121 大会優勝者とかつての騎士
日が陰ってきたようだ。
室内に差し込む陽が長く伸びたように感じた。
どうやら自室の寝台に寝転んだまま、日暮れを迎えたらしい。
起き上がる気力もないまま、天井を見るでもなしに眺めた。
装飾も何もない、ただの木目に見下ろされる見慣れた作りだった。
――こうやって自室でくつろぐのは、どれくらいぶりになるのだろう?
思い出そうにも、そんな事はどうでもいいとしか思えないせいか、一向に答えは出ない。
それよりも目蓋の裏に浮かぶものに浸りながら、こうやって無為に時間を過ごしている。
浮かんでは消え、またすぐに立ち現れるもの。それに心を押しつぶされそうになりながらも、その甘美な痺れをもっとと望まずにはおられない。
だから目蓋を閉じ続ける。
俺だけに注がれていた、眼差しに浮かぶ雫。
それだけに追いすがっている。
そうやって時間を使うこと以外、思い浮かばない。
せっかくの休暇の使い道はそれだけだった。
久方ぶりの休暇だ。
――自宅謹慎と言う名の。
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熱気が支配する静寂の中、真っ直ぐに目指した。
俺の求めてやまない存在だけを見つめて。
そらさないで欲しい等という懇願ではなく、けして逃がしはしないという想いが正直な所だった。
俺は勝った。
俺が勝ち進むことを、彼女も願ってくれた。
だからこそ手に入れた栄光に、少しばかり身を浸してもいいだろう?
俺は勝った!
だから……今度こそ、逃しはしない。
何故か湧き上がってきた想いはそれだった。
「さあ、任命の儀式へと移りましょう!」
「まったく。運のいい奴だね、この騎士は! どうか君……。巫女王よ、落ち着かれますように。体に障るといけない」
「そうじゃな。さ、巫女王様はこちらへお掛けください」
楽しそうに巫女王様は仰った。心底、はしゃいで喜びに満ちた声だった。
それを補うスレンの声音はあくまで優しかった。気を遣って神官長は椅子をすすめた。
彼女を取り囲むように立つ巫女王様は、まっ先に敬意を表さねばならないお方では無かったのか?
気さくでありながらも懐深い神官長には、まっ先に感謝を表すべき存在という認識は?
そしてもう一人。
若くありながらも巫女王様付きの金髪の青年は、いつ何時であろうとも油断してはならない相手ではなかったのか?
ああ、その通りだレオナル。
頭の中での問いかけに、頭の中のレオナルが答える。
だが俺はその導き出された答えを無視した。
声は届かなかった。迷いなく、彼女を、彼女だけを見つめて進んだ。
もう一人のレオナルのしたいようにさせる。
いつもは手綱を引き結ぶ手を緩めた。ほんの少しだけ。
これくらい何てことはない。
許される範囲だろう?
たかだか上に対する礼を欠くくらい、どうとでもなるだろう?
