124 巫女王候補と歴代の巫女王
巫女王様の部屋を後にする。
スレン様もあの後、すぐに出ていってしまった。
その背を見送った巫女王様はひどく消耗したように見えた。
弱々しく微笑むと少し横になっていいか、と仰ったので一も二もなく頷いた。
キーラを呼び、事の次第を伝えて後は任せる。
「どうぞお休み下さい。失礼します」
私にも誰か付ける、という声を振り切るように部屋を出た。
一人で考えたかった。
「契約」「スレン様を縛り付ける」「今度こそ解放してくれる巫女王を」「真の相手では無い」
巫女王様とスレン様のやり取りで拾った言葉たちが、頭の中をぐるぐると回る。
何か大切なものを見落としているのではなかろうか?
私こそが次代の巫女王と相応しいという、その理由……。
答えは出てこない。だからこそ、いい知れぬ不安だけが湧き上がってくる。
私はこのまま、ここに居ていいのだろうか?
「……っ!?」
蓋をしようとしても浮かび上がって来るのは、否定的なものばかりだった。
そんなはずはない、ここに居れば私は何に煩わされる事もないのだから、と自身に言い聞かせてみるのだがちっとも私は納得しない。
ここに居れば煩わされる事もない?
煩わしいって何が?
カルヴィナ。
カルヴィナ。
俺の夜露。
どうして私を夜露と呼ばった声が蘇るのだろう?
涙が溢れ視界がぼやけるまま、歩き続ける。
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『大丈夫?』
気が付けば左手を温かく包まれていた。
小さな手のひらだ。でも伝わってくるものは大きい。
『大丈夫』
心配そうに見上げてくる女の子に頷いてみせる。
杖を突き、左手は握られているから涙は拭えないから、強く瞬く。
『そう、良かったわ。じゃあ行きましょう』
私はまた頷いて見せた。
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手を引かれて神殿の回廊を進む。
金の綿毛みたいな髪の毛に、雨に濡れた葉っぱみたいに鮮やかな緑玉の瞳。
綺麗で可愛らしい女の子。
その正体に私は気がつき始めている。
でも言葉にはしない。声に出して尋ねたりなんてしない。それは野暮というものだろう。
口にしたとたん術は破れてしまうのだ。
女の子も私の様子を察しているようだった。でも何も言わない。
微笑み浮かべて見せるだけだ。
その幼い見てくれに、おおよそ似つかわしくない謎めいた笑みは慈愛に満ちている。
『さあ、着いたよ』
神殿の奥深く静まり返った回廊の突き当たりに、その扉はあった。
重厚な扉に施された紋様は大木と、そこから伸びた枝葉に絡みつく二匹の蛇だ。
この神殿の証しというそれ。並々ならぬ圧迫感があった。
ここに来るまで誰ともすれ違わなかった。
まだ日も高く、人の出入りもあるというのに。
女の子は小さな両手と額を扉に付けて、何かを呟いた。
きぃと微かな軋みを上げて扉は開く。
『さあ』
手を引かれ一歩踏み込むと、一筋の光だけが遊んでいた。
採光は最低限のようだ。
厳粛な空気が支配する空間に、気持ちが引き締まる。
コツリと自分の足音が嫌に響いた。
この広い一室の中央に椅子がひとつだけ置いてある。
その事に違和感を覚えない訳にいかなかった。
何となく視線を感じて見上げれば、壁一面に若い女性の絵が飾られている。
皆、巫女の正装姿だ。
その数は六枚。六枚の肖像画だった。
絵画の下には古語で、こう記されていた。
―― 六代目 巫女王 ロゼリット・シュスバナム
思わず頭を下げて礼を取った。
『ここは歴代の巫女王の肖像画の間よ。ねえ、もう頭を上げて。六代目をよく見て欲しいの』
『ええ』
六代目の彼女は、私と同じくらいの年頃のようだ。
長い金の髪がまばゆく、あふれんばかりの生命力を感じさせた。
そんな彼女の鮮やかな緑の眼に見つめられ、息を呑む。
どこかで見たことのあるような面差しに、思わず怯んだ。
色合いこそまるっきり違うが、これはまるで――。
『ふふ。よく似ているでしょう? エイメ、貴方に』
『……。』
私の想いを見透かしたように女の子が言った。
『当然だと思う。貴方は大魔女の----の娘なのだもの』
『え……? ど、して、おばあちゃんの真名を知っているの?』
『だって私の姉さまですもの』
『!?』
こともなげにさらりと真実を告げられる。
