16 地主とその姪っ子
レオナル……。
( 遠 い 目 。)
館全体が忙しない雰囲気に包まれている。
仕え人たちが忙しなく動き回るのはいつもの風景だ。
ただその者達の心が騒がしいのだと思う。
それが館全体に流れる空気までをも、落ち着きの無いものにするのだ。
例えば行き交う靴音や、扉を開け閉めする音に荒々しさを感じる。
日常から耳にしているだけに、違いが嫌というほど伝わってくる。
(何か、あったな)
動揺するような、何かが。
急ぎ身支度を整えていると、リヒャエルがいつになく慌ただしい様子で扉を開け放ってきた。
こちらの返事も待たずになので、よほどの緊急事態だと覚悟した。
「失礼致します!」
「何事だ?」
手袋をはめながら問い掛けた。
「エイメリィ様がお部屋にいらっしゃいません」
「何?」
「館をくまなく探させてはいるのですが、どこにもお姿が見えません。そして書置きがありました」
差し出された書置きを奪う。
『足りない税金は、働いて必ず納めます。』
少し空けて書かれたその一文は、俺に当てたものなのだろう。
娘のためらいがそのまま伝わってくるかのような、か細い文字だった。
『さようなら』
その一言が、何より胸に突き刺さった。
何故かしら、止めを刺された気がする。
確実な一撃をくらった気分の悪さにも匹敵するほどの、この威力は何なのだ。
(……夜露の魔女め)
夜露は朝日と共に消えたとでも言うのか。
「…………。」
「失礼ながら、エイメリィ様の足ではそう遠くへは行けないと思ったのですが……。どこにも姿が見当たらないという事は、外に出られたと考えた方がいいようです。森に戻られたかもしれないと思って、馬を飛ばさせました。何名かで捜索させ、一人は森の家に待機するようにと命じてあります。レオナル様?」
「ああ。ご苦労、リヒャエル」
いぶかしむ様に名を呼ばれ、意識を手紙から引き剥がす。
リヒャエルを見ると、そこには責めるような眼差しがあった。
「レオナル様、お覚悟を」
「何の覚悟が要るという?」
「色々とでございます」
ばか丁寧にそう告げられ、苦々しい想いでもう一度娘の書置きを見つめた。
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「レオナル! あなた、最低っ!!」
朝一番で乗り込んできた(間違いなくリヒャエルの手配だろう)姉に張り倒された。
当然だと思う。
姉は書置きを読んだとたん、激昂した。
そして泣き出した。
それを慰めたのは、姪のリディアンナだ。
自分の母親と俺とを代わる代わる見上げる。
その深みのある鳶色の瞳にも、動揺が見て取れた。
だがそればかりではない、強さがあるのもまた確かだった。
姉によく似た、気の強さがそのまま現れたかのような切れ長の瞳は、少女を大人びて見せている。
それは彼女の瞳が、人よりも多くのものを見せてしまうせいかもしれない。
リディアンナは遠視が出来るのだ。
遠くにいる者の姿を視たり、失せ物の在りかを視たりといった稀な能力の持ち主のリディアンナ。
それはロウニア家に時折り現れる、血筋によるものだった。
無闇に能力を使ったりしない、頼りにもさせないのが彼女の決めたルールだ。
そんなリディが進んでここに来たという事は、頼らねばならない状況だと嫌でも知れる。
「落ち着かれてください、お母様。さ、そのお手紙をわたくしにお見せになって?」
姉は無言で書置きを差し出した。
代わりにという訳ではないが、俺が頷いて見せる。
「頼む」
リディアンナはしばらく書置きを眺めてから、くるくるとよく動く子リスのような瞳を伏せた。
心持ち、俯くように頭を垂らす。
彼女もまた、髪を結わずにここに駆けつけて来てくれた。
姉とおそろいの茶髪が頬をかすめ、書置きに毛先が触れる。
集中している時のリディのまとう雰囲気は、厳かで犯し難い何かがある。
姉が少女だった頃とまるで同じリディの姿は、いつ見ても不思議な気持ちにさせる。
その横顔を見つめた。
リディの邪魔をしないように、大人三人は黙り込み、待つしかない。
気配すらも押し殺すようにする以外、何の手伝いも出来ないのは不甲斐ない。
突然、リディアンナがひっと息を飲み、慌てたように瞬く。
「大変です! 叔父様、お急ぎになって。叔父様の夜露はガジルールの港、ローダリア行きの船に乗ろうとしている所が視えます!」
「ローダリア、だと!?」
山一つ挟んだ隣国の名に、背筋が凍った。
今は停戦中とは言え、いつまた戦火が上がってもおかしくない状況の国なのだ。
何だってそんな所に向おうというのか。
娘の無謀な行動は、まるっきり自殺行為でしかない。
「馬の用意をさせろ! 俺が港まで飛ばす。リヒャエル、引き続きここで指揮を執れ。森へも念のため待機させたままでおけ。三刻しても俺が戻らないようなら、街におまえも来てくれ」
「かしこまりました。まずは、お一人で向われるのですか?」
供を付けずに行くのか、と言っているのだろう。
