24 地主と魔女と月夜
「いくらだ?」
あの時、そう尋ねるのが精一杯だった。
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怒りとやりきれなさを押し込めて発した言葉に、店主は愛想笑いを浮べて見せた。
雑多な薄暗い店内で、その男が手にした黒髪だけに注目した。
「おお。旦那、お目が高い。珍しい黒髪ですからね。そうですね、特別に3万・ロートでいいですよ」
「3万・だな?」
「へぇ! 3万・ロートでも大分オマケしてますよ」
「そうか。ならば、本来ならどれほどの価値がある?」
「そうですね。5万いや、6万・ロートはくだらないかと見ますがね」
男が緊張した面持ちで右の手のひらを広げ、やや遠慮がちに左の指を一本付け足した。
「そうか。それほど価値が高いのだな」
「ええ! そりゃあもう! 見て下さいよ、この見事な艶と光沢。手触りも素晴らしくて、どう……!?」
男が言葉を最後まで続ける前に、素早く髪を奪い取っていた。
我が物顔で黒髪を梳く、その無骨な指先を切り落としてやりたい。
物騒な衝動に駆られる前にそうしていた。
あまり艶が無いからとカルヴィナには買い叩いておいて何を言うかと、腹が立って仕方が無かった。
「これはじきに公の場に出さねばならんのに、大切な髪をここで売ったのだというが間違いはないな? わずか5000・ロートばかりで」
かろうじて怒りに我を忘れずに済んだのは、カルヴィナを連れていたからだ。
女の前で暴力沙汰はしないと決めている。
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『旦那の後ろから小さな影がおずおずと姿を現した時には、この世の見納めかと思いました。』
「以上がよろず屋の主からの一言でした。旦那、あんまり庶民をからかわないで下さいよ。かつかつに生きてりゃ、ガツガツするのが商売人。誰もがまっとうに商いしている訳じゃないこと、理解しておくんな?」
「心する」
「ありがたい」
それから二人、無言で杯を呷る。
菓子屋の店主とはどういうわけか、また一緒に酒を飲んでいる。
別に待ち合わせた訳ではない。偶然に居合わせたからだ。
スレンとの乱闘騒ぎの侘びも兼ねて、酒場のマスターに用もあったから顔を出した。
そこで声を掛けられたのだ。
「お。旦那。一人かよ」
「あんたもか」
「まあね~。カカアと坊主は夢の中なもんでね」
カルヴィナを連れて館に帰ってから二日目の夜である。
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髪を売った経緯を聞いて寒気がした。
何だって?
知らない男に「仕事を世話してやる」と路地裏に引っ張られて行き「身体が駄目なら髪を売ってみるか」と勧められた、だと?
気が付けば菓子屋の店主――カレード(今初めて名前を聞いた)に、あの後の顛末を話していた。
「旦那のせいだけじゃなから。そんなに思いつめないでくれよ~?」
「いや。俺のせいだ。アレが髪を切ったのは俺がアレを……侮辱して傷つけたからだ」
「何!? 気にしてんのそっち!? あ、いや。うん、重要な事だけどさ。そっか~。女の子傷つけて泣かせちゃったのか。うん、うん。旦那、俺だって覚えがあるよ。物凄い罪悪感でどうにかなっちまいそうなんだよな。でもさ。いざ、謝ろうと思っても固まっちまって表情険しくなるんだよな。だから向こうさんは本気で怯えだすんだよな。あああ、なんという~苦い思い出」
菓子屋の店主は大げさに頭を抱え、カウンターに突っ伏した。
正直、鬱陶しい。
「それでどうしたんだ?」
「え?」
ちろりとこちらを窺う男の目が、好奇心で輝いてるのを俺は見逃さなかった。
「あんたは怯えられてどうしたんだ」
「ああ、なんだ。それか。そんな事決まっている!」
もったいぶるようににやりと笑いを飲み込むように、酒を呷る男を見据えた。
「誠心誠意を込めて謝り倒した。おかげで彼女は俺の側にいてくれる。俺はがんばったのだ」
「そうか」
「で、今はアレだぜ。旦那をも怒鳴りつけるカカアになったよ。やっぱ、女は子供を持つと強く変わるのな」
「そうか。子供を持つと変わるのか」
「……ええと、旦那。突っ込み所はそこかい? あんなに泣虫でたおやかだった少女が、いまやあのカカアだぜ?」
「いいと思うが?」
「嬢ちゃん見てると懐かしいよ。ちょいと羨ましいな、旦那が」
「俺は互角に物を見て、言ってくれる方が羨ましい」
