20 魔女と暴れる男達
視界がショールで遮られ、身体が浮き上がる。
つま先が不安定にぶらんと揺れた。
何がどうなったのか―――。
そんな疑問は囁きこまれた言葉で解決した。
「髪を、切ったのか」
「……。」
無言のまま、頷く。
何事かとそっとショールを払いのけて、彼を見た。
同じ目線よりも、少し見下ろす高さで視線が絡み合う。
間違いなく地主様に、抱きかかえ上げられているのだ。
他の誰でもない事に驚いてしまう。
何故、彼はこんな事をするのか解らない。
煩わしいなら関わらねばいいだろうに。
それで済む話だと思う。
ふいに彼のものと思われる感情に晒され、思わず眉をしかめた。
痛い。
彼の今一番感じているであるのは痛みだった。
よくよく見ればそれも当然だと気が付く。
彼の唇は切れて血が滲み、眉尻の方もかすり傷が見える。
『痛い?』
思わず、自分の慣れ親しんだ言葉で問い掛けていた。
『それほどでもない』
すかさず返された言葉も馴染みの良い古語で、私はどこか安心してしまう。
『ぶたれたら、痛いです』
そっと、指先で切れた唇を指し示す。
『ああ』
『ぶっても、痛いです』
続いてショール越しに頭を支えている、彼の腕に手を掛けてみた。
『そうだな』
『……痛い?』
『それほどでもない』
嘘だと思う。だってさっきから、彼から強く伝わってくるものは痛みだもの。
何だろう? 男の人というのは、こうやって強がるものなのだろうか。
大きな手のひらで頭をすっぽりと覆われて、逸らそうにも目を逸らせないので彼の瞳を覗きこむ。
不躾かと思ったが、別段お怒りではないようだ。
『カルヴィナ』
『はい』
『帰るぞ』
『いいえ』
間髪いれずに首を横に振る。
ますます彼の瞳の鋭さに射抜かれるかと思った。
『……いいえ』
それでも頑として拒否の構えを表す為に、首を横に振る。振り続ける。
何故、帰らねばならないのだろう?
そこは譲れない。でも怖い。彼の機嫌を損ねるのは、とても怖い。
睨みつけて視線だけで責めて来る、彼の放つ感情の波に攫われるのは、とてもじゃないが生きた心地がしない。
怯えて目を固く閉じて、身を縮める。浅く呼吸を繰り返す。
しばらくそうしていた。
『カルヴィナ?』
ふいに名を呼ばれ、遠慮がちに頬に手を掛けられた。
俯いていた顔を上げさせられる。
触れられた事でより一層、彼が感じているであろう疼きにもう一度尋ねずにはいられなかった。
『どこが痛いのですか?』
ショール越しに彼の吐息が額の上、前髪の生え際を掠めた。
途端に周りから大きな声が上がった。
「おおおおお!!! 何だよ、何だよ! 旦那―――!!」
「俺が悪かった! 旦那の大事な嫁っこには、触らせませんってか!? なあ、みんな?」
「羨ましいぜ、こんちくしょう!」
「若いっていいなあ」
その時は本当に周りの目を忘れていた。
きっとショールに包まれていたせいだと思う。
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「おや旦那。男っぷりがあがったじゃないか」
おかみさんが陽気に笑った。
おそらく旦那さんなのだろう。赤い髪のおじさんも一緒に笑っている。
そっと窺う地主様はといえば、左の唇の端は切れているし頬だって腫れている。
いい加減、下ろしてはくれないのだろうか。
まるで子供扱いだ。異を唱えようにも、それもそうかと思った。
彼にしてみたら、自分は手のかかる子供と一緒だろう。
よくよく考えてみれば、ジルナ様の私に対する扱いもそうだったと思い当たる。
確かに子供が身寄りも無く、一人でふらふらしたら少しは気に掛けるものだろう。
そう推測し納得したので、大人しく彼に抱きかかえ上げられていた。
いくらか身を任せる事にした方が、この場も早く収まるかもしれない。
そうも思ったからだ。
「はいよ、これ。酒場のマスターから請求書」
