119 決勝戦に臨む者たち
「お、お見事でした」
エイメ様からの労いの言葉は動揺のせいか震えていた。そこには賞賛も憧憬も含まれていない。
伝わってくるのは恐怖だった。
無理もない。戦いというものの認識から程遠いお方だ。
それを嫌でも引きずり下ろすようなマネをしでかすのが、この剣術大会だ。
俺たちの戦いぶりを見て、彼女は男という生き物が、いかに力任せかと思い知る事だろう。
だがそんな力を使うのは、あなた様の為だけなのだという事にも気がつくだろうか。
そうであってくれと祈る。
基本、俺は女の前ではいかな形であれ、緊急でなければ暴力は振るわないと決めている。
女という身では成し得ないことを、やすやすとやってしまう男という肉体に、女は恐怖するからだ。
彼女らがどんなに頭では理解してくれようとしていても、本能で察知してしまう歴然とした力の差に、怯えさせてしまうと分かっているからだ。
彼女らは着飾ったり、笑い合ったり、子供や草花を世話することに夢中であってくれたらそれでいい。
当たり前のように、穏やかに、争い事から一番に、遠いところに居て欲しい。
それこそが彼女らを安心させ、我らが帰る憩いの場となるはずだから。
そうだ。心からくつろぐ彼女のもとで憩うのは、俺だけで良い。
「必ずや勝ち進んでみせます」
俺の決意を込めた宣言に、少女はどうにか頷いて見せてくれた。
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熱気をはらんだ風を受け止める。
それでいて、火照ったこの頬を冷やす風。
いつだって風に導かれている気がするようになったのは、いつからだっただろうか。
早朝から始まった大会も、決勝戦を迎えている。日もずい分と高く上りきった。
奇妙に静まり返った会場の四方から、観客の期待と不安の入り交じった視線を受け止める。
「これより決勝戦を始める! 両者、礼を!」
先ずは巫女王様と候補の少女に。次いで観客に。最後に――向かい合う敵に。
「始め!!」
じいさんの合図と共に剣を構える。対戦相手も同じく。
見覚えある構えとは違う。そこまでは予想通りだった。
いつも俺に見せていた太刀筋では、手の内を明かしたも同然だからだ。
剣を両手で持ち、天に向けた構え。
表情は剣の向こうにある。そんな奴の口角が上がったように見えた。
「術者シオン・シャグランスが命じる。来れ、我が獣!」
風が巻き起こり、砂塵が舞い上がった。ほんの一つ瞬きを許してしまう。
そして次の瞬間には見知った白い獣――デュリナーダが、シオンの傍らに控えていた。
「シオン」
「手を組みました」
簡潔な答えが返ってきた。なるほど、分かりやすい。
「貴方は強い。優れた剣の使い手だ。だが、俺とて術者の端くれであると言うことを強調してみるまでです」
『我は参加資格が無かった。納得がいかなかった。だから、しぶしぶコヤツの提案に乗ってみた!』
デュリナーダが前足を蹴るせいで、辺りに砂埃が舞い上がる。
闘志もあってだろうが、そこには苛立ちもあってのようだと察する。
表向きは、シオンが聖句で縛った獣を使役しているように映るだろう。
だが実際は、獣は二度とシオンの聖句には屈服しないはずだ。
もっと魅力的なものに支配され、救われたからだ。
それでいて、わざわざシオンの提案に乗ったという事は、よほど俺の事が許せないのだろう。
シオンもだ。もう使役する事の出来ない獣に話しを持ちかけるとは!
自尊心の高い奴にしては、相当思い切ったものだと感心すらしてしまう。
それほどまでに、勝ち進みたいという事なのだろう。
例えどんなに卑劣な手を使っても、手にしたいと望むもの。
無言で構える。ただ見据えるのは二名の、闘志の露な瞳のみだ。
俺は負ける訳にはいかない。恐れはない。あるのは決意のみ。
俺は勝つ。
――背にエイメ様の眼差しを感じた。
風が強く吹き抜ける。
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飛びかかってきたデュリナーダに体当たりを食らわせる。剣の柄を使って、腹に一撃も加えた。
間を置かず背後から振りおろされたシオンの刃を、すんでの所で受け止める。
身をよじり、すかさず飛びかかってきた獣を足で払い、シオンの剣も力で押し返す。
大きく飛び、双方から距離を取った。
シオンと獣は同時に飛びかかり、俺のスキをつこうと躍起になっているようだ。
出方をうかがう。
肩で大きく息をしながら、シオンを見た。明らかに奴の呼吸の方がまだ、安定している。
大きく息を吸い込んでから吐いた。
「……何故、貴方はこの後に及んで獣に剣を向けようとしないのです?」
『そうだ! 何故だ! 見くびるか、人間』
「……。」
シオンと獣は疑問を叫んだが、俺は黙ったままでいた。答える気はない。
ただ間合いを測ることのみに集中する。
「まさか、剣を持たない相手だからとでも?」
「……。」
それもあるが違う。双方の怒気が高まったのを感じながら、無言を貫く。
『デュリナーダは剣が持てなくとも、爪も牙もある! 思い知れ!』
大きな身体に勢いを付けて、デュリナーダが跳んだ。それと同時にシオンも動いた。
