122 レオナルと姪
まただ。
気が付けば客間の前で佇む自分がいる。
手には剣を持っている。
身体がなまらないように鍛錬をしようと思い立ったはずなのに?
自室かは離れたここに何故、足を運んでしまうのか。
自身に薄気味悪さを覚え扉に背を向けた。だが妙に心惹かれる何かも感じる。
それが俺を立ち止まらせた。
そのまま足はやに立ち去ってしまえばいい。それで済む話だ。
それを振り切る自分もいる。
気になるのならば確かめればいいだけの事だ。
扉を開けた。
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清潔に保たれた室内は静かだった。
もちろん人の気配はない。カーテンの隙間から差し込む陽光に細かな塵が遊ぶ。
静かだ。
「……。」
ここは来客用としているはずなのだから当然だ。
だが、何故こうも物寂しさを覚えるのだろう? そこにあるはずのないぬくもりを、気配を必死で期待する自分はどうかしているのだろう。
頭を振る。
きっと花も何も無いからそう感じてしまうだけだ。
そう結論付けても立ち去れずにいる。未練がましく微かな気配を探り当てようとする。
ふと視線を落とすと、テーブルに置かれた封書に気が付いた。
こんな所に?
不信に思いながら手に取れば、ロウニア家宛て、すなわち俺あてだった。
『ロウニア家 御当主様』
女性用のドレス 十着・37万ロート。
下着の上下 二十揃い・20万ロート。
靴 五足・12万ロート。
以上でしめて69万ロートを確かに領収いたしました。
またのご利用を心よりお待ち申し上げております。
~ パニエルラ店代表・エンドレア・スタナー ~
「……。」
69万ロート?
大金だ。
俺の神殿仕えの給金の、おおよそ二ヶ月分を少々上回る額が記されている。
それにはこう署名がなされていた。
~ 確かに納品を確認した。ザカリア・レオナル・ロウニア ~
署名の日付はひと月も経っていない。
何があったのか。
ルゼに?
あの、気高い公爵令嬢への貢物の依頼か?
全く心当たりがない。
衣装棚を開け放つ。
これでもかと押し込まれた女物のドレスを手に取る。
装飾は控えめながらも、可憐さを漂わせるものばかりだ。
とてもあの公爵令嬢にあてた物とは思えない。
指先に心地よい手触りに、何故か胸の奥が軋んだ。
握り締める。
今、この館にこれらの衣装に相応しい存在は居ない。
居ないのだ。
赤い衣装で黒髪をなびかせて歩くのは誰だ?
朧気な記憶の中に浮かび上がる、その後ろ姿は?
気が付けば濃紺のドレスを胸元に引き寄せていた。
この寸法であれば、その娘はかなり華奢な体型のはずだ。
思い当たるのは、白い衣装に身を包んだ清らかな少女しかいない。
ふと目元を何かが掠めた気がした。
細く繊細な、温かさを宿した何か。
目蓋を閉じる。
……の、瞳と同じ色。
そう俺の目元に触れながら、淡く微笑んでくれた存在があったはずだ。
急ぎ自室に戻り、引き出しという引き出しを全部開け、中をさらった。
耳障りな音にすら構わず、部屋の中をあさり続けた。
書棚の本も全部、床に下ろす。投げ捨てるように。
何かが俺を急かしていた。早く、早く、一刻も早く、と。
俺は何かを忘れている。その大事な何かを探し当てねばならない。
確信だけが俺を突き動かす。
書棚の奥から木箱が出てきた。
それだけはそっと、慎重に開けた。
中から出てきた物、それは――。
艷やかな黒髪の束と、赤い石の腕輪だった。
「失礼します、レオナル様!? 何事ですか!」
騒ぎを聞きつけたのだろう。扉を開け放つなりエルが叫んだ。
「……。」
「レオナル様、これは一体?」
足の踏み場もない室内に、エルが息をのんだが構わず命じた。
「出かける。馬の用意を頼む」
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急ぎ姪を訪ねる。
何の前触れも無かったはずなのに、リディアンナは出迎えてくれていた。
「叔父様、お待ちしておりました! ちょうど良かったわ。ご紹介したいお客様がいらしてますの」
「リディ、過去は、俺のひと月前の過去は視えるか?」
馬から降りるなり、もどかしくて叫んだ。
そんな俺をじっと見つめて、リディアンナは静かに言葉を紡ぎ始める。
「視えますが叔父様自身が視えねば、意味がありません。そう思いませんか? ですけれども叔父様。それで良いのです。記憶は深くに封じられたかもしれませんが、無くなった訳では無いのです。何者も人の心を操ることなど出来ない。どんなにか時が経とうとも刻みつけられてしまうのですから……ここに」
そう言うとリディは自身の胸を押さえ込んだ。
次に顔を上げた時は薄く笑ってみせた姪に驚く。
いつの間にこんな表情をするようになったのだろうか?
「リディ……?」
無邪気に笑い転げる子供の姿はどこにも無かった。
「さ、叔父様。お客様もお待ちです」
「あ、ああ」
いくらかほうけた俺の腕を両手で取ると、引かれた。
そして俺の腕にはめられた腕輪を見ると、嬉しそうに歓声を上げた。
「叔父様! これは? この腕輪はどこから?」
「正直わからん。でもこれは俺のものだと言い切れる」
「それでいいのです」
「リディ?」
「お客様がお待ちです」
そう言うとグイグイと強く引っ張られた。
『ほんの少し核心に触れる。』
何か忘れてるって事を自覚できた? かもしれません。
さあ、頑張れ。