120 次代の巫女王と獣の王者
キィン――!
ぶつかり合う剣の音は空気をも切り裂く。
とてもじゃないけれど、見ていられない。
そう思い幾度も顔をそむけかけた。耳も塞ぎたかった。
その度に神官長様の言葉を思い出す。
目をそらさんでいただきたい。騎士どもが戦いに臨むのはあなた様の為なのですから。
その言葉には、懇願と叱責の両方が含まれているように感じた。
そうだ。私はここに巫女王候補として、立っている。
私自身が未だにまごついて、認められないでいるとしても。
皆の目には巫女王候補として写っているはずだ。
皆……。
もちろん、あの方の目にも。
唇をかみしめ、面を上げる。
舞い上がる砂埃の向こうに見える、彼らに視線を注ぐ。真っ直ぐに、そらさずに。
私に出来る事といったら、それだけだと言うのなら、そうしよう。
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シオン様の呼び声に現れたのは、デュリナーダだった。
どうしたのだろう?
ものすごく嫌な予感がして、思わず立ち上がってしまった。
まさか、まさか、シオン様とデュリナーダとでレオナル様を?
「手を組みました」
風にのって運ばれてきたシオン様の答えに、今度は足から力が抜ける。
ガタン! と大きく音を立てて、再び椅子へと座り込んでしまった。
「あれあれぇ? 何が何でも勝ちたい奴らはやる事が違うねー。手段を選ばない」
椅子の背もたれ越しに、両肩に手を置かれた。スレン様だ。
語尾が楽しそうに弾んで聞こえた。最低だ、と思ったが何も言い返すことが出来なかった。
ただ、バクバクと煩い自分の胸の音を聞きながら、呼吸を整えるだけだった。
「そのようだの。是が非でも勝ちたいという強い気持ちが、本物であればこそだろう」
「まあ。何であれ、お手並み拝見と行きましょうか。ねえ?」
私は何も答えることが出来なかった。
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レオナル様は強い。
双方からの攻撃を巧みにかわしては攻撃する。
だが時間が経つにつれ、不利な運びになって行く。それを目の当たりにするのは辛い。
シオン様もデュリナーダも、同時に攻撃を仕掛けて行くせいだ。
そんなのは卑怯だ、とはならないらしい。
シオン様は優れた術者で、デュリナーダはその術者に従う獣となるらしい。
鋭い爪と牙で襲いかかるデュリナーダを、レオナル様は拳や足でいなす。
そのうち誰もが異変に気がついていた。
何より、デュリナーダ自身も。
『何故切りかかってこない!』
剣が持てない相手だから?
――違う。
私が可愛がっていたからだ。獣のデュリナーダに慰められていたと知っているからだ。
うぬぼれかもしれない。でも、レオナル様なら充分にありえる理由だった。
どうにか傷つけずに、デュリナーダを遠ざけようとしている。
確かにあの可愛らしい獣が血に濡れるのは見たくない。
だからといって、レオナル様が怪我をするのだって見たくない!
「!?」
そう思ったその時だった。
獣の爪がレオナル様の肩をえぐった。
一瞬血が飛び散ったのが見えて、私はとうとう口を両手で覆ってしまった。
このまま行くとどうなるのだろう?
そんな恐怖ごと飲み込む。
見守るしか出来ない。
このままここで、ただ目を見開いていることしか出来ない。
彼がもし負けてしまったら? 絶対勝つと言い切った彼が。
なんてことはない。シオン様に巫女王候補付きである騎士の称号を与えるだけだ。
レオナル様も見守る前で。
嫌だ。
そんなのは嫌だ!
痛烈に体を駆け抜けた感情に、自分自身でも驚くほど縛られて動けない。
叫び出さないように口を押え付ける。
溢れる涙に視界がぼやけた。
嫌だ! 嫌だ! レオナル様が負ける何て絶対に嫌――!
その時初めて、デュリナーダとシオン様が憎いと思った。
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このままでは、レオナル様が……。
認めたくない可能性に震え上がったその時、だった。
強く風が吹きすさび、舞い上がった砂塵に思わず目を閉じた。一瞬。
目をあけた次の瞬間に飛び込んできた光景に息をのむ。
「!?」
素早く立ちはだかったのは、頭に一角をいただく獣だった。
デュリナーダに体当たりを食らわせ、撃退してしまった。
一角の君がかばった? レオナル様を? いったい、どうしたというのだろう?
目の前で起こった信じられない一角の君の行動に、安堵しつつも訝しむ。
一角の君はデュリナーダを叱責してから、レオナル様に向き合った。
何事かを話しているようだったが、ごくごくひそめた調子のようで上手く聞き取れない。
「あれあれ~? また変わったのが出てきたね」
「まあ! 噂に名高い森の奥の幻獣ね。確かエイメを訪ねてきたとか」
「……え? ええ、まあ。はい」
一角の君は『加勢してやる。ありがたく思え!』そう叫ぶと、デュリナーダへと向き合った。
レオナル様は無言で頷くと、一角の君と背中合わせに立った。シオン様と向き合う。
それからは早かった。
シオン様が体勢を整えるよりも早く、デュリナーダが一角の君の体当たりに突き飛ばされたのと同時に、レオナル様の剣がシオン様の剣をなぎ払っていた!
