104 巫女王候補と護衛団長
額に当てられたリボンは長く、うまい具合に後ろ髪と一緒に編み込まれた。
ひとつにキッチリまとめ上げるには、私の髪の長さでは足りなかったのだ。
用意された巫女装束は、そのままでは身体にまるで合わなかった。
大きい綺麗な布、といった印象のそれを、やわらかな黄み色のおり混ざった白い布で押さえてもらった。
綺麗に着付けてもらったのだという事くらい、初めての私でも理解できる。
とてもじゃないが一人では着られなかった。
白だけれども単調ではなく、胸元には細かなレース編みが施されている。
それを着方によっては、背の方に持ってくる事が出来るらしい。
よく見るとキーラ自身の衣装はそうしていた。
それがスラリとした立ち姿を更に引き立てている。
私はただただ感心して、その手つきを眺め、されるがままになっていた。
キーラもフィオナも「ああでもない・こうでもない」と、言い合いながら一生懸命準備してくれた。
「そら出来た! うん、なかなかいい出来栄えだわ」
「狙い通りかもね。エイメの清純さと神秘的な感じを全面に押し出せたかも。満足!」
健闘を称え合う二人をしり目に、緊張しきって顔色の悪い私が、鏡の中からこちらを見返していた。
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では夕刻にという宣言通り、巫女王様とスレン様がいらっしゃった。
「まあ、綺麗にしてもらったわね。キーラ、フィオナ、ご苦労様でした」
二人とも静かに頭を下げるだけで、後は大人しく控えている。
先程の元気の良さが嘘みたいだった。
その分を私にも分けて欲しい。
「さあ、エイメ。これからあなたを皆に紹介しますからね。どうかした?」
顔色を失った私に、巫女王様の優しい声が慰めてくれる。
『怖いの。さっきも怖かった。あんなに怖い男の人が大勢いる前に立つ何て……。』
この方はおばあちゃんじゃない。
でも、私にはおばあちゃんと同じに見えるから、口調も内容もつい甘えたものになっていた。
思わず口をついて出た古語に合わせて、流暢な古語で返してくれる。
『あら。きっと皆も怖かったのよ。あなたに嫌われたかもしれないって』
『また、私……。みっともないって言われるかと思うと、怖くてたまらない』
『また? そんな事ないわ。大丈夫よ』
人が怖い。
男の人が怖い。
何もかもに怯える自分が嫌い。
恐れから背を向けた人になんであれ、真向かうのは勇気がいる。
そもそも自分にはそんな資格があるのだろうか?
「恐れながら巫女王様。エイメ様は少し緊張されているようですわ。ここはどうか私たちにお任せくださいませんか?」
「キーラ。それもそうね。落ち着くようなお茶も用意してあげてちょうだい。私たちは先に行って準備をしているから」
「かしこまりました」
そう言って慇懃に頭を下げて巫女王様を見送る。
扉がフィオナによって閉められてから、五つほど心の中で数えた頃、キーラが面を上げた。
「ほら、立ってエイメ。顔をあげなさい」
促されて、よろよろと立ち上がると、両手をぎゅっと掴まれた。
「怖気づくのも解るわよ。大勢の前で言葉を発さねばならないのだもの。誰だって緊張するに決まっているわ。言っておくけど、あなたを馬鹿にする人なんていないわ。どもろうがすっ転ぼうが泣き出そうが!」
「ほ、本当に?」
「当たり前でしょう。もしそんな輩がいたとしたら、それはワタシ達に対する挑戦とみなすわ。ねえ、フィオナ?」
「当然でしょ。それともなぁにぃ? エイメをこんなに可愛くした私たちを信用できないって言うのー?」
大丈夫、大丈夫と口々に繰り返しては、私の頬や手を撫でてくれる。
大丈夫。辛抱強く言って聞かせてくれる呪文は、何とも心強いものだった。
私もだんだんと元気が出てきた。それと疑問も。
だから思うままに尋ねた。
「どうして?」
「ん?」
「どうして、私によくしてくれるの? 会ったばかりなのに」
そういえば、地主様の所でも同じように訊いた気がする。
私にしてみたら本当に不思議なので、尋ねずには居られない。
二人とも顔を見合わせたあと、考え込んだ。
「理由? そんなもの、わからない。強いていえばエイメが頼りないからじゃない? 放っておけない雰囲気というか?」
「理由ねえ。ただ、まあ、巫女王様に頼まれたし。ここであなたに恩を売っておくのも悪くないかなーと思って?」
思いもよらない告白にぽかんとしてしまう。
うんうんと頷き合う二人を見つめる。
「少なくともワタシは応援したいって思っているのよ。だってさあ、何か決めてここに上がったのだとしても、やっぱり最初は勝手が分からないじゃない。それってすっごく心細いよね。ワタシがそうだったもの。四年前」
「キーラにもそんな可愛い頃があったんだー」
「お黙り。その時色々教えてくれた姉さん巫女達に感謝したもんね。だからじゃない」
「そうそうー。それとエイメが頑張ってくれると私達の評価も上がっちゃったりして! うふふ。立身出世~果ては素敵な殿方に見初められてー良家との縁談も来ちゃうかも」
「フィオナ。アナタ、腹黒さがダダ漏れているわ。気を付けて」
