25 地主と魔女と狼
ここでこうやって問答していても、ただカルヴィナの身体が冷えてしまうだけだ。
そう判断した。解っている。
だからといって引く気にもなれない。
打ち負かされている気がしないでもないが、ここは踏ん張りどころではなかろうか。
だからしつこく食い下がる。
「カルヴィナ、おまえが謝る事は無い。俺が悪かったのだ」
「地主様に、ご迷惑を、お掛けしているのは私です。ですから、どうか、どうか、そのような事を仰らないで下さいませ」
お互い謝っても相手からは受け入れられないでいる。
謝らないで欲しい。
それはいくら謝っても、許す気は無いのだという拒絶の表れではなかろうか。
カルヴィナは身体を小さく丸め縮まって、俺が立ち去るのを待っているように見えた。
月の光を背に浴びて立つせいで、俺の影がカルヴィナを覆い隠す。
俺はといえばただぼんやりと立ちすくみ、これは何と小さくか弱い生きものかと思った。
そのくせ大の男を振り回す、とんでもない魔性の女だ。だからこそ魔女なのかもしれない。
今だってそうだ。
「……わかった。カルヴィナ、おまえがそのように思うのならば俺はもう謝らない」
「っ、はい」
自分の意思が伝わったと安心したのか、カルヴィナの声はいくらか弾んだ。
こくこくと首を縦に振る。
その拍子にショールが滑り落ちれば良いのにと願ったが、それはならなかった。
忌々しく思う。
何に対してかは、もはや言葉にならない。
そんな感情だけが胸中を渦巻いて、鎌首をもたげ始めている。
「俺に迷惑を掛けるのを心苦しく思うのだな?」
「はい」
「だったら、俺の許可無く出歩くな」
「は……っ、はい」
「戻るぞ」
「はい、戻ります。地主様はどうぞ、先に行かれて下さいませ」
カルヴィナが慎重に身体を屈めて、ショールから片手だけを足元に伸ばした。
転がり落ちた杖を拾い上げようとしての事だろう。
それよりも素早く杖を拾い上げると、自分の腰帯びに差し込んだ。
ただ木を削っただけであろうそれは、手に心地よく馴染むまろやかさがある。
長さは俺の剣よりも少し短いくらいだ。
魔女の娘が体重を掛けているせいか、先の方は磨り減っていた。
「地主様? あの、杖をお返し下さい」
杖が自分の手に戻らなかった事を疑問に思ったらしい、不満げな声が上がった。
杖を受け取ろうとし、ショールからさ迷い出した腕を掴む。
予想通りの冷え切った感触に、苛立ちを隠せないまま言葉を口にした。
「今、何時だと思っている?」
「え」
「皆が寝静まる時刻に、おまえが杖を突いて歩いたら音が響いて迷惑だろう」
「は……ぃ」
カルヴィナが掴まれたのとは反対の手で、胸元を握り締めながら答えた。
身体を後ろに引くようにして、掴まれた腕を引き抜こうと抵抗してくる。
だが俺にとってそれはもちろん、ささやかでしかない。
くすぶり始めた苛立ちは、取り返しが付かないほど燃え上がっている。
謝罪が受け入れられなかった腹いせとばかりに、カルヴィナに辛く当たる自分に愉悦を感じてもいた。
暗い歓びに支配されるままに、なおいっそう腕に力を込めて引いてやった。
力の差を思い知れとばかりに、指を食い込ませる。
自分の中でよせと制止を叫ぶ声と、もっとやってやれと煽る声が同時に上がる。
「痛っ」
「……。」
カルヴィナの痛みを訴える声も無視して、力を緩めてやる事はしなかった。
むしろ身体が浮き上がるほど強く、引き上げる。
それを怒りを買い、なじられているのだと思ったのだろう。
カルヴィナが声を震わせながら謝った。
「そこまで考えが至りませんでした。申しわけございません」
素直に頭を下げるカルヴィナに、さらに言い表しようの無い怒りが湧く。
「で、では、杖の先に布を巻きつけて戻ると致しましょう。そうすれば、音はいくらか和らぐでしょうから」
「……。」
