126 シュディマライ・ヤ・エルマとスレン
『それは森の神の……面』
忌々しそうに呟くスレンを仮面越しに睨みつける。
祭壇を背に奴の前に立ちはだかるべく、待っていた。
奴は必ずここに来るから、と。
『そうだ。今一度シュディマライ・ヤ・エルマとして我が半身、真白き光を迎えにきた』
お互い、一歩たりとも引く気はない。
剣の柄に手を掛けると、傍らの存在が怯えたように身を引いた。
目を引かれずにはいられない。
――美しい。
スレンに手を引かれた少女のまとう衣装は、繊細なレースが重ね合わされたもの。
髪には白い花を差し飾り、サークレットで押さえたベールが肌を透かし見せている。
忍び寄る冷気から体を守るためだろう、肩に掛けられたショールもそれらに合わされたレースのようだ。
彼女がほんの少しでも身動ぎする度に、それら全てが風をはらんで誘う。
こんな時だというのに見とれ、そして嫉妬した。
――その装いは我のためであるべきだ。
『何そのイかれた格好? 花嫁をさらいに来たとでも言うのか、森のケダモノ』
自身の白を基調にした正装を見せつけるように、スレンは胸を張り、俺を嘲笑った。
森の神の衣装なるもの。
外套は黒一色で、肩にも真っ黒い飾り羽根があしらわれている。
はたから見たら野蛮に映るのは俺の方だろう。
それでも負けじと張り合うつもりで胸を張った。
俺は森の神。シュディマライ・ヤ・エルマ。
『確かにこのままでは、ただの獣に成り果てる。だからこそ迎えに来た。我の真白き光を』
スレンは鋭く舌打ちすると同時に、彼女の体を背後へと引いた。
『真白き光』
呼び掛け、手を差し伸べた。
蝋燭の灯りが頼りなく揺れた。
スレンの背後からのぞく眼差しも揺れている。
『我の半身』
辛抱強く呼びかける。
差し伸ばした腕に応えるように、彼女は小さく指先を持ち上げた。
だがすぐに、首を横に振る。
俺の腕輪の石が、輝く。
『我が花嫁』
『ねえ、レオナル。その姿は一体誰の入れ知恵?』
見定めてやろうというのだろう。奴の目が眇められた。
先刻の打ち合わせを思い出しながら、慎重に向かい合う。
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リディアンナと紹介された客と俺とで、打ち合わせなるものを重ねていた。
ほんのつい先ほど。夕刻に差し掛かる頃だった。
「叔父様、急いで下さい」
「リディ?」
「これから……巫女王様がお亡くなりになります」
「リディ。それは確かか?」
「はい。残念ながら」
「そうか」
そう呟き返したのは俺ではなかった。
「おじいさま」
「神官長」
「今はただのジジイと呼べと言っただろう、若造」
乾いた笑い声が耳に残る。
「行くぞ、若造。打ち合わせ通りにな」
「ええ、行きましょう叔父様。けして気を許しては駄目よ。わたくしたちが挑む相手はそれ相当なものよ」
「その者の正体は?」
リディアンナも神官長も顔を見合わせてから、ひっそりと笑っただけだった。
「うかがいしれません」
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静かな気配しかしない。
対峙する奴から、何の熱意も伝わってこない。
これから乙女を花嫁と迎えようとしているのは解る。
しかしその相手にと何故、次代の巫女の王となるべく少女を選ぶのだ?
それでいて、そこに浮かぶ暗い瞳は何とする?
喜びを感じていないのは明らかだ。
巫女王が亡くなり、そして新しい巫女王を迎えようとしているのに?
理解できなかった。
せいぜい、どうしようもない諦めと、儀式に対する執着しか見いだせない。
その事に違和感を覚える。
首を横に小さく振った。
『オマエは、何者、だ……?』
思わず漏らした言葉が、今まで無視してきた疑問へのきっかけとなった。
スレンなどという者など、この神殿に居たことがあったか?
答えは否だ。
『僕は僕だね』
そう言うと、おかしそうに笑った。前髪をかきあげて片目を覆う。
にやりと笑った口元だけが見える。
仮面越しにとらえる奴の存在は、ひどく揺らめいて感じる。
人の形こそしてはいるが、中身のない空虚な木偶。
むしろ、スレンという男の後ろから立ちのぼる何かに警戒する。
闇の中、気配が蠢いてこちらを窺っている。
『オマエは、』
―― 人では無いな?