「そっか、そうだよな。旦那、がんばれ~!」
「何故だろう。ちっとも励まされている気がしない」
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酒場のマスターとも少し話した。他愛のない事だけ。
弁償する金額をはっきりさせ、交渉も済ませた。
そう深酒する事もなく港町を後にする。
夜の闇は深いが、見事な満月のおかげで足元は比較的明るい。
寝静まる気配の中、馬屋へ愛馬を戻した。
そのまま裏手へと回り、勝手口から戻ろうと考えた。
馬屋から自室へはそちらの方が近い。
回り込み、角を曲がった所で思わず声を上げた。
「カルヴィナ!?」
勝手口の石段に腰掛け、月を見上げていた横顔がこちらを見た。
驚いたのだろう。
手にしていた杖が転がった。
まさか主人たる人物が、このような裏手に来るとは思わなかったのだろう。
そう思い込み、すっかり油断していたに違いない。
カルヴィナは明らかに動揺していた。
それは俺も一緒だった。
まさかこんな時刻に、こんな所に居るとは思わないではないか。
しかも薄い夜着に、ショールを羽織っただけという格好に眉をひそめた。
この娘に自衛心や警戒心というものは無いのか。
思わず問い詰めるような調子で、言葉が滑り出る。
「何をしている?」
カルヴィナの部屋は二階の奥へと移動させたはずだった。
ここまで来るのには長い回廊を渡り、階段を下りねばならない。
そんな距離も面倒にも彼女は怯まないようだ。
やはり杖も取り上げるべきか。
「あの、月があんまりにも綺麗だったものですから」
「部屋からでも見えるだろう?」
「すみません。お部屋だと木に遮られてしまって……月の光を浴びたかったのです」
「何故、そんな必要がある」
「魔女ですから」
「魔女には必要なのか」
「はい。太陽と同じくらいに必要な光です」
説明しながら、カルヴィナはさり気なくショールを頭から被り直してしまった。
それこそ見事な満月が、雲に隠されてしまったかのような感覚を覚えた。
その艶めく髪と肌を隠されてしまったのだ。
「寒いのか?」
「いいえ。そんなには寒くありません」
「ならば何故……。」
言い掛けて言葉を飲み込んだ。
月の光を浴びにわざわざ出てきたのに、ショールを被ってしまっては意味が無いはずだ。
そう言おうとして留まった。
深く身を隠すようにしながら、彼女は身体を小さく丸めている。
かろうじて覗く手指だけが月光に白く浮かぶ。眩しいほどだった。
カルヴィナは俺の目に自分の色を晒さないために、そうしたのだと気が付く。
俺が来たからそうさせたのだ。
一気に酔いが醒めた気がした。
石段に腰掛けたままのカルヴィナと、視線を合わせるために膝を折った。
「悪かった」
「え?」
「おまえに暴言を吐いた。おまえは気に病まずとも良い。もっと自由に堂々としていてくれ」
「何を仰って……地主様?」
「悪かった」
「あの、謝らないで下さい」
心底困り果てたように娘は慌てていた。
俺の差し出す指先に怯えるように身を引きながら、ますますショールをしっかりと被りこむ。
俺の指先が、ショールを払い除けようとしているのを避ける。
カルヴィナは固く瞳を閉じて、こちらを見ようとはしなかった。
「あの、その、地主様が何故、わたしごときに謝られるのですか? そんな必要はありませんでしょう?」
言葉に詰まる。
誠心誠意を持って謝り倒した。
その言葉を励みにもう一度、繰り返す。
「いや、俺が不適切であった。オマエを傷付ける権利など俺にはない。あの時はどうかしていた。許して欲しい」
「許すも何も、わたし、最初から地主様のこと、許さないと思った覚えがありません。怒っていませんから、どうか、気に病まないで下さいませ。あの、本当に地主様が謝られる事は無いのです。だって、本当の事を仰られただけですわ?」
「……。」
俺はとんでもない間違いをしでかしたのだけは、嫌というほどわかった。
こんなに心身ともに、力を根こそぎ奪われたと思った事は無い。
もっと酒を飲んでおけば良かったかもしれない。
そうすれば酒の勢いを借りて、強固な魔女の心を倒すまで謝り続けられたものを。
その晩、倒されたのは俺の方だった。
『お月さまが見ていた。』
しょうもない二人を。
謝らないで下さいって、物凄く相手を拒絶していると思うんだ。
許しませんって、言ってるようなものだよ カルヴィナさんよ?
地主、がんばって挽回してくれ。




