109 巫女王候補と大型犬に例えられた二人
大型、犬――。
その生き物を思う時、どうしてもまず最初に沸き上がるのは「苦手」だという意識だった。
そこで地主様の所で世話したコ達が思い浮かぶ。
必死で尻尾を振って、親愛の情を示してくれたコたち。
彼らは皆、幻獣までといかなくとも、充分に賢い。それに人の心に敏感だ。
言葉は通じない。でも、一生懸命、心を伝えてくれようとする。
あの熱心な瞳に気圧されてしまうのが常だ。
言葉を持たない彼らの、そんな心意気は嬉しくもあり、また言いようのない苦手意識が募ったものだった。
いくらか恐怖心は薄らいだとはいえ、二の足を踏んでしまう。
「い、犬……?」
にこやかな神官長様に怖々、尋ねた。
「左様でございますよ」
「ほ、吠えますか?」
「おや。エイメ様は犬が苦手でございましたか」
「う……。はい」
素直に降参する。
神官長様は意外に思ったのだろう。驚かれた。
眼差しはデュリナーダへと注がれた。
言いたいことは、だいたい解る。
獣は平気で何故、犬を恐るというのか。そんな所だろう。
『ふん。あのような犬どもと、我を一緒に括るでないわ。あ奴らよりも我の方が賢く、紳士で、乙女の側に相応しかろうよ!』
デュリナーダが流し目をくれた先には、二つの大きな人影があった。
「これは獣様。いやはや、そんなつもりは無いのですがね。これはこのじいの例えが悪かったようだ。お許しくだされよ、エイメ様」
「あ、いえ、そんな! お気になさらないでください。その。例え、ですか?」
『まどろっこしい前置きはいいから、早く。はっきりと用件を言ってみろ。エイメが不安がっているだろう』
デュリナーダが前足で地面を蹴り上げた。
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皆、無言でお茶を口にするばかりだった。
会話も何もない。かろうじて挨拶は済ませたが。
このまま終わらせたい所だったが、そうも行かないようで、神官長様がやきもきしているのが伝わってくる。
神官長様に新しいお茶のお代わりが注がれた。三杯目になる。
レオナル様とシオン様に至っては、既に四杯目だ。
私はゆっくりと味わい、まだ一杯目。しかし底が見えてきた。
先程の提案である「大型犬の躾」とやらの内容に、ため息をお茶と共に飲み込む。
神官長様の話しの内容はこうだった。
何でもレオナル様もシオン様も、私が出歩かない事に責任を感じておられる、そうだ。
何故、そのような運びになるのか。はなはだ疑問だ。
彼らの望みにそうように、自分では振舞ったつもりだったからだ。
私の姿が見えなけば、彼らの平穏も保たれるはずだと。
しかし、それは逆だという。――逆?
私は混乱する。
いつか地主様のお館で言われた言葉を思い出す。
「言葉通りに受け取られませぬように」
今、この状況もどうやらそうらしい、と推測できたがそれまでだ。
彼らは私に会いに来た。
何か言いたいことがあるからだ。それは……それは。
お二人のせいで私が出歩かない事に対して。
それを詫びたいが彼らの立場上、私の方からの呼び掛けがなければ、話しかけることもままならないという。
良いことを聞いた。だったらこのままやり過ごしてやろうか。
だが、二人とも思いのほか気に病んでいるようで、神官長様が良いように計らってくれたらしい。
何が「良いように」なのだろう。
そもそも立場を理解しろと言われたが、具体的にどうしていいのか解らなかった。
どうやら私の立場というものは危ういものらしい。
それは巫女王に相応しいかどうか、という事だけではない。
この立場にすえられた私を良く思わない者が、何らかの動きを見せる可能性もあるらしい。
そこは私を脅しすぎないようにとの配慮からか濁されたが、要はそういう事だった。
何かあったら責任を問われる者も出てくるという、オマケ付きで。
――それは私の身の回りを世話してくれる人たちということだ。大変だ。
キーラやフィオナの顔が浮かんだ。それにレオナル様やシオン様も。
皆の様子と言われた言葉を拾い集めた結果、私が下した決断が「必要の無い限り出歩かない」というものだった。
そうすれば彼らを煩わせることもない。私の身も守られるだろう。
これでレオナル様の仰った「我々の立場をご理解ください」というものにも報いれる、と一人納得したのに。
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どうやら色々と避けられないのは間違いない。と、いうことは逃げ場がないという事だ。
私は遠慮なく、ため息をついた。今まで飲み込んだ分も全部。
くたびれたのだ。
言いたいことをただ察してくれと、待っていられても困る。
「エイメ様は、ずいぶんとお疲れのご様子で。大丈夫ですかな?」
神官長様が両隣に座る二人に目配せを送りつつ、私を気遣った。
曖昧に頷いて応えながら、私も二人を見やった。
シオン様とは目が合ったが、すぐさま逸らされる。
レオナル様は相変わらず、びくともしない。表情を崩さず澄ました顔のままだ。
いや、わずかばかり眉がひそめられた気がした。だが、それだけだった。
何なのだろう。本当に何をしに、ここに来たのだろう。
さきほど、神官長様がぼやいていたのも解る気がする。
――いやなに。わしでは手に負えない部分もございましてなぁ。
そんな事は無いと思ったのだが、そういう部分がこういう部分なのかもしれない。
そこは私の言葉で無いと聞かない、そうだ。
にわかには信じがたいが、神官長様の指す「大型犬」なるものは「そういうもの」なのかもしれない。
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いよいよ底の絵柄が見えたカップを受け皿に戻した。
飲み干したカップにはぬくもりの名残さえない。
さり気なくお代わりを寄こそうとするフィオナに目配せを送り、遮った。
「あの……。先程、神官長様からお聞きいたしました。お二人ともに、余計な気を遣わせてしまったようで申し訳なく思っております」
胸に手を当てて謝罪の言葉を口にする。頭を下げた途端に、レオナル様が勢い良く立ち上がった。
ガタン! という椅子が立てた音が大きくて、思わず面を上げてしまう。
直立不動という言葉が相応しい。思わず腰が引けた。
そのまま、たじろいでいると、慌てたように膝を折られる。
「エイメ様が気にされる事など何もありません。このレオナルの物言いが悪かったのです。まさか貴方がそこまで深刻に受け止めるとは思いもよりませんでした。貴方が一人で出歩くと危険だから等とは言いすぎでした。ただ単に、その際には俺達を頼って下さるようにと強調したかっただけです。どうか……お許しいただけますか?」
「私は言葉を、言葉のままに受取ります。そこに暗に何かを込められているのだと、そう諭されても理解に苦しみます。それとも言葉の裏の裏を読み取るのが、皆さまのしきたりなの? だとしたら、私には一生皆さまに理解されませんし、出来ません。付いていくことが出来にくいのです」
そう。私は言葉は、発された響きをそのままに受け止める。
古語でないなら特に、その傾向が強かった。
伝えたいことは言わねばならない。
それは私にも言える事だったから、緊張しながらも言葉を選んだ。
「それに。私が読み取れるのは、読み取ろうと思えるのは――言葉を持たないコ達だけですわ?」
二人とも黙って私の話しを聞いていた。
『君たち間違いなくワンワンオ。』
言葉を持っているくせに、ちゃんと使ってくれないから魔女っこ切れましたよ。
当然だお。
渋々、躾とやらをいつの間にか――引き受けちゃったんではないでしょうか?
もどかしいいいい。伝わりますように~。
お前ら本当に何しに来た――!!