21 魔女と菓子屋の親子
「何だって? あろう事かロウニア家の若様かい!」
地主様がお名前を告げた途端、おかみさんの表情が見る間に険しくなった。青ざめたと言ってもいい。
なんて事だ。
大地主様の影響はやはりとても大きい。
彼の前に私ごときの意見など、吹かれて飛んでしまったようだ。
「ああ。世話をかけたな。これはもうじき公の場に出さねばならない娘だ。色々と礼儀作法なども学んでもらわねばならない、見習い中の娘だ。俺の不手際で逃げ出されてしまったが、好きにさせておく気は無い。……要らぬ騒ぎの元になるのは目に見えているからな」
騒ぎの元。
テーブルを挟んで目の前に座る地主様は、気のせいか少しためらいながら言われた。
言葉を慎重に選んでいるように感じる。
何だかそれすらも居たたまれなくて頭を下げた。
そんな様子の私を気使うように、おかみさんの手がショール越しに頭のてっぺんに置かれた。
温かい。
「まあ、同感だねと言うしかないね。確かにこのお嬢ちゃんは目立つよ」
「母ちゃん! そんな言い方って」
「お黙り、ルボルグ。母ちゃんは地主様とオトナの話をしているんだ。子供が口を挟んでいい事じゃ無いよ。ロウニアの若様よ、知らぬ事とはいえ度重なる無礼をお許しくださいますよう」
おかみさんはぴしゃりと言い放つと、ものすごく丁寧に頭を下げた。
地主様はそれを苦いお顔で見守り「構わない」と軽く手で制される。
「無礼ついでに地主様。お嬢ちゃんと最後に二人きりで話をさせてもらえないかね? なあに。余計な事を吹き込んだりなんてしないよ。ただ、女同士で話がしたいだけだ。いいかい?」
「ああ。許可する。ただし半刻以内だ。早く、館に戻らねばならん」
「心配には及ばないよ、旦那っと、地主様」
地主様とおかみさんが話している間、ルボルグ君がずっと手を繋いでくれていた。
地主様から許可を取ったおかみさんに誘われて、二階の部屋へと案内された。
当然、少し時間が掛かった。
気持ちばかりが急いた。何せ許された時間は半刻と僅かだ。
歩みの遅さで取られるなんて、何てもったいないのだろう。
「悪いねぇ。ここは流石に、地主様をお通しするにはいささか庶民的過ぎなものだから」
おかみさんはそう言って悪がったが、そんな事はけっして無かった。
「いいえ。私はとても落ち着きます」
二階がおかみさん達の生活の場であるらしい。
開け放たれた窓からは洗濯物が風に揺れている。
気持ち良く吹き込む風は、先程港で吹かれたものと同じで、少しだけ海の香りがして目を細めた。
床には大きな木箱が置かれ、乾いた土のついた芋が山積みでいくつかは直に落ちていた。
真ん中に置かれたテーブルには、カップが三つ置かれたままだった。
促がされるまま椅子に腰掛ける。
「ルボルグ。ちょっと向こうに行ってな」
「……。」
「ルボルグ」
物凄く不服そうに、ルボルグ君はふてくされた顔をした。
でもおかみさんの真剣な表情に押されたのか、素直に私から手を離すと階段を下りて行く。
扉が閉まる。
おかみさんも目の前の椅子に腰を下ろす。
足音が完全に遠ざかってから、おかみさんは私に向き合って口を開いた。
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「まずは謝らせておくれね、お嬢ちゃん。あんたがどこの誰かも知りもしないで、期待させるような事を言っちまってさ」
謝らねばならないのはこちらの方だ。
慌てて頭を下げた。
「いいえ。そんな事ありません。むしろご面倒お掛けして申し訳ないです」
「なあに。何てことないよ。よしとくれ!」
「本当に親切にしていただいて、すごく、助かりました」
ありがとうございますと頭を下げる。
上げた時には、涙も一緒に飛び散っていた。
せっかく良い人たちと出会えたのに、残念でならなかった。
「ああ、ああ! 泣かないでおくれよ。悪く思わないでおくれね、お嬢ちゃん。うちみたいな平凡な菓子屋が、地主様の所のいいこを預かる訳には行かないんだよ。あんたも薄々気が付いちゃいるだろう? さっきの色男みたいなのから、身代金目当ての不埒者にあんたを攫われたら、うちはどう責任負ったらいいんだい!?」
堪えきれずにまた泣き出す私に、おかみさんは辛抱強く言って聞かせてくれる。
「旦那っと、地主様は最後の手段としてご自分の身分を明かされたんだよ。そうでもしなけりゃ、お嬢ちゃんはウチの子になっていたもの。地主様はそれがお嬢ちゃんのためにならないとお考えになったから、そうしたんだよ。あんたが思うよりも、地主様はあんたを大事にしておられるよ」
優しい。お母さんみたいだ。そうか。ルボルグ君のお母さんだったな、と思いながらただ聞いた。
「また必ず遊びにおいで。抜け出してじゃなく、地主様とご一緒にだ」