「キーラやエイメに取り繕っても無駄だし。さあ、行こうよ! 見せつけてやりに」
くすくすと忍び笑いを漏らす二人に手を引かれて、部屋を後にした。
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今度連れてこられた部屋は、大きな広間といった所だった。
中庭に面していて、眺めが良い。
扉と窓という窓は開け放たれている。
広間に入りきれない人たちもいるようで、庭先に控えている人たちも居た。
それぞれくつろいだ様子で、おしゃべりして待っていてくれたようだ。
思ったよりも気安い雰囲気に、少しだけホッとした。
人々の視線が集まる中、奥で待つ巫女王様の元へと進む。
「本当に二人とも、心強いこと」
いくぶん持ち直した私を見て、巫女王様は微笑んだ。
それだけだったけど、巫女王様は全て承知の上かもしれないと思えた。
二人は相変わらず、巫女王様の御前ではおすまししているけれど。
「皆、静粛に」
静かな声だった。
けっして大きくはない。
でも、この場にいた全員に行き渡ったようだ。
巫女王様に促されて、息を詰めながら一歩を踏み出した。
カツン、コツ、カツン、コツ、と私の杖を付く音と、足音が嫌に響く。
少し膝を折るようにして腰を落とす。
もちろん、ふらついたが構わない事にした。
転ばなければいい。
体勢を立て直すのは得意だから、実際転んだことはあんまり無い。
それに、転んでも立ち上がればいいだけの話しだ。
私は私のままで皆の前に立つだけだ。
他にどうしようもない。
髪が黒いのも私。瞳が黒いのも私。
キーラとフィオナの気安さに触れたら、何かが吹っ切れた……気がする。
もういいや。構うもんか。
いくら嫌われようと蔑まれようと、これ以上何を無くすものがあるというのだろう?
大切なものは手放してしまったではないか。
巫女王様が頷くのを合図に、大きく息を吸い込んだ。
ひしめき合うのが団員の人たちだけではない事も、私を安心させた。
女の子も、いくらか幼い少年も少女もいた。おじいさんやおばあさんも。
だが、たくさんの人々が集まっている事に変わりはない。
私はあまり何も考えないようにして、一息に言い放った。
「はじめまして皆様。エイメ、と申します。いたらない所も多いと思いますが、よろしくお願いします」
一段高いここからは、集まった人々が良く見渡せた。
その中から一歩、踏み出す人影があった。
その姿に息を飲む。
地主様だった。
彼は私の真正面に進み出て来た。
周りがざわめいた。
でもそのざわめきさえも、どこか遠くの出来事みたいに思えた。
彼の真剣な瞳に捕らわれる。
ひたと見据えられた瞬間、今度はそらすことなど出来なかった。
青い――藍色の瞳とかち合う。
そこに宿る光に私を責めるような、侮蔑の色は見当たらなかった。
ただ真摯な、ひたむきで真っ直ぐな光が私を射抜く。
そらすことなど許されないのだと知る。
もしかしたら殺されてしまうのではないか、とふと思った。
それくらいの威力があった。
目をそらしたら、負けだ。
何となくそう感じた。生死をかけた勝負に打って出たような。
目をそらしたら最後、一撃食らっているだろう――。
彼もまた瞳をそらすことなく、マントを払いのけると、その場に跪いた。
『はじめてお目にかかります。護衛団長のザカリア・レオナル・ロウニアと申します。以後、お見知りおきを――巫女王候補エイメ様』
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私は何も応えられなかったと思う。
曖昧に頷くしか。
それすらも微かに顎を引いただけではなかったろうか。
思い出せない。
頭の中が真っ白になってしまったのだ。
今、目の前で起こっていることを受け止めきれなかった。
何が起こっているのか。
ただ、ふらふらと心ここにあらずで、退出した覚えしかない。
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スレン様に伴われて、広間を後にした。腕にすがる。
『お疲れさま、フルル』
お披露目会とやらを終えて、私はほっとしていた。
体中の力が抜けたと言った方がいのかもしれない。
キーラとフィオナの期待に、少しは応えられただろうか。
二人に感想を聞かなければ、判断がつかない。
ただ、おどおどした態度は良くないと言い聞かされたから、どうにか堪えた。
ものすごくドキドキして、喉がカラカラに乾いた。
部屋に戻ってすぐに、お水をもらった。
じわじわと言いようのない不安が膨れ上がってくる。
巫女王――候補?
巫女王様って誰が?
私に何が出来るというのだろう。
ただ流されてここに来ただけの子でしかない。
スレン様がどういうつもりなのか解らないが、流されすぎている自分にようやっと疑問を抱いた。
「皆、この子にもよく仕えてちょうだいね」
そんなお言葉をかけられていた自分。
今更ながら、恐れ多さに途方に暮れた。
先程からスレン様は何も仰らない。
『もう一度はじめましてから始まる。』
おや、ちょうど新年ですね。
今年もよろしくお願いします。