『という事は、わたくしとも血がつながっているという事よ』
『あなたは、あなたはおばあちゃんの妹、なの?』
『そうよ。一緒に神殿に上がったわ。巫女としてね。そうしてわたくしは巫女の王となり、神殿を去ったお姉さまは森の御方の花嫁となって貴方を授かった』
そう言うと私の手をぎゅうと両手で掴む。
『人と――森のお方との間に授かった奇跡の娘。だからこそ、彼に目を付けられたのね』
彼、が誰を指しているのか。
これも、もはや尋ねるまでもない。
私は口を噤んだまま肖像画を見つめ続けた。
視線を少し左横にずらすと、五代目の巫女王様の絵姿があった。
『ここに記された呼び名以外に、彼女たちも真名があったと思う。それを知るのはただ一人だろうけど』
次に進むべく体を向けた。
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『やれやれ。そんな事をしているから寿命を縮めるんだよ』
振り返ると椅子にスレン様が腰掛けていた。
前かがみで手を組み、そこに顎を預け置いて絵画を見ている。
『残念。見つかってしまったわ』
女の子は寂しげにそう呟いた。
ふっと消えた温もりに目線を下げたが、そこには誰も居なかった。
確かにあったはずの温もりはどこにも見当たらない。
『戻ってもらったよ』
『はい』
『どこに、とは訊かないんだね? さすがに見極めているか、もう』
『……。』
『まったく。油断もスキもないね! ちょっと目を離すと無茶をするんだから。ただでさえ余力も少ないくせにさ。ロゼリットときたら』
『最後だからこそだと思います』
『言うようになったね。いいよ。ロゼリットの最後の望みと言うのなら、ここから先は僕が引き受けよう。座って』
スレン様は立ち上がると私の腕を引き、代わりに座らせてくれた。
そして後ろに立つと、私の両肩を押さえつけるように手を置く。
『改めて紹介しよう。六代目のロゼリット。現巫女王の在位の時の絵姿だ。こうして見るとフルルに似ているね。頬の線の丸み加減とか、目の大きさとか』
『その隣。五代目のアイーラ。彼女の在位は少々短かった。あまり丈夫では無かったからね』
『次。四代目のグロリア。気難し屋でね。僕も手を焼いた。そこが可愛かったともいえるけど』
『三代目のライラ。とにかく明るいコだった。いつでも笑っているような』
『二代目のミレイユ。とびきり綺麗なコだろう? でも素直で大人しいコだったよ』
『そして初代のリルディ・アン。この美貌を誇りながら中身は最強の呪術者。僕を神殿に縛り付けた張本人だ。うん、僕にとって最凶であるのに間違いは無いな』
それぞれ在位した時の絵姿のまま、スレン様の記憶に残っているであろう彼女たちに、言葉がなかった。
ただここにいる少女たちと向かい合う。
『フルル。どうかここに飾られる絵姿は君で最後としておくれ。どうせ解放される事はないんだ。そうだとしても、もう構わない。このまま縛られたままで僕は構わないから、これ以上新しい巫女王を……花嫁を迎えたくないんだ。君なら、森のあのお方の血を引く君ならそれが叶う』
スレン様が傍らに跪いて、私をのぞき込んだ。
『私の、お父さんって……。森の、なに?』
『大魔女に聞いて。僕が答えられないくらいに大きな存在だよ、奇跡の子』
そう言うと私の頬を両手で挟み込んで、スレン様は笑った。
『君は何て僕に相応しいのだろう』
その笑みが余りにも弱々しくて、思わず彼に両手を伸ばしていた。
抱き寄せる。
これは――私の姿かもしれない。そう思ったらいてもたっても居られなくなったから。
愛する人たちに置いてけぼりにされて、孤独の中を永遠にさまい続ける。
それはどれほどの孤独だろう?
『僕はもうまっぴら何だよ。置いて行かれるのなんて』
そう言って顔を歪めると、スレン様は私の膝に突っ伏した。
私のスカートを掴む手が小刻みに震えている。
私はその頭を幾度も撫でさすり続けた。
何度も何度も。
この肖像画の中で微笑む少女たちの代わりに。
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それから……二日後の夕刻に巫女王様はお亡くなりになった。
『肖像画の間。』
ここはスレンがよく入り浸っていた模様。
物言わない彼女たちと語らう為に。
そのための椅子です。
もちろん、
限られた人しか入れませんし、扉の存在すら見つけられません。