おかみさんが優しく髪を梳いてくれる。
正直、一緒は不可能だと思ったが黙って頷いてみせた。
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ルボルグ君が下から呼びに着てくれたので、階段をゆっくりと下りる。
登るより下りる方が苦手だ。
身体をほぼ手すりに預けて、転げ落ちないように必死に足を運んだ。
杖はおかみさんが持ってくれ、ルボルグ君が付いていてくれるから心強い。
そんな様子のこちらをちらり、ちらりと見上げる地主様の視線を感じる。
正直、身の竦む思いだ。確かに気が気ではないが、今は構う所ではない。
足運びにだけ集中する。
一瞬見下ろした地主様はといえば、すっかり帰り支度を整えているようだった。
上着を着込み、マントも羽織られている。
そして手にはお菓子がぎっしり詰められた籠を持っていた。
その可愛いものは、彼にはちょっと不釣合いだった。
「リヒャエル。先に馬を飛ばして帰ってくれ。姉上たちが心配している」
お菓子の入った籠をエルさんに差し出しながら、地主様が言う。
なるほど。ジルナ様へのお土産としてお求めになったのか。
「ええ、解りました。リディアンナ様もお待ちですよ、エイメリィ様。ジルナ様も館の皆も待っております」
それを受け取りながら、エルさんがこちらを見上げて、優しく声を掛けてくれる。
リディアンナ様?
「え! リディアンナ、来てるって?」
初めて耳にする名前に、それは誰かと問い掛ける前にスレン様が声を上げていた。
「しょうがないなあ。じゃあ俺も先に戻って、この格好どうにかしないとなあ」
「リディはオマエの事は呼んでいない」
「煩い叔父様だね。リディアンナも生意気だから、こんな格好見せられない。また叔父様自慢につき合わされるのはゴメンだし」
だからじゃあ先に戻るよと言うと、スレン様はひらひらと手を振りながら店を出て行った。
「スレン。相変らず勝手なヤツ」
「色男らしいっちゃ、らしいな」
ルボルグ君のお父さん、赤毛のおじさんが感心したように呟きを漏らす。
「その色男が一目おく、リディアンナ様というのは旦那の?」
「姉の娘だ」
「姪っ子かあ」
ジルナ様の娘。
私はその一言で、何となくスレン様の様子に納得した。
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登った倍の時間を掛けて、階段を下り切った。
いつものように、地主様たちからは見下ろされる位置に戻った。
おかみさんとルボルグ君に改めて御礼を言う。
「ありがとうございます」
「元気でね。また必ず遊びにおいでよ」
「……。」
ルボルグ君はただ強く手を握ったまま、離そうとはしない。
私も何だか離れ難くて、ぎゅっと握り返した。
ルボルグ君は目を見開いて、それから顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「エイメリィ様。それではお先に失礼します」
遠慮がちに声をかけられて振り返る。
そういえば、エルさんは先に帰ってしまうの?
できればエルさんには行って欲しくなかった。
行かないでと眼差しで縋ったが、エルさんは困ったように微笑むと行ってしまった。
―――行ってしまった。
その背を見送り、絶望的な状況だと思った。
地主様と二人切り。
泣き出さない自信がなかった。
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何度も何度も心の底からお礼を言い、おかみさん一家を後にする。
急がねばますます不興を買うのは目に見えていた。
そんな彼を目にしたくは無い一心で、ただひたすらに足元だけを見つめて進む。
ただ、急がねばと焦れば焦るほど足がもつれて仕方が無かった。
おかみさんたちの言葉もあってか、彼は声を荒げる事はなかった。
でも、きっと言いたいことが山とあるに違いない。
それをこれ以上増やさないためにも、急げ、急げと歯を食いしばって前に進んだ。
泣きそうになりながらも足を引っ張るうちに、乗り合い所の看板を見つけた。
ほっと一息つく。
これからは一人で戻れば良いから、少しの間だけこの重苦しさから解放される。
地主様は先に馬でお戻りになるだろうから、ここで見送れば良いだろう。
当然のことと頭を下げた。
「乗り合い所はあちらのようですので、それでは一旦失礼します」
「!?」
告げたとたん、彼の動きが停止した。
その様子に私も固まる。
『いよいよ次回二人きり?』
食い違いの大きさは増すばかりですな。
レオナル、強硬手段に出た様子。
そういえば、おじちゃんたちにも名乗ってませんでしたね。
ルボルグ君は 淡い初恋だった事でしょう。