が浮いている有様だった。
両脇をすくい上げられ、あっという間に馬に乗せられてしまう。
視線の高さと不安定さに身体が傾く。
それも短い間の事で、素早く跨った地主様に支えられる。
胴回りを地主様の腕に支えられ、何とも言えない居心地の悪さを味わった。
抗議の意味も込めて、回された彼の腕を引き剥がそうと両手を掛けた。
ビクともしない。
どうにか身体を捻って、彼の様子を窺おうと見上げた。
困った。
あんまり身体を捻ると、地主様に思い切り身体を押し付けてしまう。
後ろの方からリディアンナ様の叫びが聞こえてきた。
「叔父様ったらズルイ! 抜け駆けするなんて!!」
カルヴィナと森に行くのは、わたくしよ―――!
何とか振り返る。
駆けて来るリディアンナ様が視界の端に映った。
それもあっという間に遠ざかり、リディアンナ様やお姉さん達の姿も見えなくなった。
お館の門をくぐり抜け、そのまま目の前に広がる草原を行く。
緩やかな丘陵をいくつか超えると、収穫の時期を迎えた麦の穂が揺れる畑が続いていた。
地主様が馬を走り抜けると、麦の穂を刈る人達が折った腰を起こしておじぎをするのが見える。
小さい子もいて、両手を大きく振ってくれていた。
皆、地主様と知って挨拶してくれているのだろうか。
しかし、地主様はといえば私を抱えている。
なので代わりに小さく手を振ってみた。
すると皆、手を振って応えてくれた。
子供たちはよりいっそう手を振って、歓声を上げながら追いかけて来る。
その姿も笑い声もあっという間に遠ざかる。
まばらに木が生えた小道を抜け始めた頃には、エルさんともう一人のお付の人も追いついて来た。
そこに五匹もの猟犬たちも加わり、一気に騒がしくなった。
目指す道の先から流れてくる、森の気配とはまるで違う。
犬たちの興奮した勢いに囲まれながら、どうにかこうにか微かに風に乗る森の気配にすがった。
どんどんそれが近付いて来ている。
私の胸も高鳴る。
寝不足と夢見の悪さからくる、ささくれた心も潤うというものだ。
久しぶりに、深く呼吸が許されるのだ。
力強くありながらも、静けさに満ちた森の生気こそが魔女の娘の求めるもの。
森こそが私の命の源だ。
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追いついたエルさんが、横に馬をつけて来た。
地主様に頭を軽く下げると、私の方を見てにっこりと笑い掛けてくれる。
それに気を良くして、エルさんの方に向って両手を伸ばした。
どうせ一緒に乗るのなら、穏やかな気質のエルさんの方が良い。
そんな意思表示も込めて身を乗り出すと、エルさんは困ったように笑いながら首を横に振って見せた。
それから頭を下げて、地主様の後ろに馬をつけてしまった。
諦め悪く両手をさ迷わせていると、地主様に「しっかり掴まっていろ」と言われた。
答えないでいると、ため息と共に回る腕に力が込められてしまった。
嫌だなと思った。
今すぐに下ろして欲しい。
「掴まれと言っただろう?」
「下りたいです、地主様」
「下ろしてどうする。置いて行かれてもいいいのか?」
彼は脅したつもりだったろうが、私は迷わず答える。
「はい、地主様」
「杖が無いだろう」
大きく頷いたが一蹴された。
またそれか、と思いため息が零れる。
最近の彼は私から杖を取り上げる事を覚えてしまった。
何かにつけて文句を付けては、杖を取上げられるのだ。
そうしてさっさと私を抱えてしまうのだ。
「杖を突いて歩くと敷き織物が傷む」だの「夜は音が響くとうるさい」だの「女のくせに手にマメができる」だの。
どれもこれも、もっともかも知れないが納得の行かないものばかりだ。
言われる度に、堪らない気持ちになる。
畑仕事をしていたから、私の手はとっくにマメが出来て固くなっているから手遅れだ。
彼にしてみたら、女性というものはそういうものらしい。
それは許された階層の人だけだ。
間違っても魔女の娘にそんな権利は無いというのに。
どうやら彼が、私を羽根折った鳥のままにしたいらしい、というのは何となく察しが着く。
だが、そうしたがる地主様の意図は解らなかった。
いや。本当は気がついている。気がつかないフリをしているだけだ。
(カラスをあまり人目に晒したくは無いのだろうな)
泣きたい気持ちを抱えたまま、沈み込む。
「森に着いたらちゃんと下ろしてやるから、そう機嫌を損ねるな」
掛けられた言葉に驚いて、彼を見上げる。
最近の地主様はやたらに、このような言葉を口にするようになった。
何故、地主様ほどの御方が魔女ごときに気を使うような事を言うのか、不思議でたまらない。
「……。」
今日こそ尋ねてみようと思ったのだが、まずは違和感について追及してみる事にした。
そっと指先を慎重に伸ばす。
「地主様、お髭がありません」
そうなのだ。
いつもしかめ面で鷲の様に鋭い眼差しに加えてあるはずの、整えられた口ひげと顎ひげが見当たらないのだ。
そのせいか、いつもの威圧感が少し和らいだ気さえする。
そう私が感じるのも、髭がある男の人はオトナで、とても偉い人だという印象を抱いてしまうからなのか。
そこは解らなかった。
抱きかかえられたこの格好では、地主様の表情はよく見えない。
首が痛くなってきた。
ただ言えるのは、彼の肌は日に焼けてはいるが荒れていないという事だ。
今まで髭があったなんて事すら、解らないくらいに滑らかな顎に確認するために手を伸ばす。
「………………剃ったからな」
このまま無視されてしまうのかと思うほどの間を置いてから、ぼそりと呟き返される。
「だからか?」
「え?」
「だから先程、笑ったのか?」
「さっき?」
「笑っただろう」
「いつですか?」
「もういい」
「はい」
「何故、剃ったのか聞かないのか?」
もういいと言われたので黙ったのに。
訳がわからない。
そう言われるという事は訊けと言う事なのだろう。
さして興味も無かったが、一応礼儀だろうと訊いてみる。
「どうして、剃られたのですか?」
「リディアンナの頼みだ」
「リディアンナ様の頼み」
「その方が若く見えるから、そうしてくれと頼まれた」
なるほど。流石はリディアンナ様だ。
賛同して頷いた。
「はい、私もそう思います。お年よりも若く見えます。ええと、35歳くらいに」
「…………俺はまだ29だ」
これ以上は黙っていようと思う。
『お出掛け日和?』
地主サマは色々と、何かが飛び始めているご様子。
理性とかお花とか。うん、色々。
そしてイメチェン★
似合ってるんじゃないでしょうか。
恥ずかしがって見せてくれないから、魔女っこ目線での今回の描写はこんなもんですが、若返ったようですよ。
魔女っこ目線でレオナルは40代だった模様。