「ぼったくりすぎだ。見世物にしてやった分、観客どもからしっかりせしめただろう。それで充分つりがくる」
ぽい、と請求書を放る地主様に驚いた。
「スレンに回せ」
少し離れた所から「ふざけるな!」という怒声が届いた。
「これだけ離れているのに、耳の良い奴」と地主様は、ぼそっと呟いていた。
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抱えられたまま、おかみさんのお店に戻った。
さっき案内してもらった、お店の奥の部屋に皆でお茶を飲んでいる。
何ともいえない雰囲気だった。
地主様とスレン様とが増えただけで、部屋が狭く感じる。
「そう。フルルはここのおかみさんの所で、住み込みで働くんだ?」
「はい!」
こくこくと頷く。
「何をして働くの?」
「えっと、お菓子や飴を売りに行ったり、色々。できる事、全部です!」
決意も新たにそう力強く言いきった。
地主様が見ている。
しっかりしなくては、いけない。
なるべく、気を強く持って言い切ったつもりだ。
その途端、スレン様とやらはものすごく綺麗に笑った。
寒気がした。
嫌な予感が身体を貫く。この感覚は見過ごしていい物ではない!
一刻も早く、引かねばならない。
本能がそう告げてくる。
「そう。ボクは毎日、買いに行くとするよ」
「……いえ」
「何? 未来のお得意様を拒否しちゃうの?」
「い、」
手を掴まれた!
それだけで冷水を浴びせかけられたかのように、凍りつく。
「さっそく可愛い売り子さんをお買い上げするとしよう」
腕を掴まれ、引き寄せられる。
椅子から転げ落ちる手前、またもや抱え上げられていた。
「嫌です」
「ん、かわいい」
「スレン!!」
助けて、と叫ぼうとして声が出なかった。
恐怖もあったが、誰に助けを求めようというのかと思ったからだ。
誰に?
そう思ったから耐えるべく身を固くした。
「ぐっ」
「スレン。何ならここで完全に勝敗をつけるか?」
驚くほどの素早さで、地主様はスレン様のわき腹に拳を当て込んでいた。
スレン様の腕がゆるんだその隙に、すかさず足払いまでお見舞いし、あっさり私をまた抱きかかえた。
そうして密着してしまうと、私もまた同じように繰り返してしまう。
『まだどこか、痛いのですか?』
地主様は小さく「いいや」と答えるだけで、やはり認めようとはなさらなかった。
どうしてこの方は痛みを認めないのだろう。
やはり、人前では弱みを晒さないと決めておられるのかもしれない。
「え、フルル? そう尋ねる相手を間違っていないかい?」
スレン様がこちらに両手を広げながら言う。
それに対して地主様が背を向けて、私を庇うようにして無視した。
「カルヴィナ。これで解っただろう? このおかみの所で奉公することは許可できない」
「だって、働かないといけません。いいえ、ここで働きたいのです」
「許可できない。聞き分けなさい」
「え~? 何で~ぇ? 横暴だな、地主様はさ」
そうだそうだ。横暴だ。こっそり頷いてみた。
スレン様もたまには良い事を言う。
というよりも今、初めて良い事を言った。
「スレン。オマエは黙れ。そして何故ここにいる」
「え。フルルがいるから」
地主様はまた私を椅子に落ち着けると、無言でスレン様の胸倉に掴みかかる。
その度におかみさんが「うちの店で暴れるな!」と取り成してくれる。
店番しながら、戸口で覗いているおじさんは「若いっていいなあ」と楽しそうに繰り返す。
ルボルグ君はむすっと押し黙っている。
しかし手元には、先程打ち鳴らした鍋と棒を持ったままだ。
そんなやり取りの繰り返しだ。
『ある意味勝敗を決めるのは君だ!』
何だこの仮タイトル。
毎度どうもでございます。
少しは歩み寄れた気がしませんか。
歩幅にして、一歩の二分の一くらい。
一歩にも満たない、微妙な距離を二人は行ったりきたりするようです。