125 巫女王と大魔女と
ド、
ドドン、
ドンドン、
ドドン、ドン。
どこか懐かしい太鼓の音。
どこで聞いたのだったかしら? と思ったら、毎年の村祭りでだったと思い出した。
ドドン、
ドンドン、
ドドン、ドン。
規則正しく繰り返される調子に、心が浮き立ってざわめき始める。
とても楽しくて、とてもとても落ち着かない。
(ああ、そうだった。今日はお祭りの日だったわ)
いよいよ今日という日を迎えたという安堵感の中に入り交じる、複雑な想いに胸がいっぱいだった。
(あの方が神様役を引き受けて下さった何て……。しかも私が巫女の役)
嬉しい。どうしよう、すごく嬉しい。
この役目をやり遂げた男女は将来結ばれるという、まことしやかに囁かれる噂にも期待が高まる。
それなのに、少しだけ怖くて今すぐにだって逃げ出したい気もしないでもない。
私は鏡の自分をそっと見た。
いつもより念入りにくしけずり、香油をすり込んだ髪が艷やかに輝いている。
ただでさえ色味の薄い金髪が、陽の光を浴びてますます頼りなく見えた。
(ああ、あの方のようなハッキリとした黒髪と並んで大丈夫かしら?)
あの夜闇を映した眼差しにくるまれるのだ。
あの焦がれてやまない漆黒まとう人に。
ドンドン――!
物思いにふけっていると、ひときわ大きく太鼓が鳴り響いた。
大きく胸の鼓動も一緒に跳ね上がった。
いよいよ出番だ。
付き添われ広場に向かった。
村人たちも皆、期待に胸膨らませている。
明るく興奮した空気がそれを教えてくれる。
(あっ……!)
居た。あの方だ。とても背が高いからよく目立つ。
森の神様の衣装をまとい仮面をつけておられる。
(すてき)
見蕩れていると、不意に彼が振り返ったので目があった。
思わずそらしてしまったが、あの黒い瞳にやわらかく包み込まれた気がした。
ドドン、
ドドン、
ドンドン。
太鼓に合わせて鼓動が高まる。
私はこれから森の神の花嫁となるのだ。
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カ―――ン……。
カァ――――ン
カ―――――――ン
響き渡る鐘の音が夕闇に吸い込まれてゆく。
いつも聞いていたはずの音なのに、何やら物悲しく響いた。
鐘の音はお弔いだ。
先ほど巫女王様が亡くなられた。
( おばあちゃん……。)
きつく目蓋を閉じる。
泣き疲れてうたた寝をしてしまったらしい。
夢を見ていたようだが思い出せなかった。
ひどく身体が怠く、頭が痛い。
薄暗い部屋の中ひとり頭を振った。
――巫女王様が亡くなられた。
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巫女王様の最後のときをスレン様の希望で、私は側で見守ることが許された。
初めて入る巫女王様の寝室はあまりにも静かすぎた。
傍らの椅子に腰掛けたスレン様を、私は壁に背を預けたまま、ただ見ていた。
この二人の空間に入り込むことなど出来やしなかった。
『おやすみなさい、スレン』
掠れた声が微かに空気を震わせた。
スレン様の頬へと伸ばされた指先は力なく、滑り落ちる寸前に持ち上げられた。
『ああ……。おやすみ』
最後の挨拶の返事は巫女王様に届いたのだろうか?
スレン様は優しく、うっすらと微笑んでさえ見える巫女王様の頬を撫で続けた。
そのうつむいた横顔に光る雫が伝い落ちる。
私は口元に手を当てて息を呑み込む。
同じだ。
同じだ! あの時と! おばあちゃんが私を置いていった時と!
