123 巫女王と嘘つき
お茶を口にふくんだ途端、ピリリと沁みた。
口元に手を当てて思わず眉をしかめる。
「エイメ?」
気遣わしい声音に首を横に振って見せた。
唇が乾いている。
あの埃っぽい場所に何時間もいたせいだろうか?
それともまた泣きすぎたせいかもしれない。
「なんでもありません。ちょっと唇が切れていたみたい。しみただけ、です」
目蓋に浮かぶあの人の輪郭を振り払うように、勢い良く答えた。
そんな私を温かく包むように見守ってくれていた。
巫女王様はやっぱり私のおばあちゃんみたいだ。
揺れていた眼差しが定まる。
目配せひとつ送ると、キーラがすぐさま踵を返して戸棚を開けた。
迷いなく選び出した小瓶を、キーラがうやうやしく差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
小瓶を受け取った巫女王様に手招きされ、身を寄せた。
一緒の長椅子に腰下ろす。
「さ。これを」
するりと撫でられた。
その指先がすくった薄い蜜色は、唇の熱に触れたとたん柔らかく広がる。
「よく効きますよ」
万能の花の蜜をねったものだとすぐに気がつく。
おばあちゃんも擦り傷をこしらえたりすると、よくこうやってくれた。
ふんわりと甘い香りが広がる。
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丁寧に軟膏が塗ってくれる優しい指が、私の輪郭をなぞり出す。
「っ!」
目の奥が潤み出す。せわしく瞬いたが、それがかえって涙を生み出す結果になった。
――あの節くれだった指先に捕らえられ、幾度もなぞられた。
ぞくりと背筋に走ったものが何なのか、私には説明がつかない。
この身の内にくすぶり出す熱にも。
どこか私を覚えていてくれたらしい彼に嬉しさ半分、それと恨みがましい気持ちがあった。
だったらどうして私をあの時……抱いてくださらなかったのだろう。
今さら、蒸し返すような真似はやめて欲しい。それに、私。
今頃になって後悔なんて馬鹿げている。そんな自分を戒めるためにも唇を噛み締めた。
花の香りがほのかに漂う。そんなわずかな慰めにも涙が溢れる。
胸をかきむしりたくなるような、もどかしさと狂おしさをどうしていいのか分からない。
決まり悪く俯く私に、巫女王様は優しく頭を撫でてくれる。
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「あれあれ? どうしてフルルは泣いているのかな?」
尋ねるというよりもからかうような声が降ってきた。
驚き、振り返って見上げると、緑の眼差しに見下ろされていた。
しばらく視線が絡み合ったけれども、口調の割にスレン様の表情は静かだ。
「スレン」
巫女王様がたしなめるように名前を呼んでも、スレン様は答えない。
ただ唇の端を持ち上げて見せただけだった。
「君、下がっていいよ」
「……はい」
キーラに視線を向けることなく、そう言い渡す。
しずしずとキーラが下がっていくと、スレン様はこちらに歩み寄り、椅子に腰掛けた。
自らカップにお茶を注ぐと一息に飲み干す。
「お茶は熱いほうが好みだな」
「用意させましょうか?」
そう言いながら手元のベルを引き寄せた巫女王様に、スレン様は首を横に振った。
何だろう。
この二人に挟まれていると、とても居心地が悪い気がしてしまう。
何というか、その、自分という存在が邪魔なような気がして身を小さくしてしまう。
私もキーラと同じく立ち去った方がいいのではないのだろうか?
スレン様と巫女王様を交互に見比べる。
そんな私を見てスレン様は小さく笑った。
「ふふ。ずいぶん泣き虫の巫女王サマ。心配だよ」
「まだ、候補でしょう」
「どういう意味?」
「本当にこの娘でよろしいの? スレン」
巫女王様の口調は穏やかそのものだった。
今日は良い風が吹きますね、と言われたのだと錯覚しかねないほどに。
そこには糾弾など潜んでいない。だが静かに、スレン様を追い詰めていく。
今度こそ、私は立ち上がろうとした。
これは私が立ち合っていい話とは思えなかったからだ。
だがそれは許されなかった。
巫女王様の手が、しっかりと私の手をつかんでいた。
「み、巫女王様?」
「……。」
巫女王様は微笑んだだけだった。でも……。
エイメ、ちゃんと聞いていて。
そう言われた気がした。おずおずと頷く。
「君は……。」
「見くびらないでいただきたいわ、スレン。貴方と共にずっとあった私を」
「あった、だ何て。まだ終わっちゃいない」
「そうよ。私は見極めねばならないわ。今度こそ、貴方を解放してくれる巫女王を見届けたいわ」
「何を言っているんだよ」
「大事な事だから。私は怯えていたわ。貴方が私から去ってしまうとしたら、どうしたらいい? ずっとそう心配し続けていた。貴方を本当に思いやっているのなら、もっと違うものが得られたかもしれないのに。その事だけを悔やんでいるの。この最後の時を目前にして、それだけが心残りよ」
「何を言っているのか、僕にはわからない」
「貴方を縛り付ける契約のことよ、スレン」
「あなたは自由であってこそ、その力を遺憾無く発揮できるというのに。ごめんなさいね。私達の都合でそれを奪ってしまって」
「ちがう。最初は無理やりだと思った。だけども、今は違うと言える。僕は自ら囚われたに過ぎない。巻き込まれているのは君たち、乙女の方だ! だから、フルルこそ相応しいのじゃないか!」
「いつの間に嘘を覚えたの、スレン?」
「いつの間に嘘を覚えたのかだって? 嘘など、僕は……!」
驚いたように片頬に手を当てながら、スレン様は呻いた。
強く否定しかけたものの、そのまま尋ね返した。
「僕が嘘をついているって言うの?」
「そうよ、スレン。本当はあなただって気がついているでしょう? エイメが真の相手では無いことくらい」
スレン様の動きが止まる。
呼吸すら忘れたように、瞬きひとつしない。
「スレン様?」
恐る恐る声を掛けると、スレン様は手で膝を叩いて、のけぞった。
それから勢い良く立ち上がると、笑い声を上げた。
「あはははは! 聞いたかい、フルル? 僕が! この僕が嘘をつく事を覚えたって!? はははははははは!」
スレン様は本当におかしそうに笑った。
その事に寒気を覚えずにはいられなかった。
「ねえ! 僕は散々、君たちはどうして嘘をつく生きもの何だろうって言ってきた。言い続けてきたんだよ。自分の心にどうして素直に従えないんだろうって、疑問にしか思わないでいた僕が! ははは! はははははははは!」
ひとしきりスレン様は笑った。笑い続けた。
「スレン……。」
「だとしたら君たちのせいだよ。君みたいに生き急ぐ者たちの、せいだ」
緑の眼差しが、巫女王様を真っ直ぐに射抜いていた。
『核心に触れ始める。』
そして一歩踏み込む。
引き続きそんな調子です。