107 巫女王候補と護衛団員たち
「エイメ様がお部屋にいらっしゃいません」
「しばらく一人になりたいと仰ったので、私どもは控えたのですが」
もうじき日も落ちるだろう。
いくら今日が暖かい日であったとしても、季節は冬を迎えようとしている。
風が冷たくなってきている。
ふと部屋の椅子に掛けられたままの、ショールを見つけた。
彼女がここに来た時に羽織っていたものだ。
俺の視線の先に気がついたのだろう。
「まだ着替えもされていないままなの、です。エイメ様」
「上着もご用意して差し上げればよかった……。」
キーラがショールを手に呟いた。
「失礼ながら……。そうそう、遠くへは行けまい」
自分で言っておいて、ひどく気分が悪かった。
だが、そこに希望を見い出したいというのが本音だ。
皆、あの娘の様子を思い起こしてなのか、口を閉じた。
おぼつかない足取りで皆の前に立った娘。
不安を押し殺したように、震える声で挨拶していた。
すぐさま、前に歩み出ていた己に、揺らぐ眼差しをくれた。
世話係りを言いつかった巫女達に負けないくらい、血の気を失った顔色のシオンに気づいた。
「とにかく手分けして探そう。どうした、シオン?」
「応答がない」
「何?」
「デュリナーダの……。獣の力を借りてエイメ様を探そうと、さっきから呼んでいるのだが応答がない」
獣を聖句で縛り、使役する術者のシオン。
シオンの力を獣が振り切った。
それは何かもっと強いものに惹かれたからだ。
何か――。
それが何を意味するのか。
「シオン。おまえは獣の気配をたぐれ。そこに何かあるかもしれない。レメアーノ、おまえの獣はどうだ?」
「使わない方がいいね。引きずられる可能性がある。もう少し控えさせておこう」
「そうか。では、手分けして探そう。一刻以内に見つからないようなら、じいさ……神官長に報告だ」
「避けたいね、その展開」
「だったら行くぞ」
よぎった可能性を振り払うべく、その場を後にした。
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「力が使われたね。シオンだ。あちらのようだよ、団長」
ほどなくして駆けつける。
そこは中造りの庭と呼ばれる場所だった。
巫女たちの居住所と男どもの宿舎とのちょうど、中間にある。
巫女たちはこれ以上踏み込まないようにとするし、それは俺たちも一緒だ。
もっとも、この許される境界ぎりぎりで出会いを期待する者もいるようだが。
既にシオンは術の最中のようだった。
その様子に目を奪われる。
見つけた。
「……っ!」
「……。」
レメアーノは思わず息をのんだようだ。
俺は言葉もなく、ただ目を疑った。
めあての少女は獣と寄り添っていた。
シオンは呼びかけに応えない獣を取り戻そうと、今一度、聖句を試みているのだろう。
ただならない雰囲気を察したのか、少女は獣を背に庇っていた。
やがて獣は勝ち誇ったように宣言した。
『もう効かぬ!』
跳ねるように後ろ足で立ち上がって見せる。
その勢いのまま、少女へと甘えて身体をすり寄せた。
まるで聖句を振り切れたのは、少女のおかげだとでも言いたげだった。
大きな体で盛大に甘え、少女の髪を結わうリボンにイタズラを仕掛ける。
術者に絶対服従であった獣は、もうどこにもいなかった。
「あなたの色が獣を魅了するのですか?」
シオンが呆然としながら、導き出した問い掛けが聞こえた。
少女は何の事か解らない、といった様子で小首をかしげてみるばかりだった。
それよりも獣との戯れが気になるのだろう。
奪われたリボンをつかんで引いている。
そんな少女にシオンは性懲りもなく、同じ質問を繰り返した。
「あなたの、色が……。獣の心を惹きつけるのですか?」
『ふぉれだけであるか、バかァめ』
獣の言う通りだ。
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その様子に感心したのか、レメアーノは興奮気味に手を打ち鳴らした。
「やあ! すごいな! 我らが巫女王候補サマは」
少女はこちらを振り返った。
ほどけ落ちた黒髪が肩に流れている。
獣はなおも、その髪に、頭にと甘噛みを繰り返している。
少女はといえば放心していて、獣の好きなようにされるがままだ。
「レメアーノ。……団長」
シオンが発した言葉で我にかえったのか、あからさまに表情が強ばった。
急に声をかけたから驚かせてしまったのだろうか。
だが、それだけでは無い気がする。
少女は警戒している。ひっそりと押し殺すように。
獣の首筋にすがり、息を詰めている。
「お探ししましたよ、エイメ様。お姿が見えないと巫女たちも心配しておりました」
