19 地主と色男
「またキサマか!」
「だってさ。障害があった方が燃え上がるでしょ?」
何の話だ。
問い掛けるのも馬鹿らしい。
コイツを面白がらせるだけだ。
憤りに任せて立ち上がった。
「もう一度言う。呼んでいない。何をしにきた!」
諸悪の根源ともいえる、スレンを睨む。
「だから来て上げたんじゃないか。フルルはどこにいったの? 何、帰らないって言ってごねてるの?」
「貴様には関係ないだろう」
「おぉ? なんだ、なんだ。色男は恋敵ってやつか? 旦那」
オヤジたちが控えめながら野次を飛ばす。
いつ何時でも他人の事情に興味津々らしい。
目線だけで黙るように促がすと「おお怖い怖い」と、言いながら首をすくめて見せられた。
しかし視線を逸らす様子は無かった。
それを忌々しく思いながら、今はスレンへと向き直る。
「何の用だ」
「決まっている。フルルを迎えに来たんだよ。きっと君の所には帰らないって、泣いて拒否するだろうなって思ったからさ。……年頃の娘の容姿をとやかく言う男の側に、とてもじゃないが女の子を置いてなんておけないよ。ねぇ?」
スレンがふざけた口調で飲んだくれのオヤジ共に尋ねた。
「旦那、そいつは本当の話なのか?」
「嬢ちゃんに何て言っちまったんだ」
「旦那!」
「……。関係ないだろう」
「フルルのこと、みっともないカラス娘で貧相だって言わなかった? あ。そうそう。あと、確か足を引き摺って歩く障害者って言ってたよね」
「旦那!」
赤毛の男が立ち上がった。
そのまま胸倉を掴みあげられるが、そのままにしておいて睨み返した。
「何だ」
「歯ぁ、食いしばれ!!」
近距離で拳を振るわれた。
だが殴られたのは右頬の方だった。
男は左利きなのか、加減したのか。
それでも血の味が口中に広がる。
「旦那、本心か? つい、からかって言っちまったんだ。そうだろ?」
「アレが貧相なのも足を引き摺って歩くのも、事実だから口にしたまで」
「旦那! しっかりしてくれよ! そりゃ、嫁っこも愛想を尽かすに決まっているだろうがよ」
今日はよく張り倒される日だ。
当然だと思う。
何故かこの男に殴られた右頬よりも、娘に張り倒された左頬がよほど疼いて仕方が無い。
このオヤジには一発、黙って殴らせたが好きにさせる気は無い。
無抵抗な俺に反省の色を読み取ったのか、男の腕が離れた。
唇を拭うと、スレンに向き合う。
「それをわざわざ娘に聞かせるようにしたオマエも同罪だろう」
「あれあれ? 八つ当たりはみっともないな、レオナル」
言いながら、スレンも上着を脱いでいた。
「何故、アレをフルル等と名づけた?」
「ん? だって震えながら歩くんだもの。産まれたての子犬みたいにね。可愛いじゃないか。ぴったりでしょ?」
「うわあぁ! 色男も大差ねぇな! 旦那、やっちまえ」
言われるまでも無い。
そのまま殴り合い。
スレンの足癖の悪さも加わる。
腕より足のほうが長さがある分、攻撃範囲が広がる。
だが安定さは若干失われる。
そこをつくべき隙として拳を振るう。
「やだなぁ、レオナル。素直に無様に転がれば良いのに」
「断る。オマエこそ大人しく殴られろ」
「ボクだってお断りだよ!」
酒場の亭主は諦めたように、目配せをひとつ送って寄こした。
それを合図と受け取ったのか、オヤジどもはテーブルと椅子を端に寄せだした。
酒場の亭主は亭主で、ジョッキに酒を注ぎ客に回すという手際の良さ。
明らかに手馴れている。
かくして野次馬たちも駆けつけて賭けが始まる、乱闘騒ぎとなっていた。
・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:*:・。・
ガン! ガン! ガン! ガン――――!
