102 レオナルと巫女王候補の少女
俺には特別な気配をかぎわける能力は、あいにくと備わっていない。
だが異変を嗅ぎ分けることはできる。
まず、修練場について感じたのは、皆の落ち着きの無さだ。
始終、という訳ではない。
当たり前だ。日頃から鍛錬を積んだものが、そうであっては困る。
だが、切れ切れの集中力が、いかに用をなさないかという事も身をもって体感済みだ。
まず感じた違和感。
それは。
能力値の高い者たちの姿が、こぞって見えないという点だ。
副団長であるシオンをはじめとして、まとめ役であるはずのレメアーノまでもがいない。
他にも数名の姿が見えなかった。
残っていた者たちに所在を確認したが、誰も知らされていないという。
周囲を見渡す。
気が付けば、自分も修練場を後にしていた。
この胸に差し迫る正体が何なのか、説明がつかない。
だが、強いて言い表すのならば「焦り」だと思う。
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目的もないまま、神殿内を小走りで突き進んだ。
ふと、視界の端に人だかりが出来つつある一角が目に入る。
聖なる清めの間。
祭礼時などの特別な時でもなければ、おいそれとは入れない。入ってもいけない。
その扉が開かれているのが見えた。
突き動かされたように、そちらに向かって駆けつけた。
扉の両脇に整列し、礼を取る団員達の間を抜けて、間に飛び込んだ。
その時だった。
『おばあちゃん!!』
大声でそう叫んで、巫女王様に抱きつく娘に、この場の誰もが息をのんだ。
カラン、と乾いた音がして、何かが転がったようだった。
娘の被っていたショールが滑り落ち、見事な闇色の髪が日のもとに晒される。
ふうわりと空気をはらんだ髪がなびいた。
その動きが落ち着くまでを、息を詰めて見守っていた。
落ち着かせたのは、他でもない。
巫女王様の繊細な指先だった。
『あらあら。いい子ね。そうね、寂しかったのね?』
そう言いながら、優しく抱きとめた髪と、背を撫でてやっている。
『おばあちゃん、もう置いていかないで』
『ごめんなさいね……。』
『おばあちゃん、一緒に森に帰ろうよ。はやく。ここは怖い男の人達ばっかりで、怖いよ。嫌だよ』
『あらあら。そうなの? そんな事ないわよ。きっと誤解だわ。ね?』
やわらかく宥められても、少女はイヤイヤと首を横に振った。
幼い子供のように泣きじゃくりながら、か細い腕で必死に巫女王様にしがみついている。
それを諌めようとシオンが動いたが、じいさんに目で制された。
スレンもシオンを見下すような一瞥をくれると、少女に歩み寄った。
膝を折り目線を同じにして、少女の顔をのぞき込む。
『迎えられた姫君』
そう歌うように呟くと、少女の頭を撫で始めた。
『ここに来て良かっただろう? 君の会いたかった人にこうして会うことが出来たもの』
艷やかな黒髪の一房を弄びながら、スレンが言う。
少女は直ぐ様、二度も三度も頷いた。
それを見て、奴はこれ以上もないくらい笑った。
こちらの背筋に寒いものが通り向ける程の、笑みだった。
満足そうに――だが、スレンの眼差しは、少女を通り越したものを見据えている気がしてならない。
「……スレン」
誰もが息を詰めて状況を見守る中、自身の乾いた声が響きわたった。
「その娘が大魔女の娘か?」
スレンは言葉を発さなかった。
ただ小馬鹿にしたような一瞥を、投げて寄越しただけだ。
何を今さら訊いてくるのか、といった所だろう。
スレンは静かに受け流した。視線も同じく。
その流れ着いた先は、少女の方だ。
その眼差しにならう。
少女の身体は小刻みに震えていた。
嗚咽のせいだけでは無さそうだ。
巫女王様にしがみつく指先に、力がこもったのが見えた。
明らかに娘が怯えたのが伝わってきて、何とも苦い気持ちが広がってゆく。
この胸を狭める想いが何なのか、説明がつかない。
酷い焦燥感だということだけは分かる。
苛立ちと失望のまま、一歩を踏み出す。
少女の身体が目に見えて強ばった。
そんな背筋が目に飛び込んでくる。
白くか細い、明らかに自分とはかけ離れた華奢な造りは、それだけで罪作りだ。
こんなにも罪悪感を抱かせる。
ただ、声を上げただけだというのに。
忌々しく思ってこそはみたものの、口には出さなかった。
代わりに想いの丈を、眼差しでぶつけた。
巫女王様にしがみついて、けっしてこちらを見るまいとしている、その背中めがけて。
その視線をどうにかしてこちらに向けてやらねば、気が済まない。
荒々しい靴音を響かせて近づいた。
だが、それを遮るかのように、神官長が俺の前に立ちふさがる。
そして俺を睨み据えたまま振り返らずに、優しい声を聞かせるように声を張り上げた。
「おお、嬢様! この者も礼儀がまるでなっとらん。このジジイの躾が、なっておらんかったようですな。お許し下さいませ」
言いながら、杖の先を俺へと振りかぶった。
既に身を屈めて礼を取る、団員達の視線も集中する。
「レオナル! 立場をわきまえんか!」
「じいさん」
「阿呆っ! 即刻、礼を取らんか!!」
じいさんこと神官長がいきり立って杖をうち鳴らす。