彼女を求める気持ちは表現ままらならないほどだから、始末に負えない。
本当の勝負はこれからだと確信している。
野心を胸に隠しこむように、体を折り、跪く。
深く頭を下げて自身の靴先を見た。
「さあ、次代の巫女王から全ての加護を授ける祝福を!」
拍手と歓声がわき起こり、それが再び止んだ。
観衆の視線は一心にこちらへと向けられている。
風が吹いて、凪いだ。
視界に華奢なつま先が入り込む。
それから、ふわりと風がつむじを撫でた。と、思ったらそれは彼女の指先であったらしい。
そのまま小さなぬくもりが髪越しで伝わってきた。
彼女から放たれる温かさに包まれる。
「勝者、ザカリア・レオナル・ロウニア。素晴らしい戦いでした。どうぞ面を上げて下さい」
「は」
か細く震える声音に許されて顔を上げたのと同時に、甘く香る風に頬を撫でられた。
解け落ちた黒髪から立ち上る彼女の香りに、目蓋を伏せる。
眩しすぎるほどに白い首筋が目の前にあった。
思わずため息が漏れた。
「どうか私の騎士、ザカリア・レオナル・ロウニアに女神様のご加護がありますように」
頬へ触れるか触れないかといった柔らかな口付けと共に、耳元にささやき込まれた。
恐ろしく甘美なご褒美は、獣の腹を満たすには物足りなさ過ぎる。余計に飢えを煽られた。
強く拳を握り締めた。
「ありがたき幸せにございます。このレオナルの戦いを労って下さると仰るのなら、一つお願いがございます」
「え?」
「まあ! 何かしら。ねえ、エイメ?」
驚いて尋ね返すだけの少女の代わりに、巫女王様が助け舟を出してくれた。
「図々しいのにも程があるんじゃないの、君?」
「まあまあスレン。いいじゃありませんか! レオナルはよくやりましたもの」
「それで? お願いとやらは何なわけ?」
「は。ありがとうございます。どうか。どうか――このレオナルめからも、巫女姫様に祝福を贈らせていただきたいのです」
真摯に大人しく、頭を下げて乞い願った。
「まあ! 素敵ね。どう、エイメ? どうしますか? 貴方に仕える騎士からの祝福ですよ」
「え? あ、あの……。」
「エイメ」
戸惑いの隠せないエイメ様に、巫女王様が笑いかけた。
ただそれだけで、彼女の背を押してくれたらしい。
エイメ様がおずおずと頷いて見せてくれた。それから、そっと左手を差し出してくれた。
誇らしい気持ちで見上げ、うやうやしく受け取った指先の温もりまでが愛おしい。
溢れる気持ちのまま、唇を落とした。
それから捉えた手をやんわりと握り締めてから、手のひらを上へと向けるようにした。
「どうかこれをお受け取り下さい」
「……っ!?」
彼女が息をのんだ。
手のひらに乗せて差し出したのは、艷やかなオークの実だった。先程の幼女に手渡されたらしい物だ。
無意識に胸元にしまったそれが、一角の一撃を受け止めてくれていたそれには、傷も凹みも見当たらない。だが確かにこの命を庇ってくれた。
なければどうなっていたか。
恐らくこうやって立っていられたかどうかも怪しい。
「こ、これは?」
「オークの実です。おそらく森の加護を宿した特別な物と推測します」
「なぜ? なぜ、これを私に?」
「俺は貴方と、これにも命を救われたのです」
「救われた?」
「はい。先程あなた様と同様、俺を守ってくれた。一角の一撃をこれが受け止めてくれたおかげで、こうして無傷でいられるのです」
「……そうですか」
「それにあなた様は、こういったものがお好きなのではないだろうか?」
「えっ」
彼女の瞳が大きく見開かれた。
信じられない物を見るような目で、俺の事を探るように見つめている。
わずかにわななく唇が動かされたが、言葉は発されなかった。
ただ、俺の名を呼んだようには思えた。
その呼びかけに応えるように、俺は彼女の手を包む。
しばし惚けていた彼女の瞳の焦点が合うと、俺を見るまいと顔をそむけられてしまった。
「もう手を放してください」
「嫌だ」
「え?」
「嫌だ。離さない」
彼女が泣き出しそうな表情を浮かべ、首を横に振って拒絶を表す。
立ち上がり、その手首を体ごと引き寄せた。
「俺は貴方の騎士ではあるが、次代の巫女王の騎士にとは望まない」
「!?」
「どうか。どうか我が妻になっていただきたい」
驚きに見開かれた瞳を見つめたまま、口付けた。
押しのけようとする小さな抵抗すらも心地よかった。
ふっくらとした唇が少し乾いていて、優しく引っ掛かった。
こんなにも風の吹きすさぶ会場に、長く居られたせいだろうか。
可哀想だと思う気持ちとは裏腹に、恨みがましい気持ちにも襲われる。
何故かは説明がつかない。いい気味だと思った気持ちにも。
潤いを求めていた。ずっと。ずっと。ずっと。もっと――もっと。その源泉にまでたどり着きたい。
「んん――っ!」
乾きひび割れた唇を湿らせる。
頑なに先を拒む唇を、無理やり力任せで進む。
細腰を捕らえ、編み上げられた後ろ頭を捕らえる。
髪が乱れ、指へ腕へと掛かり落ちる。
「んぅン!」
パァン!!
