117 騎士団長と幼女
「これより巫女王様のための、剣術大会を開催する!」
神官長の宣言の後、巫女たちの歌声で場が清められた。
まぶたを閉じ、なるべく厳かな気持ちで歌声に耳を澄ませる。
空は高く澄み切っている。爽やかな空気だ。
だが心はそうとは行かない。残念な事ながら。
歌声が止み、歩み出た一人の少女の姿にその想いは強まる。
皆そうだ。
この場に臨む誰もが、身のうちの野心に手綱を取られぬよう、気を引き締めてかかっている。
手綱を操るのは己で、引きずられる訳にはいかない。
手放すとしたら戦いの、その時だけだ。
強く拳を握り締める。
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開会の儀式を終え、順番が来るまでなるべく集中するために、控え室から出た。
ただ目的もなく歩き周り、気が付けば会場を取り囲む回廊に出た。
そこには年若い巫女や、幼い子供たちがそろって観戦していた。
今日ばかりは少々羽目を外して、事の成り行きを見守ることが許されているのだ。
ぶつかり合う剣の音におののきながらも、幼い子供らも好奇心いっぱいの眼差しを注いでいる。
見るともなしに眺めている俺にも気がつかない様子で、皆熱心に繰り広げられる戦いを見守っている。
年長の巫女達に付き添われている子らは確か、訓練の剣の音に怯えていたのでは無かったのだろうか?
ふとそんな心配をしてしまう。
『もう、だいじょうぶ。正体がわかっているからへっちゃらよ』
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突然の声に驚いて目をやれば、思いの外ずっと下の方だった。
小さな背丈は俺の腰にも届かない。
訝しむ俺に臆することもなく、幼女はにっこりと笑った。
そして当たり前のように手をつないできた。
『あなたは勝つでしょう?』
金色の髪が光に輝いていた。俺を真っ直ぐに見上げてくる緑の眼差しも、同じく。
『ザカリア・レオナル・ロウニア騎士団長殿。あなたは勝つわよね?』
幼い容姿に見合わない大人びた物言いは、どこか肌がざわめく。その仕草にも。
無邪気さを全く感じさせない笑みを浮かべて、幼女は俺の指先を持ち上げるようにして引いた。
促されるままに視線を向けると、エイメ様の姿が目に飛び込んできた。
遠目からでもはっきりと、存在を主張してくるその姿から目が離せない。
巫女王様とその側使え、神官長に囲まれて観客席で祈るような眼差しを注いでいる。
両手を胸元で祈るように組み、時折、俯く。
まるで見ていられない、とでもいうように。
その度に神官長に何やら囁かれ、持ち直しているようだった。
恐らくは「これはあなた様のための戦いなのだから応援してやってください」だのと促しているのだろうと推測する。
あなた様のために戦う姿を見守って欲しい。皆が皆、それを望んでいる。
だから目をそらされたらキツイ。
じいさんも元は騎士だった。
だからだろう。
戦う者たちの心を知っている。
わぁああああ!
歓声と悲鳴が混じった声が上がる。
見ると一人の剣士がその場に崩れ落ちていた。勝負はついたのだ。
崩れ落ちた者にはいくばくかの同情を寄せると同時に、けして倣うまいと誓う。
そうだ。けっして。
決意を込めた眼差しで、勝利をおさめた者を見据えた。
シオン――。
やはりアイツは勝ち進んだ。
優雅に剣を払うと、誇らしげに礼をとって膝折る。
そんな奴の様子に、闘志が身のうちで暴れだす。
『ああ。俺は勝つ』
『そうしてちょうだい。是が非でも』
うっすらと微笑んで見せると、幼女は視線を先へと送った。
勝利した者が巫女王様とその候補嬢に礼を取る。打ち負かされた者も、どうにか同じく。
埃っぽい風に目を細めてその様を眺めた。
勝利をおさめた者が、次の勝負へと進む権利を得たと神官長から宣言されている。
負けた者は巫女王様から直々に労いの言葉を掛けられて、勝負は一区切り付いていた。
だが勝った者も負けた者も、視線を向ける先は同じくひとつ。
熱心に視線を注ぐその先に、儚い少女の姿がある。
儚く美しく、その何者にも犯しがたい雰囲気に皆が競って跪く。我先にと。
その足元にひれ伏して、彼女の関心を乞うのだ。
戦う前から男共は気がついている。
この儚い存在に誰もが敵わない、と。
真の勝利者の頂点に立つのは、この娘であると。
そうだ。そんな事は解りきっている。
これはそれを知らしめるための催しでもある。
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思わず強く拳を握り締めたが、幼女は何も言わなかった。
「ああ、レオナル様! お探ししましたよ」
呼び掛けられ、そちらに注意を向けた。
振り返ると、息を切らした少年神官が書類を片手に立っている。
「思った以上に進行が早くて。もうじき出番になりますので、控え室で待機願います」
「ああ、わかった。今すぐ戻るから、この子を……。」
頼む、という言葉は続かなかった。
見やった傍らにその姿が無かったからだ。
いない? いつの間に?
息を呑む。
辺りを見渡してみても、小さな姿はどこにも見えなかった。
「レオナル様?」
「いや、何でもない。すぐに戻ろう」
しびれを切らしたような声に我にかえる。
「お願いします!」
「ああ」
少年の後に続く。歩きながら、夢でも見ていたのかと頭を振った。
手のひらにはまだ、あの小さくも温かかった感触がありありと残っている。
思わず目の前に拳を持ち上げてみた。
そっと指をゆるめるとそこには、オークの木の実がひとつ転がり出てきた。
『そこには誰もおりませんでした。』
狐につままれた感覚ってきっとこんな感じ。
こんな感じ?
幼い頃、祖母がきつねに化かされた事がる! と悔しがっていた話しを
今でもよく思い出します。
その正体をあばいてやろうと山に入ったのも、いい思い出です。
あれ? なんの話?