素早く小刀を抜き、シオンの方めがけて放った。シオンは難なく払い落としたが、態勢は崩れた。
そこまでは狙い通りだったが、思った以上に獣は身軽であったようだ。
巨体の影が落ちたと思った時には、遅れを取ったと悟る。
かわしきれず、左の肩口に獣の爪が食い込んだ。
ザシュリ、と衣服と肉が同時に裂ける耳障りな音がする。
鮮血が飛び散った。
思わず顔をしかめたが、その機会を逃さず、獣の腹に足で蹴りを入れてやる。
グゥ! と短く息を押し出して、獣は横に飛んだ。だがすぐさま、起き上がると低く構える。
『何故、切りかかって来ない! オマエ!』
デュリナーダが吠えた。
「貴方の騎士道精神には恐れ入りますよ!」
シオンが俺をなじりながら、剣を構えた。
自分の流す血の匂いを感じながら、再び双方に集中する。
シオンもデュリナーダも俺のスキをつこうと、同時に攻撃を仕掛けてくる姿勢は変わらない。
ならば同じようにスキをつくまでだ。
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何度目かの攻防の後、疲労の色が濃くなってきたのは隠しようがない。
それでも構え続けた。俺の気力は衰えを見せない。集中力も。
シオンとデュリナーダも、ゆっくりとだが確実に呼吸が乱れているのが窺える。
持久戦に持ち込む気なのは、俺とて変わらない。
『いい加減に、剣を抜け!』
咆哮と共に動いたデュリナーダへと、意識を向ける。
その跳躍力は素晴らしく、間合いなど無いにも等しい。その体力もだ。
いよいよ、この獣をいなすためには剣が必要か。
脳裏を掠めるのは、この獣を愛でていた少女の微笑みだった。
彼女はこの獣を可愛がっていた。
寂しさを紛らわしてくれる、心の拠としていたに違いない。
そんな獣の毛並みが血に濡れて、悲しまない訳がないだろう。
だからこそ、最後の最後まで剣は向けるまいとしてきた。
しかしもう、不本意ながらあまり余裕が無い。
――許せ。
不承不承構えたのだが、その瞬間に影が飛び込んできた!
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目の前にいたはずの白い獣の姿は真横に吹っ飛び、代わりにあったのはしなやかな四足と、左右に揺れ動くこれまた白い毛並みの尾だった。
『アホウ。この男の心意気を知れ、浅はかな下等が!』
『心意気だと? そして貴様は何だ!』
『下等に名乗ってやるいわれなど無いわ』
ブルルルルルルル―――!
獣は長く鼻を鳴らすと、蹄をうち鳴らすように振り返った。
美しく優美な獣は一見、馬のようだが、その額には捻じれた角が生えていた。
凶暴と名高い幻獣の乱入に、誰もが息を呑む。
突然現れた獣は、その一角を俺に向け、下から睨みつけるように見据えてきた。
『苦戦しておるようだの』
一角の獣が呟く。馬鹿にするでも無く、ただポツリと俺に話しかけてきた。
『ああ。だが、大したことではない。俺は勝つ』
不利を素直に認めた。視界を遮る汗と、血を拭いながら。
獣は顎をしゃくるようにすると、荒々しく息を吐いた。
見下すように、見定めるように、じっと眼差しを寄こす。
『何を根拠に、そのような戯言をほざく?』
『約束したからだ』
『約束?』
『そうだ』
『誰と、何を?』
『エイメ様に。必ず勝つと約束した』
一角持つ獣は探るように俺を見つめ、それから盛大にため息を吐いた。
『おおぅ。厄介だの。我がいじれぬ術の領域に巻かれおってからに。我のエイメを悲しませおって』
『何だと?』
意味の解らない呟きと聞捨てならない言葉に聞き返したが、あっさりと無視された。
『地主』
『何故その呼び名を知っている?』
『そんな事、今はどうでもよかろう。貴様はエイメの何ぞ?』
『……お仕えする騎士だ』
『フン。その答えに疑問を持っているな。良かろう。まだ救いがある。エイメのためだ。まずは、邪魔者を排除するぞ! 我らの戦いはそれからだ!』
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キィン――――!!
剣を思い切り振り払った音が響き渡る。
その余韻が止むまでの時間をいやに長く感じた。
シオンの手に剣はない。
俺が飛ばした剣を、一角の獣の蹄が踏みつけた。
シオンはその場に両膝を付き、苦しそうに呻いた。
一角にのされたデュリナーダも同じく。
「勝負あった! 勝者、ザカリア・レオナル・ロウニア!!」
神官長の、興奮からかやや上ずった宣言がなされると、静まり返っていた会場が一気にわいた。
拍手と歓声の入り交じる中、突如、一角の獣はその場を蹴り上げると後ろ足で立ち上がった。
ヒヒィィィィィ――――――ンン!!
人々の上げる熱狂の声を打ち負かすような、いななきが響き渡る。
『さて、邪魔者は片付けた。それでは……真の一騎打ちと参ろうか、地主。覚悟はいいか?』
一角の獣は言い捨てると、こちらに向き合った。
『さて決勝戦です。』
レオナルって古風も古風な男だなあ。
一角の君も。
価値観は似ているかもしれない二名。
シオンもデュリもあっさり片付けられてしまいました。