26 魔女と地主と森の彼
この娘を見ているとイライラする。
触れられると、彼の想いが心の内が伝わってくる。
ごめんなさい。
そっと心の中でも詫びた。
地主様は当然ながらお怒りだった。
怖い。
ただひたすらに恐ろしかった。
怖い。怖い。怖いよう。おばあちゃん――!
身動きが取れない。がんじがらめだ。
何をしても彼の気に触る結果になる。
何をしなくとも彼の気に触る事となる。
ビクビク震えるしかない自分がとても惨めだった。
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地主様はもう何も仰らない。
無言でゆっくりと―――感じるが、どんどん足早に進んで行く。
ゆっくりに感じるのは、地主様が気を使って下さっているおかげだと思う。
私の身体を不必要に揺らす事が無いから、つくづく男の人というものは何て力があるのかと感心してしまう。
緊張はするけれども、ここはとても安定感がある。
長い回廊を、月明かりが煌々と照らしてくれている。
そこを地主様に抱えられて進む。
コツコツと地主様の靴音だけが響く。
何とも言いようの無い不思議な気持ちだった。
不快ではないけれども、愉快でもない。
だからといってその中間でもない。
とても落ち着けるはずが無い状況にも関わらず、私はすっかり地主様に身を預けきっている。
少しだけ、眠気まで感じてきた。
さっきまで神経が研ぎ澄まされて、冴え渡っていたというのに妙な具合だった。
地主様が、先程とは違った雰囲気になられたせいかもしれない。
苛立つ彼は苦手だけれども、普段の地主様の本質は驚くほど穏やかな事にも気が付いている。
それが私の敬愛してやまない「森の彼」に似ていると気が付いた時は驚いてしまった。
そう。
彼はあの悠々と出で立つ「彼」に似ている。
おおらかであたたかく、それでいて威厳を持っていて近寄り難い「彼」と。
地主様に促がされるままに回した腕が、痺れてきてしまった。
そこまでも彼に似ている。
いつも抱きつくと私の腕では回り切らなくて、だんだん疲れてしまうのだ。
私の腕が滑り落ち、代わりに彼の襟元を握り締めたが何も言われなかった。
ただ背に回されていた彼の腕が、よりしっかりと抱え直してくれた気がした。
いくらか地主様に身体が押し付けられる。
彼からは冷たく澄んだ夜風の匂いがした。
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最近こうやって抱え上げられてしまう事が多い。
今日でもう何度目だろう?
そんな風に考えて、そっとその横顔を窺った。
引き締まった端正な横顔を、月の光が照らしている。
数日前に殴られた腫れはどこにも見当たらない。
やはり彼は威厳がある。
それはこちらが萎縮してしまうには充分で、いつも恐れ多く感じてしまう。
思わず指先に力がこもってしまった。
地主様がちらりとこちらを見る。
―――目が合った。
コツ、コツと刻まれていた靴音が、それと同時に止んだ。
不思議と逸らす事が出来なかった。
こんなにも間近で彼の瞳に射すくめられてしまっては、身動きも取れないというのもある。
彼の切れ長の瞳は深い湖の色のはずだ。
でも今は夜の闇にあるから、私の瞳と大差なく見える。
だから安心して不躾に眺めても、許される気がした。
「……カルヴィナ。男をそのそのような表情で見るものではない」
長い沈黙の後、先に視線を逸らされたのは地主様の方だった。
重苦しいため息と共に呟かれた言葉に我に返った。
やはり不躾だったのだ。
弾かれたように身体を許される分だけ離して、目蓋をぎゅっと閉じる。
謝らなければ。
そう思うのだが、麻痺してしまって言葉が出てこなかった。
「いや、違う。そういう意味合いでは無くてだな」
彼らしくない、歯切れの悪い口調だった。
何かを言い掛けて、そのまま沈黙される。
ふっと彼の吐息が、閉じた目蓋を掠めた。
それと同時に温かく柔らかな感触が押し当てられる。
少しだけ肌をちくりと何かが掠めた。
驚いてそっと目蓋を持ち上げると、彼の顎と頬が目に飛び込む。
「不用意に瞳を閉じてもいけない……。」
そう呟かれる。
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後は何事も無かったように、彼はまた歩き始めた。
『このまま――。』
いっその事。
ん? 何か言ったかな レオナル?