「ああ。その方が早い。リディアンナの遠視は確実だから、捜し歩く必要もなかろう。人手は他に回せ」
「私も行くわ。馬を用意なさい、レオナル!」
「お言葉ですが、姉上」
「聞こえなかったの、レオナル!? こんな気持ちにさせたまま、この子を行かせて良い訳が無い!」
髪も結わず、家を飛び出してきた姉に返す言葉が見つからなかった。
「……。」
「何とか言ったらどうなの、レオナル?」
「もちろん、このままローダリアになど行かせる訳が無い」
「ええ、そうですよね! 叔父様。もちろんですわ。ねぇ、お母様?」
リディアンナが気を使いながら、姉の手をそっと取った。
「お母様。わたくしたちでは足手まといですわ。叔父様の乗馬の腕前をよぅくご存知でしょう? 大丈夫。叔父様はちゃんとカルヴィナを無事に連れ帰りますわ。ですから、待ちましょう? そうして叔父様がカルヴィナにイジワルをしないように、見張るとしましょうよ。ああ、そうだわ。彼女が帰ってきた時のために温かい食事と、おいしいお菓子を用意してお待ちしましょう? ちゃんと、わたくしの事を紹介してくださいね」
娘に慰められて姉は落ち着きを取り戻したようだ。
こくんと子供のように頷いて見せた。
「あの子はちゃんと帰ってくる……。それも遠視なの、リディアンナ?」
「さあ、どうでしょう? わたくし叔父様を信じておりますから、視る必要がないと判断いたしましたの。ですから、そこから先は視ておりません。ねぇ、叔父様?」
リディアンナも安堵したように微笑んで応え、こちらに目配せを送ってきた。
ここは任せて早く行け、という事なのだろう。
急ぎ、外套を羽織り部屋を飛び出した。
「恩に着る、リディ」
齢十三の姪っ子には、いつも頭が上がらない。
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館から馬を飛ばして大よそ一刻後に、ガジルールの港町に着く。
街中では馬は飛ばせない。
預かり屋に任せて、港までは走った。
辺りを見渡すと、ふらふらとおぼつかない後姿を見つけた。
大きなショールを頭から被っているが、間違いが無い。
商工会議所の建物へと入って行った。
もちろん、追いかけた。
「この船はどこに行くのでしょうか?」
―――この馬鹿!
乗船券を求めるついでに、行き先を確かめる娘に思わず怒鳴りつけていた。
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しまったと思ったが、何もかもが遅かった。
「帰るぞ!」
「嫌、嫌、嫌―――っ!!」
娘は大声で泣き出し、今までに無いほどの拒絶ぶりを見せている。
俺の伸ばした腕を振りほどこうとしてバランスを失い、その場で座り込んだまま泣きじゃくる。
やはり、姉も同行すれば良かったかも知れない、等と考えている場合ではない。
娘の傍らに膝を付いた。
「何だ、何だ? 人さらいか?」
「いや、痴話げんからしい」
「かわいそうに。女の子、怯えちゃってるじゃないか」
「ありゃ、男が悪いよねぇ」
「ブキヨウなんだろう。旦那、がんばれ!」
「およしよ、全く! お嬢ちゃんは本気で怯えてるよ。かわいそうにね」
そんな野次馬達の言葉に晒されながら、非難の視線をいっせいに注がれた。
「いいから、行くぞ! 立て、これ以上面倒をかけるな」
勢い良く引っ張り上げると、娘の手にしていた杖が転がった。
娘はたちどころにバランスを失い、立っていられなくなった。
己の体重を支えきれないのだから、当然だろう。
掴みあげられた左手首だけでどうにか身体を起こしている状態は、誰がどう見ても不自然極まり無い。
自分で満足に立つ事も出来ない娘に立てと、面倒をかけるなと声をかける方がどうかしている。
それでも娘は、かろうじて自由な方の右手で杖を取ろうとしていた。
恐らく俺が命じた事を実行するために。
立てと命じられたから立とうとして杖を求める。
しかし片手を男に囚われているから、右手は空を切るばかりだ。
その両脇をすくい、抱き上げようとした途端、ぱん! と小気味良い音が響く。
良い音がした。
娘から平手打ちをくらったのだ。
驚いた。
俺以上に娘の方が驚いたように、瞳を見開いていた。
「……。」
「っ!」
野次馬たちからも「おおおぉ!?」という、どよめきが上がった。
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嫌、嫌、放して、帰らない、構わないで、ちゃんとお金は返しますから。
娘は泣きながら、たどたどしくも訴えを止めなかった。
腕を引き抜こうと必死で、身を引くのも止めない。
声がかすれ始めても、止めようとしなかった。
「……悪かった。俺が悪かった。頼むから泣き止んでくれ」
そう詫びた途端、周囲からはまた感嘆の声が上がった。
いくつかの拍手とともに。
『焦る地主とその姪っ子。』
まんまの仮タイトルです。
まずいな、レオナル、へたれじゃん!
でも、素直に謝る事が出来るのは美点だと思うよ。
すぐ、怒鳴るからマイナスだけど。