少女が声を発さずとも「怖い」と訴えている。
ただひたすらに、体を丸めているだけだが、きっとべそをかいているに違いない。
「神官長、乙女が怯えた」
「ぃやかましい!!」
青筋を浮き立たせて、じいさんが言い返してきた。
高齢者を、あまり興奮させない方がいい。
どこかが切れて、ぽっくり逝かれても後味が悪い。
そう思ったから、素直に片膝を付いた。
視線を向けると、じいさんが睨みつけていたので見返してやる。
オマエの言い分は聞いてやる。
だが、後でだ。
そのような無言の圧力を感じた。
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『そんなに怖がらなくっても大丈夫だよ。ほら、ごらん。皆、君に礼儀を尽くす者ばかりだから。――そうでない者は皆、それなりの罰を受けるだろうさ』
スレンはさも愉快そうにあざ笑いながら、顎をしゃくり上げて俺たちを見た。
そんなスレンに促されて、少女はそっと跪く男たちを見渡した。
皆が頭を垂れる中、俺だけはそうしなかった。
何故だろうか。
そのスレンの手つきが腹立たしくて、憎しみ込めて見つめていた。
だが、それだけだ。
ただ、それだけ。
それ以上の反撃ならないのが、癪に障る。
スレンを睨みつけていると、少女が怯えた眼差しを向けたまま、固まった。
しまったと想っても遅かった。
再び、彼女は巫女王様へと抱きつき、こちらに背を向けてしまった。
少女とは間違いなく、一瞬目があった。
深く闇をたたえた瞳。
潤んで、焦点すらも定まらず、揺れる眼差し。
真夜中の湖面のような風情。
はっと鋭く息を飲まずにはいられなかった、というのに。
その瞬間に逸らされた……。
違う、誤解だ、頼むから今一度、こちらを振り向いて欲しい。
切実にそう願ったが、娘は振り向いてはくれなかった。
ただひたすらに、この場に背を向けて身を固めているのがわかった。
その時の気持ちを言い表すのならば、落胆といえばいいのだと思う。
次期、巫女の頂点に立つという少女の、あまりの繊細さに先行きを危ぶんだ……からだ。
常に堂々とした強い光を放つような巫女王様と、どうしたって比べてしまう。
それに引き換え、この少女ときたら。
まるっきり覇気がない。
それどころか、まるで怯えきった子猫ではないか。
どこぞに打ち捨てられていたせいで痩せこけた、見るも無残な真っ黒の子猫。
そう考えをまとめて、忌々しくその背中を見つめた。
怯えている様ももどかしく、腹立たしい。
あんなに弱弱々しい生き物が視界にあるだけで、目障りだとすら思った。
そう感ずるのなら、即座に背を向ければいいだけの話しだ。
だが、そうしない己に一番腹が立った。
目を離せないのだ。
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早朝の、スレンの言葉が蘇る。
良かったじゃないかレオナル。
君はよく、大魔女がきちんと税を納めないとぼやいていたけれどもさ。
なあに。
最後の最後で、大きな見返りを残しておいてくれたじゃないか!
充分だろう?
稀有な存在が君の手中に収まったのだから!
そう。
その機会を活かすべき時がきたよ。
さあ。
君はここに署名すればいいんだ。
そう、ここだよ。
これで名実ともに君は、巫女王候補の後見人という立場を手に入れられる。
何をためらうと言うんだい?
さあ――。
ただ、奴の言われるままに自分の名前を書き連ねた。
ザカリア・レオナル・ロウニアが、大魔女の娘を保護し、その身を神殿に預ける事を承諾する――。
それだけだった。
何の疑問を覚えることもない、ただの一連の作業の一環だったはずなのに。
この手に残されたものが書状だけだということに、酷い虚しさを覚えたのは何とする?
気が付けば、ぐしゃりと握りつぶしていた書状。
放り投げるわけにもいかず、自室の引き出しに押し込めてきた。
この訳の分からないもどかしさを振り切るために、修練場へと急いだはずなのに。
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「皆、ご苦労でしたね。この子が落ち着いたら改めて、紹介すると致します。皆、持ち場に戻って下さい」
涼やかな声音が響きわたる。
その声に皆、弾かれたように己を取り戻した様子だった。
めいめい、頷いて巫女王様に応えている。
止まっていたかのように思えた時間が流れ出した。
そんな中、俺だけが動き出せずにいた。
ただ、馬鹿みたいに――。
高貴な砦に守られた、黒髪の娘だけを見続けていた。
決して、こちらを見ようともしない娘を未練がましく。
ひたすらにこちらを振り向きはしないかと、それだけを期待して。
すっかり怯えきった少女を、スレンが抱き上げて退出して行く。
ただその後ろ姿を、黙って見守る事しか出来なかった。
その背が見えなくなるまでずっと、その場にたたずんでいた。
『生まれて初めて目にした……?』
レオナル、せっかくのチャンスを~。
振り出しに戻った感じですね。
記憶が無いわりに、気になって仕方がない。
巫女王様を『おばあちゃん』と呼んで泣きつく魔女っこに
何だか泣き出しそう。