レメアーノが努めて優しい調子で話しかけたが、少女は少しも警戒を解かなかった。
むしろ、俺たちが近づくにつれ、いっそう警戒を募らせるようだ。
何がそこまで身を竦ませるのか。
凶暴と言われる獣には恐れもせず、身を預けておいて俺たちは恐るというのか。
あなたを守ると誓ったのに――。
思わず責めるような目を向けてしまう。
少女は震え出してしまった。
恐怖を押し隠せなくなってしまったらしい様子に、慌てて跪く。
目線を合わせようとしたが、少女は俯いて獣へと顔を埋めてしまった。
けしてこちらを見ようとしない。
全身で拒絶されている。
その事実に舌打ちしたくなった。
だが、苛立ちは奥深くにしまい込む。
言葉を頭の中で選んでから、慎重に声を発した。
「エイメ様。あなたの姿が見えないと巫女たちが探しておりました。戻りましょう。お供致します」
「申し訳ありません。あの、今すぐ戻ります。一人で……だいじょうぶ、です」
その一言で、少女の俺への拒絶は確かなものとなった。
少女は俯き加減のまま、視線を泳がせていた。
目当てはこれ―― 杖だろう。
俺の方が腕が長く、素早かった。拾い上げた杖は、自身の腰帯へと差し込む。
「あの、杖、返して、返して下さい」
精一杯、小さな手のひらを伸ばしてくる。
そんな少女の手首をつかんだ。そっと。
大きく見開かれた瞳に、光る雫が盛り上がる。
引き抜こうとされたが、それは余りにも弱々しかった。
抵抗に気がつかないふりをする。
『何をする! エイメに触れるでないわ!』
獣が身を乗り出してきたが、やんわりと制した。
「獣殿も聞いてくれ。エイメ様の御身に関わる事だから」
穏やかに告げると、獣は聞いてくれる気になったようだ。
『何だ。言ってみろ』
フン、と鼻息も荒く促される。
「エイメ様。どうかご自身の置かれた立場をご理解下さい。そして、我々の立場の事も」
静かに言って聞かせると、少女が首をすくめた。
飼い犬たちが怒られると覚悟した瞬間、似たような表情を見せる。
耳を後ろに思い切り倒して。
何故、この娘は俺をこのような瞳で見るのだろう。
ひどい胸騒ぎを覚えてならない。
だがその説明のつかない想いをやり過ごし、言葉を紡いだ。
「これからはけして一人で出歩いてはなりません。あなたが思うよりも、あなた様の置かれた立場は重い。その上、危ういのです。次期、巫女王候補というお立場をどうかご理解下さい」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
「いや、謝る必要はありません。ただ、我々はあなた様の身を護るのが勤めであるという事も、お留め置き下さい。あなた様の御身に何かあれば、責任を問われる者もいるのだという事を。ご理解いただけますか?」
「はい……。わかりました。もう、お許しもないのに、一人で出歩いたりしません」
少女は真剣に、こくこくと幾度も幾度も首を縦にふって見せた。
素直な反応に満足する。
「何、一人でなければいいのです。その時は何なりと、このレオナルに申し付け下さい。お供いたしましょう」
「あ、ありがとうございます」
「では戻りましょう。風が冷たくなってきた。獣殿、エイメ様に手を貸してやってはくれないか」
『おまえに言われるまでもない』
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そうして無事に部屋に送り届けてから、既に六日が経っていた。
それきり、エイメ様の姿を見ることは無かった。
護衛の御召もない。静かだった。
だが、興味を惹かれれば、あの少女のことだから言いつけなぞ忘れるだろう。
そう踏んでいたから、少々脅かしすぎたのかもしれない。
気が付けば、あの水場へと足が向いていた。
今日もそこには、誰の人影も見当たらなかった。
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神殿に戻るなり、シオンが駆け寄ってきた。
「団長」
「何だ」
声を掛けてきた割に、シオンの歯切れは悪い。
「エイメ様は……。その」
「何だ!?」
「これからは迷惑をかけるといけないから、必要でない限り出歩かない、と仰っておられるようです」
「……!?」
「巫女たちから何があったのかと、責められました」
――もう、お許しもないのに、一人で出歩いたりしません。
その言葉に安堵した自分を責めた。
『そうきたか。』
レオナルにしてみたら、どうして避けられているのか理解不可能。
当たり前ですが。
くじけず接点を作ろうとして、このザマです。
どうなります事やら~。