すぐ耳元で乾いた音がした。左頬に走った疼きは、熱を持ち始める。
味わう角度を変えようと放したわずかなスキに、平手打ちを食らっていたらしい。
驚いて覗き込めば、怒りと羞恥のために頬を紅潮させ、とめどもなく涙を溢れさせている少女の姿があった。
美しい。
思わず見とれた。
その涙を指先で拭うおうと手を伸ばしたが、それは叶わなかった。
思い切り手首を引かれ、背後から羽交い締めにされてしまった。
邪魔者は誰かと首を捻り見ればシオンだった。もっと痛めつけておくべきだったと後悔する。
「そこまでです! 正気ですか、団長!?」
『貴様ぁああ!! 我のエイメに何をする!!』
「ぐっ!」
次いで間に入ってきたのはデュリナーダだった。獣は俺の鳩尾に頭突きを食らわせてきた。
こいつにも情けをかけなければ良かった。
そんな想いを押しやり、俺は拘束されたまま叫んだ。
「俺は本気だ! あなたは巫女の王になどなって欲しくない! 俺の妻になって欲しい!!」
少女は涙を溢れさせたまま、何も応えてくれなかった。
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「君、勘違いしない事だ。君ごときがこの娘に相応しい訳がないだろう? 身の程を知るといい!」
そう言ったスレンから憎悪のこもった眼差しを向けられた。
「嫌だ」
「おかしいよ……。君」
即座に答えれば、スレンの肩から力が抜けたように見えた。
まるで憐れみを向けるような、静かな口調だった。
「スレン?」
「気安く呼ばれる覚え何てないよ。――神官長。コイツはしつけ直しが必要じゃないかな?」
「無論。さ、立て、レオナル。頭を冷やすんじゃ。それから、処罰を言い渡す」
「じいさん」
「神官長と呼べと言うに!」
拘束されたまま、じいさんに引き渡された。
右手首に術を施された鎖を掛けられ、抜け出す事は不可能と成った。
未練がましく振り返れば、立ちはだかるスレンに邪魔されて彼女を見ることは叶わなかった。
「行くぞ」
「嫌だ」
「レオナル!」
「まだ……! まだ、返事をもらっていない!」
「もう黙らんか。いいから行くぞ!」
じいさんが何事かを呟く。ため息と共に。
その途端、右手首の戒めが強く食い込んだ。
そのまま引きずられるしか無かった。
「よいか。大人しくワシと一緒に来い。立ち止まるなら、今度こそ獣の力を借りて引きずるからな」
じいさんの脅しは懇願だった。
頼むから大人しくしてくれという響き。
やんちゃ過ぎる少年に、辛抱強く言い聞かせるかのような物言いは、何か含みを感じさせた。
この場は引くしかない。そう判断し渋々従った。
向かう先はやはり予想通り、地下牢だった。
じいさんは腰帯にぶら下げた鍵を抜き取ると開け、俺を放り込んだ。
ガチャリと重々しい音が再び地下に響いた。
じいさんは何事かを呟くと、右手が軽くなった。術が解かれたのだと知る。
「じいさん」
「待っとれ。たっぷりと一晩な。ワシはこれから貴様の懲罰の審議会に出席せねばならん」
神官長はそう言い捨てると、背を向けて歩きだした。
コツ、コツと靴音が遠ざかって行く。
コツン、といくらか遠ざかった場所で、靴音が止んだ。
「よくやった若造。ワシも……ワシもそうすればよかったんじゃ」
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そうして言い渡されたのは、とりあえず三ヶ月の自宅謹慎だった。
これから次第ではもっと短くて済むかもしれないし、もしくはもっと長くなるかもしれないとの事だった。
見張り付きで強制送還されてから、既に二日経っている。いや、もっとか?
目蓋を閉じる。
気が付けば左の頬をさすっていた。
痛みはないはずなのに、触れる度に胸が痛むのはどうしたことか。