18 魔女とおかみさん達
「お嬢さんは自分がどうして出てきたのか、わかっているんだよね?」
はいよ、と温かなお茶の入ったカップを手渡されるのと、質問は同時だったのでいささか反応が遅れた。
もちろんだ。
こっくりと頷く。
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地主様に嫌だ帰らないと泣いて訴えていたら、いつの間にか人だかりが出来ていた。
それをとりなしてくれた、おかみさんが優しく微笑み掛けてくれた。
つられて微笑むと、少し驚いたように目を見張られた。
濃い紫色の瞳は、春の野辺のスミレの色だった。きれいだなと見入った。
おかみさんの家は飴やお菓子を売っているそうだ。
お嬢ちゃんは広場を抜けた先の神殿に行った事はあるかい?
女神様への捧げ物に、うちの飴も一役買っているんだよ。
何、行った事が無いって?
そうかい。後で、見にいくかい?
神殿前の広場には市も出ているんだよ。
通ってきたって?
何か買った? え、パンを。そうかい。
道々、歩きながら色々説明してもらった。
小さい子にするように手を引かれ、お店につれて来てもらった。
扉を開くと、カラランと鈴が鳴る。
甘い香りに出迎えられて、ほっとした。
ささくれ立っていた心も少し落ち着いた気がする。
そのまま手を引かれて、お店の奥の方に案内された。
「わたしは店番しとくから。まずは二人とも、お嬢ちゃんを任したよ」
「ありがとう。交代でやろう」
「当然!」
三人いるおかみさんのうち、一人のおかみさんはそういって手を振った。
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「さっきはうちの息子があんたに失礼をしたってね。怪我はしなかったかい? ルボルグ、ほら! ちゃんと謝りな」
「……。」
一番うしろを黙って付いてきていた少年は、戸口に背を預けてむすっと押し黙ったままだ。
赤みの色濃い茶髪の少年は、なるほどおかみさんに顔立ちが似ている。
やはりぶつかった後、杖を差し出してくれた少年に違いなかった。
少しそばかすの散った鼻の頭を掻いて、黙ったまま口を開こうとはしない。
この少年も怒っているのかもしれない。
何であれ、助けようとしてくれたのに嫌だなんて言ってしまったから。
先程、地主様を勢い良くなじった勇気には驚いた。
「あの、ありがとう。助けようとしてくれて。さっきも杖を拾ってくれて、ありがとう」
私の方も悪かったし、御礼がまだだったのでそう口にした。
「オマエ! ばかじゃねぇのか? さっきのは俺らがわざとやったんだ!」
「……。」
やっぱり、そう、わざとだったようだ。
カラス色が不吉に映って不快にさせたに違いない。
深々とショールを羽織って頭を隠した。
「ルボルグ~? いいのかい、そんな言い方して。あんた、あの旦那を見て何か学ばなかったのかい? 後悔するのはアンタだよ」
「痛ぇ! 痛えって母ちゃん、耳引っぱるなよ!」
「お嬢ちゃん、うちの子もあんたに悪さをしたらしい。申しわけないよ。しかも、あいつ~! 逃げやがった。今日は夕飯抜きだ」
「いえ、あの、そんな……。私は大丈夫ですから、頭を上げてください!」
慌てて立ち上がろうとして、うまく足に力が入らなかった。
そのまま、またバランスを失って後ろに倒れこむ寸前で、少年が回りこんでくれていた。
少年とは言えさすが男の子だ。
難なく私を支えてくれている。
「ありがとう」
「……別に」
「でかしたルボルグ」
「ああ、大丈夫かい?」
優しい少年と、おかみさん達だ。
ありがたいな、と思った。
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「お嬢ちゃんを迎えに来た旦那、謝ってたね」
そこも不思議だった。
私が謝るべきだろう。
咄嗟の事とはいえ、彼を叩いてしまった。
私の方こそ、叩かれるべきだろうに。
憂鬱な気持ちで俯くと、頭をぽんぽんと優しく叩かれた。
「もう一度、訊くよ。お嬢ちゃんはどうして出てきちまったのか、自分で答えが出ているんだね?」
「はい」
どうしてそんな事を訊くのだろう?
そう思ったのが顔に現れていたらしく、気使うような笑みを向けられ、優しい口調で宥められた。
「うん。初対面でこんな事きいてごめんよ。たださ、あの旦那は今ひとつ解っちゃいないようだったからね」
「そうそう。どうしてお嬢ちゃんが、自分の元を出て行くなんていう行動に出たのか。ちょっと、よく解らない顔をしていたように見えたからさ。あれはよろしくないよ。これから先が思いやられるね」
「?」
どうして「よろしくない」のだろうか?
ますますワケがわからなくなって、首を傾げるより他に無かった。
やはり私が馬鹿だということなのだろうか?