言いかけた途端、息苦しくなった。
まるで見えない何かに、喉元を首られているかのようだった。
思わず首元をかきむしる。
『そこまでだよ、レオナル。森の神の威光を借りているとはいえ、たかだか人の子風情が僕の正体を口にしてはいけない。命の保証は出来ないから、黙っていて』
『ぐっ……。』
奴から目をそらさずに、片手だけを小さく上げて見せた。
それを降参の合図と受け止めたのだろう。苦しさが幾分やわらいだ。
『わかってくれて嬉しいよ』
穏やかに告げる奴の瞳は、やはり静かなままだ。
『ひとつ、教えてくれ』
『いいよ。何?』
『オマエは何故、俺たちに関わろうとする?』
『決まっている。面白いからだ。はははは!』
笑い声は白々しく響いた。
本当は泣き出したいのではないか、とすら思える。
『スレン?』
『実に興味深いよ。ほんの瞬きの間でしかない、君たちの命に関わるのはさ! 最高だよ。殴り合って血を流したり、恋焦がれた者に腕輪を渡したりするんだもの! そういう事を繰り返す内に、捕まっちゃっただけだよ。初代の巫女王に』
『契約?』
『そう。代々の巫女の王となる者の夫となること。これがまた強力な契約でさぁ。僕はある程度、自由が無いままなんだ。解放されたくとも、契約者はとっくに墓の中さ!』
そう一息に告げてから、スレンはひとしきり笑った。
『本当に、人はすぐに老いてしまう……。置いて逝ってしまう。せっかちだよね。もちろん、君もだレオナル。だから、フルルはやれないよ。立ち去って』
言うなり、背後で震える少女を抱き寄せた。
彼女にも黒い何かがまとわりついて見えた。
夜闇だけではない凝った闇に、体中を絡め取られて身動きが取れないのだろう。
ただ眼差しだけで縋られた。それに一つ強く頷く。
『オマエの事情など、どうでもいい話しだ。我の真白き光を返してもらおう』
『ふぅん。フルルの事どうやって思い出したのさ?』
『……全て思い出せた訳ではない。だが彼女は俺の側にあるべきだというのは、解る』
『ふふ、面白い。やれるものならやってみな』
『言われるまでもない!』
挑戦的に口元を歪めて、スレンが手招きする。
剣を抜いたのと同時に足元を蹴った。
飛びかかって間合いを詰めたが、剣は奴に届かなかった。
空で圧し止められている。
スレンはただ手の平をこちらに向けているだけだというのに。
手も足も出ない。
『はははは! 他愛もないね、君も。ねえ、シュディマライ・ヤ・エルマ?』
奴が手のひらを床へと向けると、俺の意思に関係なく身体が動かせなくなった。
そのまま床に這い蹲る。
それでも歯を食いしばって、立ち上がるべく力を込める。
コツ、コツ、と足音が近づく。視界に奴の靴先が入る。
『ねえ? どうして全部思い出せた訳でもないのに、そんなに必死になれるの?』
『うるさい。俺は俺の心の声に従うまでだ』
『ふぅん。やっぱり、永久に押しとどめておくのは不可能か』
『なんの話だ』
『こっちの話し』
一人でしみじみと呟くと、奴は俺を蹴って転がした。
足で踏み付け、見下ろしながら笑う。
『いいよ。返してあげる』
『何?』
『記憶。どうせ戻した所でもうどうにも出来やしない。だからこそ、苦しめばいい』
つい、っと見えない力に、頭の中ををつつかれたような感触に眉をしかめた。
思わず呻いてから、奴を見上げた。
傍らの美しい乙女が俺を見下ろしている。
その瞳に浮かぶ雫が、足元へと落ち、闇に吸い込まれて行く。
『夜 露!!』
『そこでそうやって、指をくわえているといい』
――コツリ、と小さな足音が聞こえた。
『頑張れ。』
レオナル、頑張れ。
そして、私も。
最後までお付き合い いただけますように。