キィィィ――ン……!
剣の重みも負った傷の痛みも感じさせない、鮮やかな一撃に誰もが言葉もなくただた立ち尽くして見守った。
ドサリと乾いた音がした。シオン様だった。膝をついたのだ。
右手首を左手で押さえている。
その姿に一瞥くれただけで、レオナル様は背を向けた。
こちらに向かって、まっすぐに進む。
「……勝負あった! 勝者、ザカリア・レオナル・ロウニア!」
彼の放つ何かに圧されていた空気を、神官長様が振り払ってくれた。
そこでやっと周りも動き出す。
割れんばかりの拍手と歓声の中、次に響き渡ったのは一角の君のいななきだった。
ヒヒィィィィ―――ンン!!
それを新たな戦いの合図とばかりに、一角の君はレオナル様へと狙いを定めた。
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一角の君の足は素早いだけではない。
充分に体重を乗せて、たくましい体躯ごとぶつかって行く。
しかも、その力を集結させるのは鋭い一角の切っ先なのだ。
ガキッ! ガキッ! と、一角と剣のぶつかり合う音が幾度も響いた。
その度に私自身が削られて行くかのように感じる。
フーフーと鼻息も荒く興奮した一角の君が、容赦なくレオナル様を追い詰める。
ガキリと歪んだ音がして、背筋に寒気が走った。
一角が剣を押しやり、その隙間からレオナル様の腕をかすめたのだ。
『どうした! この程度か!』
高笑いと共にいなないて、一角の君は後ろに下がって距離を取り、再び勢い付けて突っ込んでゆく。
ガキィ!!
レオナル様も渾身の力で受け止めているようだが、彼の足が後退し始めているのが見えた。
「さすがのレオナルも苦しいか。しょせん、獣と人とじゃあ体力に差がありすぎる」
「ふむ。そうなるとあの一角獣が一等騎士となるのか? いや、しかし参加資格は無しと説き伏せておいたのだがなあ」
「そんなもの。人の作った決まりなんかに従う訳がないでしょ」
「そう言われてもな」
スレン様と神官長様のやり取りに、私の中の何かが弾ける。
私は傍らの杖を引き寄せると固く握り締め、立ち上がった。
「どうかしましたか、エイメ?」
気遣うような巫女王様のお声にも答えずに、私は一歩踏み出した。
そのまま囲いへと進み、その小さな扉を開けて、戦いの場である闘技場へと一歩踏み込む。
彼の君の一角がレオナル様の剣を弾き飛ばしたのを見据えながら、叫んだ。
『水底の鏡! 止まりなさい!』
ありったけの力を込めてその名を呼ぶ。
一角の君の動きが止まった。
レオナル様の胸元に一角の先を突き立てるような格好のまま、固まっている。
危なかった。今すこし遅かったらレオナル様は、その一角に一突きされていたかもしれない。
そんな恐怖に負けている場合ではない。私は、間に合ったのだから!
大きく、息を吸い込み、同じように繰り返した。
『水底の鏡! 貴方を私の僕とし、命じます! その方を傷つけてはなりません!!』
『グゥ……! 何故だ、エイメ? 我を縛ってまでも邪魔をするのか!?』
『もう勝負はついています。貴方には参加資格が無いのです。戦いは無意味です。下がりなさい!』
剣も盾も持たない私は、貴方に駆け寄ることなど出来はしない。
ならばあの一角持つ獣は、私のしもべとするまでだ。
真名をもって縛る。
これがいかに裏切り行為で、彼の君との絆を断ち切ることになるか承知の上で。
『下がりなさい!水底の鏡に命じます――次代の巫女王として』
『……おのれ』
忌々しそうに唸りながらも、一角の君は前足を折り、その場に大人しく伏した。
風が吹き抜けて行った。
私の緊張もいくらか落ち着き、忘れていた呼吸をせわしく繰り返す。
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いつのまにか静まり返っていた会場に、まばらながらも拍手が巻き起こり、やがて大きな喝采となった。
「素晴らしい戦いでしたよ! ――三名とも。さあ、任命の儀式へと移りましょう」
巫女王様が高らかに宣言されると、レオナル様は胸元に手を当てて一礼してから、ゆっくりと立ち上がった。
まっすぐ、こちらに向かって来る。
その眼差しから逃げることなく、そらさずに見つめ返した。
――逃れられない。
そう思ったから見つめ続けた。
歩み寄ってくる彼こそが、獣の王者のように思えた。
『威厳を見せつける。』
魔女っこから見た決戦でした。
一角の君の加勢は反則なのでは?
どうやら運も実力のうちという事で、構わないようです。
レオナルには一角の君も含めて、見えない応援があるのです~。
それはまた次回に!