「あのさ……。お嬢ちゃんは、どうして旦那を置いて一人で出てきちゃったんだい?」
遠慮がちに尋ねられた声に、きっぱりと答える。
「私がみっともないカラス娘で、彼には目障りでしかないからです」
そう。この一言に尽きる。
「えええええ!」
「はぁあああ?」
とかいう声で叫ばれた後、正気かと尋ねられた。
はい、と答える。
「それでも一応は夫婦なんだろう? あんた達」
「え? 私はただの召使いですよ」
沈黙が降りた。
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おかみさん達が、何故そのような考えに至ったのか謎だった。
地主様と、ただの貧しい村娘の私が並ぶと、その差が際立つと思うのだが……。
やはり、彼の側を離れて正解だったと強く確信した。
地主様のお友達の方も、甚だしい誤解をされていたようだったもの。
あれはご友人が地主様をからかう話のタネなのだと解釈していた。
しかしどうやら、彼の側にたとえ貧相であろうとも年若い娘がいれば、他人はそのように見てしまうものらしい。
初対面のおかみさん達ですら、そのような見方をするのだ。
世間というものは全くもって理解できないし、難しい。
でも、そういうものなのかもしれない。
私が世間に疎いだけなんだと思う。
それはさぞや地主様の体面を傷つける事だろう。
地主様がお怒りになられる訳だ。
全力で否定されたのも頷ける。
「彼にお金を返さなければならないのですが、私はお金がありません。ですから、働かなくてはなりません。足りないお金の分、役に立てといわれたのに。でも私は何もうまく出来なくて、面倒だとよく言われました。だから出てきました」
「ええと。お嬢ちゃん。ちょっとばかり、はしょり過ぎじゃないかな~?」
「そうそう! その結果に至るまでの経緯をおばちゃんたちに話して聞かせて!」
これ以上、うまく説明できなかった。
今まで話したそれが全てだ。
それでも決定的な何かが足りないらしい。
必死で言葉を探った。
「私が彼の側にいると、あらぬ誤解をされてしまうようで、迷惑をかけるのです」
「誤解?」
「はい。私のような娘に、誰がなびくかと仰っておられました」
「旦那はそんな事を、言ったのかい。まさか!」
「足を引き摺って歩く障害者で、みすぼらしいと」
「……。」
「ええと。それでなくとも私は、真っ黒のカラス娘なので、くだらないそうです」
ふいに涙が零れてしまった。
ぽろ、ぽろと。
慌てて頬に手を添えた。
涙が零れるたび、胸が痛い。
胸が痛むから、涙が零れ始めたのだろうか?
胸にも手を当てる。
「っだよ! それ! あのおっさん、やっぱり殴っておけば良かった!」
急に少年が声を荒げたから、身体が跳ね上がってしまった。
「ルボルグ! 母ちゃんもちょっぴり同感だけど、暴力は駄目だからね」
「わかってらぁ」
「言葉も使い方を誤まると暴力だからね。心しなよ?」
「わかったよ」
「お嬢ちゃん、悪かったよ。辛いこと、無理やり思い出させて……。コレ飲んで、これをお上がりよ」
そういってお菓子を手渡された。
やっぱり小さい子にするみたいにされて、少し笑ってしまった。
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「じゃあ、おばちゃんちの子になるかい?」
「え?」
「住み込みで働くかい?」
「はい!」
「おや。良い笑顔だ」
おかみさんに苦笑されてしまった。
「はてさて、困ったね~。ためらいなく頷かれちまったよ」
「足は悪いから走れませんが、歩けます! 一生懸命働きますから」
「ああ、いやいや。違うんだよ。あんたに困ったと言っている訳ではないんだよ」
「あの若旦那に、後であんたを迎えにおいでって言っちゃったからね」
「大丈夫です。私の身のふり方を聞いてもらったら、きっと納得して置いて行ってくれます!」
「あやや……。言い切るんだねぇ」
「はい」
「あのね~? あの旦那にとってお嬢ちゃんがただの召使いだったとしたら、最初から迎えになんて来なかったと思うんだよね。おばちゃんは」
「それは、お金を納めないまま逃げ出したと思われたから、探しに来ただけだと思います」
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カラララン、と少し遠く鈴の音が聞こえた。
お客様だろう。
皆、そう思ってあまり気に留めなかったようだが、足音がこちらに近付く。
「母さん!」
金髪に薄灰色の瞳という、もう一人のおかみさんとよく似た少年が飛び込んできた。
「ルイ! おまえは今頃~! 女の子に悪さして、そのまま逃げるたぁいい度胸だ。情けない!」
確かに先程の集団で見かけた気がする。
しかしすぐに走り去っていったので、あまりこの少年には見覚えが無かった。
「悪かったって。ごめん」
「まあ、戻ってきて謝ったから、よしとして……やっておくれね?」
「はい。もう気にしないで下さい。大丈夫ですから」
頷いて微笑む。
ルイという少年が、恥ずかしそうに視線を逸らせる。
何やらルボルグ君と小突きあい始めた。仲良しだな。
「ルイ、おまえ慌てていたみたいだけど。もう用は済んだのか?」
「そうだ! ルボルグ、母さん達、大変だって!」
「何が大変なんだい?」
「さっきのおっさんと父ちゃんたちが、酒場で暴れているんだよ! マスターにあんまり騒ぎになる前に、母さんたち呼んできてくれって言われて俺、走ってきたんだ!」
「え?」
ぽかんとしてしまう。
地主様が酒場で暴れている?
また何か私の事でからかわれて、我慢なら無いくらい頭にきたのだろうか。
動揺して、思わず立ち上がってしまった。
「それ、本当?」
「本当。何か若い兄ちゃんが来てから、殴り合いになったって」
「何、やってんだ昼間っから! もう!」
「ったく、男衆はこれだから~世話が焼けるったらないよ!」
おかみさん達は、盛大にため息をついて腰を上げた。
『これ書き始めた日付、今年の四月になってましたよ。』
ネタ(だけ)は 早い段階で出来上がっていた様子です。
書き足し、書き足し、全然別物に変化。
あ~。
こちらも負けじと世話焼きがそろっております。
こういう、下町人情的な所を書くのが好きです。
おっさんと少女は、周りから色々構われる運命です。