どうあっても俺に頼るという気が起こらないらしい。
むしろ頑なに、自分で自分の面倒を見ると言って譲らない。
そんなカルヴィナの態度に落胆する自分が居る。
それを認めるまいと思う心から放たれる言葉は、自分でも驚くほど冷たく響く。
「布なんぞ、どこにあると言う?」
「え、えと」
カルヴィナは困ったように黙り、少しのあいだ考え込んだ。
やがて、ためらいがちにおずおずと、自身を守るショールをずり下ろして行く。
「ここに――。」
羽織っていたショールを片手で丸めると、俺の方に差し出した。
とたんに露わになる着衣は予想以上に薄着であった。
首筋と肩を覆うべき布地が無い。
肩紐は細く、首の後ろで結んである。
胸元はそれを絞る格好の造りであり、娘らしい身体の線を強調していた。
無くても無いなりにそれなりに有る様に見えるではないか。
何て事をしでかしてくれるのか、この娘は―――。
これで誘う気が無いというのなら、俺は間違いなくこの少女は魔女だと認めざるを得ない。
カルヴィナの露わになった肩を月が照らしている。
小動物を思わせるような黒目がちの瞳からは、またもや夜露が一しずく伝っていた。
月光がほの淡く影を落とす。
口元のほくろと、首筋を辿った先のほくろへと視線をなぞるように移していた。
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「あの、地主様? どうかなさいましたか?」
魔女の娘が恐るおそる、覗き込むように見上げてくる。
そこで訳のわからない思考から、我に返ることが出来た。
勢い良くそのショールを引っ手繰ると、彼女の身体を包むようにして巻きつけた。
まだ秋の気配が浅いとは言え、夜分は冷え込む季節だ。
そのまま抱き寄せ、勢いのまま膝の裏に手を回し抱え上げる。
「戻るぞ」
「地主様、重いですから! 自分で、自分で戻れます」
「騒ぐな。館の者に迷惑だ」
「静かにします。ですから、下ろして……。」
カルヴィナは俺の胸元に手を押しやる。
当然許さずその肩を引き寄せ、抵抗すらも封じ込めた。
その時だった。
アオオオォォォ―――――ンン!!
夜の静寂の中、そう遠くはない所で遠吠えが上がった。
狼だ。
ワン! ワォン! ワン! ワン! ワン!
その遠吠えに刺激を受けたらしい、飼い犬たちがいっせいに吠え立てる。
カルヴィナはその鳴き声に怯え、身を竦ませた。
「こんなに人里近くに狼が来るのは珍しいな。いい加減さっさと戻るぞ、カルヴィナ。こんな人気の無い所に居てもたもたしていたら、狼に襲われるかもしれない」
「はい」
脅しが効いたのか、カルヴィナは素直に頷いた。
「ちゃんと俺の首に掴まれ」
「はい」
大人しく促がされるままに、おずおずと細い腕が首筋に回された。
満足を覚えながら、その背を支えるようにしてやる。
否が応でも密着し、カルヴィナの柔らかな身体が触れる。
その身体が小刻みに震えていた。
「狼が怖いのか?」
「犬が、怖いです」
「狼よりもか?」
「……。」
カルヴィナは言葉もないまま頷いた。
よほど犬が怖いらしい。
そういえば連れ帰った時も、猟犬たちに怯えた様子だったと思い出す。
「大丈夫だ。あいつらは人を噛んだりしない」
「でも吠えます」
「犬は吠えるものだろう」
愛犬家としては捨て置けない意見だった。
だからついムキになってしまったようだと気が付く。
館の外にこれ以上長居は無用のはずだった。
ゆっくりとカルヴィナの部屋へと向かう。
館は静まり返っており、深夜独特の気配がした。
慎重に急いだ。
これ以上人気の無い所に居たら、魔女の娘を間違いなく狼の餌食にしてしまうだろうから。
『打ち解けない魔女っこに苛立つ地主サマ。』
だったら威張り倒してやる、となった模様。
イジワル。
子供か!
そして一人反省会になだれ込む事でしょう。