すがった熱が私の手を滑りぬけていった。
あの恐ろしい程の悲しみが、どうしようもなく私を貫いて思考を奪う。
『おやすみ。僕の花嫁』
スレン様は最後にもう一度繰り返してから、巫女王様の腕をそっと下ろして整えた。
そして立ち上がる。
『フルル』
振り向きもせず、急に私を呼ぶ。
『さあ、君もおいで。ロゼリットにお別れを告げてやって。それから急いで準備に取り掛からないとね?』
『準備?』
『そうだよ。これから儀式だからね。僕の新しい花嫁』
振り返ったスレン様に、涙のあとは見られない。
『おいで』
にっこりと笑いかけられ、両手を広げて近づくスレン様に声が出なかった。
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それからすぐに湯浴みをとすすめられ、身を清めた。
体中に香油を塗りつけられてから、いつもよりも更に真っ白の美しい装束を身にまとう。
髪も綺麗に整えられ、一部を高く結い上げてから白い花を差し込まれた。
軽くおしろいをはたかれてから、唇には紅が乗せられた。
そのせいで唇だけが嫌に目立つこととなった。
少し滑稽に思えて吹き出してしまった拍子に、涙も一緒に溢れ出して止まらなくなった。
ぽたぽたと零れ落ちる涙は、化粧を施してくれるキーラの手に落ちた。
キーラは最初から何も言わない。
フィオナも一言も発さない。
既に儀式とやらは始まっているのだろう。
キーラは出来栄えを確かめると、離れる間際にさり気なく私の手をぎゅっと握ってくれた。
仕度を終えると二人は黙って頭を下げ、さがっていったのだ。
一人、部屋で待つうちにどうやら眠ってしまったらしい。
あれからどれくらい経ったのだろう?
辺りはすっかり暗くなっている。燭台の灯りだけが頼りだ。
そのまま動く事も出来ずぼんやりしていると、扉を叩かれた。
『やあ、フルル。準備はいいかい?』
スレン様は私の返事など待たずに部屋に入ると、真っ直ぐに私に向かってきた。
『ああ! ロゼリットとの時が戻ったようだよ。あの49年前の僕らの婚礼の晩に』
そう言って跪き目線を合わせると、私の手を取る。
『綺麗だよ』と嬉しそうに笑われたが、言葉もない。
スレン様が見ているのは間違いなく私ではない。
それでもスレン様の大きな手が、私という形を撫でた。
首筋から肩、腕へと辿りながら下に降りて、右足の傷痕にたどり着く。
スレン様の指先が慌てたように跳ね、眉根が寄った。
『ああ、そうだ! 僕の花嫁たる者にどんな穢れも似つかわしくないよ』
穢れと呼ばれ胸が痛んだ。
この傷は確かに醜いが、たくさんの事を教えてくれた。
『大魔女の最後の抵抗など他愛もない』
何の事だろうかと問う間もなく、傷痕に口付けられていた。
とたん足の引き攣れも、痛みも違和感も消え去る。
驚いて目を見張っていると、スレン様が顔を上げてニヤリと笑った。
『言っただろう? 他愛もないと』
『な、何故? 何? 何のことなの?』
『内緒。訊いてばかりだなあ、フルルは! まあいいけど。たまには僕の疑問に答えてよ』
『え……?』
『君は人の感情に敏いのだろう? だったら、この僕の中に渦巻く物が何なのか説明を付けてくれ』
痛いくらいに強く顎を掴まれて、額同士をこすり合わされた。
『……。』
『ねえ?』
『スレン様は』
暗がりの中、緑の瞳が私を見据えている。
『うん?』
『スレン様は寂しすぎて怒っておられる……。』
その途端、涙がひとしずく、頬を伝った。
『そう。何で君が泣くの?』
あなたが泣いているからだとは伝えられないまま腕を引かれて、部屋を後にした。
どうして私はここにいるのだろう?
どうして私の手を取るのはこの方なのだろう?
そう感じながらも疑問を口にすることも出来ない。
連れられるままに進んだ先にあったのは、聖なる間とされている所だった。
神殿に来て一番に訪れた場所だ。
忘れるはずもない。
同じようにスレン様が手をかざしただけで扉は開いた。手を引かれ進む。
足元と壁に灯された蝋燭がゆらめく。
風が……?
違和感に闇に目を凝らすと、ひときわ濃い闇が在る気がした。
スレン様も同じものを感じ取ったのだろう。
『さあ、婚礼の儀式を……。誰だ!?』
スレン様が祭壇の方を睨み、闇に向かって鋭く叫んだ。
真っ暗闇の中、何かが蠢いた気配がする。
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たっぷりと間を置いてから――闇が答えた。
『シュディマライ・ヤ・エルマ』
『怪我は穢れ。』
――という事らしい。
大魔女は色々と見越していたようです。