先程と同じように大きな音が鳴り響く。
同じように少年が鍋底を棒切れで打ち鳴らしていた。
「そこまで―――!! これ以上騒ぐなら、自警団の兄ちゃん達を呼ぶ!」
『ルボルグだ!』
『フォリウムん所のおかみも来たぞ!』
つかみ合っていたスレンと距離を置くべく、蹴り飛ばしてやった。
鳩尾を狙ったのだが、ヤツは腕ですかさずガードしてきた。
それでも充分、間合いが取れた。
さっき頭の方に一発お見舞いしてやったせいか、奴の足元はふら付き始めていた。
反撃の威力も弱まってきているなら、勝負はもう着いている。
そろそろこの騒ぎを収める頃合だろうと考えていたから、ちょうど良かった。
それでもまだスレンの瞳を見れば、引く気などさらさら無いのは明らかだ。
やや離れた所で見守っていたリヒャエルに、目配せを送る。
リヒャエルは素早く頷いたと同時に動いていた。
奴を後ろから拘束する。
「何のまね?」
「そこまでです、スレン様」
「もういいだろう、スレン。勝負はついたはずだ」
「嫌だ。まだだね」
「スレン。いい加減にしろ」
顎をしゃくって、観客たちへと視線を促がした。
皆、一様に頷き合って見せる。
「色男、もう充分闘っただろ? もうこれ以上は、よしなって」
「そうだ。無益な闘いは深追いしちゃなんねぇ! なぁ、マスター?」
この騒ぎの中、黙々と一人カウンターで働いていた酒場の亭主は静かに告げた。
「どちらもお見事。よい、引き分けでした。次があるなら、うちの店以外の場所でお願いしますよ」
「っ……くそっ!!」
悔しそうに毒付く奴に、いつもの取り澄ました様子は見られなかった。
「ったぁっく!! アンタ――!」
おかみの怒声に、ばつが悪そうに赤毛の男は立ち上がった。
「アンタが付いていながら、騒ぎを起こさせて。何やってるんだい!」
「いやあ、コレはだな。嬢ちゃんを巡っての男同士の真剣勝負だからな! 邪魔せず見守ろうっていう計らいだ」
「やかましい! 昼間っから赤い顔をしている奴に、説得力も何もあったもんじゃないよ! 旦那たち、そこまでだからね。これ以上騒ぐなら他所でやりな。もっともそうするって言うのなら、お嬢ちゃんはうちで預かるからね?」
おかみからも念を押されて、スレンも渋々頷くしかないようだ。
わかった、わかった降参したと、両手を小さく上げて見せた。
リヒャエルの拘束する腕をふり払うと、亭主の差し出す杯を受け取る。
「何だよ、水かよ!?」
スレンは口を付けた途端、亭主に食って掛かっていた。
「当たり前でしょう。流血しておられるんだから、やけ酒はもう少し待ちましょう」
「誰がやけ酒だって!?」
「まあまあ、兄ちゃん! 後で俺たちが奢ってやるからよ。旦那に賭けて勝った金で」
「色男~。てめえに賭けて負けた分、こっちに奢りやがれ~!」
「ふざけるな!」
酒場の亭主と野次馬との掛け合いのおかげか、どこか緊張も溶け始める。
そんな喧騒が一瞬で止んだ。
「おい、見ろよ」
誰彼と無く酒場に現れた、場違いにも程がある華奢な人影に注目していた。
相変らず人目を気にしてか、ショールを深く被っているが一目で少女と解る。
杖を突きながら、ゆっくりと俯き加減だった視線を上げた。
その途端、この場に集まった者達が息を飲む。
「あの……。」
よせ。
止めろ。
しゃべるな。
そう願ったが口にするワケにも行かない。
そんな事を口走ろうものなら、また差別だ何だと横っ面を張り倒されるに決まっているからだ。
歯がゆかった。
別に殴られる事に対しては、どうということは無い。
そのせいで、娘に要らぬ想いをさせたくは無いという気持ちの方が強かった。
心地よく吹き抜けるそよ風にも似た響きが、予想通り辺りに清涼感を撒き散らかす。
「うわあ、今日の騒ぎの噂の、お姫さんの登場かい!?」
「大のオトナの男二人を、狂わせちまったお嬢さんの登場だ」
「旦那の幼な妻のお嬢さん!」
「若いっていいなぁ、ちくしょー! 羨ましいぜ」
娘がためらいがちに何かを言いかけた途端、一気にまた騒がしくなった。
嫌な予感がして、急ぎ娘の側に歩み寄る。
・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:*:・。・
「お嬢さん! 恥ずかしがっていないで、その花の顔拝ませておくんなよ!」
酔っ払って調子に乗ったオヤジの一人が、娘のショールに手を掛けていた。
「あのっ! 嫌っ、やめて!」
娘が困惑し、拒絶の声を上げたが遅かった。
強引にショールは取り払われ、娘は身を震わせて目蓋を閉じ、身体を小さく丸めてしまう。
杖が転がる音が、嫌に甲高く響くのはどうしてだろうか。
娘の頬の線を、ゆるやかに波うつ黒髪が覆った。
「!?」
(何――? 髪をどうしたという……!?)
まとめ上げられていたとはいえ娘の髪は、解き放てば背の中程までの長さがあったはずだった。
今日一番の衝撃を覚える。
娘の髪が記憶にあるよりも、遥かに短く切り揃えられていたせいだ。
気が付けばそのオヤジに一撃食らわせた後、ショールを奪い取り、娘を庇うように頭から抱え込んでいた。
『ケンカは両成敗です。』
手馴れている酒場のマスターが、この話の影の主役のような気がしてなりませんでした。
そんなことはどうでもいい。
おやっさんたちが、しょうもない。
レオナルは意外に強い。
スレンも案外強いほうです。
なのに二人とも、女の子に対してなっちゃいない。
拳で語り合えない人種は苦手なようです。しょうもない。