表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/130

102 レオナルと巫女王候補の少女

 

 俺には特別な気配をかぎわける能力は、あいにくと備わっていない。


 だが異変を嗅ぎ分けることはできる。

 まず、修練場について感じたのは、皆の落ち着きの無さだ。

 始終、という訳ではない。

 当たり前だ。日頃から鍛錬を積んだものが、そうであっては困る。

 だが、切れ切れの集中力が、いかに用をなさないかという事も身をもって体感済みだ。


 まず感じた違和感。

 それは。

 能力値の高い者たちの姿が、こぞって見えないという点だ。


 副団長であるシオンをはじめとして、まとめ役であるはずのレメアーノまでもがいない。

 他にも数名の姿が見えなかった。

 残っていた者たちに所在を確認したが、誰も知らされていないという。

 周囲を見渡す。


 気が付けば、自分も修練場を後にしていた。


 この胸に差し迫る正体が何なのか、説明がつかない。

 だが、強いて言い表すのならば「焦り」だと思う。


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


 目的もないまま、神殿内を小走りで突き進んだ。


 ふと、視界の端に人だかりが出来つつある一角が目に入る。


 聖なる清めの間。


 祭礼時などの特別な時でもなければ、おいそれとは入れない。入ってもいけない。

 その扉が開かれているのが見えた。

 突き動かされたように、そちらに向かって駆けつけた。


 扉の両脇に整列し、礼を取る団員達の間を抜けて、間に飛び込んだ。


 その時だった。


『おばあちゃん!!』


 大声でそう叫んで、巫女王様に抱きつく娘に、この場の誰もが息をのんだ。

 カラン、と乾いた音がして、何かが転がったようだった。

 娘の被っていたショールが滑り落ち、見事な闇色の髪が日のもとに晒される。

 ふうわりと空気をはらんだ髪がなびいた。

 その動きが落ち着くまでを、息を詰めて見守っていた。


 落ち着かせたのは、他でもない。


 巫女王様の繊細な指先だった。


『あらあら。いい子ね。そうね、寂しかったのね?』


 そう言いながら、優しく抱きとめた髪と、背を撫でてやっている。


『おばあちゃん、もう置いていかないで』

『ごめんなさいね……。』

『おばあちゃん、一緒に森に帰ろうよ。はやく。ここは怖い男の人達ばっかりで、怖いよ。嫌だよ』

『あらあら。そうなの? そんな事ないわよ。きっと誤解だわ。ね?』


 やわらかく宥められても、少女はイヤイヤと首を横に振った。


 幼い子供のように泣きじゃくりながら、か細い腕で必死に巫女王様にしがみついている。

 それを諌めようとシオンが動いたが、じいさんに目で制された。

 スレンもシオンを見下すような一瞥(いちべつ)をくれると、少女に歩み寄った。

 膝を折り目線を同じにして、少女の顔をのぞき込む。


迎えられた姫君(クレメン・ティーナレ)


 そう歌うように呟くと、少女の頭を撫で始めた。


『ここに来て良かっただろう? 君の会いたかった人にこうして会うことが出来たもの』


 艷やかな黒髪の一房を弄びながら、スレンが言う。

 少女は直ぐ様、二度も三度も頷いた。

 それを見て、奴はこれ以上もないくらい笑った。

 こちらの背筋に寒いものが通り向ける程の、笑みだった。

 満足そうに――だが、スレンの眼差しは、少女を通り越したものを見据えている気がしてならない。


「……スレン」


 誰もが息を詰めて状況を見守る中、自身の乾いた声が響きわたった。


「その娘が大魔女の娘か?」


 スレンは言葉を発さなかった。

 ただ小馬鹿にしたような一瞥(いちべつ)を、投げて寄越しただけだ。

 何を今さら訊いてくるのか、といった所だろう。

 スレンは静かに受け流した。視線も同じく。

 その流れ着いた先は、少女の方だ。

 その眼差しにならう。


 少女の身体は小刻みに震えていた。


 嗚咽のせいだけでは無さそうだ。


 巫女王様にしがみつく指先に、力がこもったのが見えた。


 明らかに娘が怯えたのが伝わってきて、何とも苦い気持ちが広がってゆく。

 この胸を狭める想いが何なのか、説明がつかない。

 酷い焦燥感だということだけは分かる。

 苛立ちと失望のまま、一歩を踏み出す。

 少女の身体が目に見えて強ばった。

 そんな背筋が目に飛び込んでくる。

 白くか細い、明らかに自分とはかけ離れた華奢な造りは、それだけで罪作りだ。

 こんなにも罪悪感を抱かせる。

 ただ、声を上げただけだというのに。

 忌々しく思ってこそはみたものの、口には出さなかった。

 代わりに想いの丈を、眼差しでぶつけた。


 巫女王様にしがみついて、けっしてこちらを見るまいとしている、その背中めがけて。


 その視線をどうにかしてこちらに向けてやらねば、気が済まない。

 荒々しい靴音を響かせて近づいた。

 だが、それを遮るかのように、神官長が俺の前に立ちふさがる。

 そして俺を睨み据えたまま振り返らずに、優しい声を聞かせるように声を張り上げた。


「おお、嬢様! この者も礼儀がまるでなっとらん。このジジイの躾が、なっておらんかったようですな。お許し下さいませ」


 言いながら、杖の先を俺へと振りかぶった。

 既に身を屈めて礼を取る、団員達の視線も集中する。


「レオナル! 立場をわきまえんか!」

「じいさん」

「阿呆っ! 即刻、礼を取らんか!!」


 じいさんこと神官長がいきり立って杖をうち鳴らす。

 少女が声を発さずとも「怖い」と訴えている。

 ただひたすらに、体を丸めているだけだが、きっとべそをかいているに違いない。


「神官長、乙女が怯えた」

「ぃやかましい!!」


 青筋を浮き立たせて、じいさんが言い返してきた。

 高齢者を、あまり興奮させない方がいい。

 どこかが切れて、ぽっくり逝かれても後味が悪い。

 そう思ったから、素直に片膝を付いた。

 視線を向けると、じいさんが睨みつけていたので見返してやる。


 オマエの言い分は聞いてやる。

 だが、後でだ。


 そのような無言の圧力を感じた。


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


『そんなに怖がらなくっても大丈夫だよ。ほら、ごらん。皆、君に礼儀を尽くす者ばかりだから。――そうでない者は皆、それなりの罰を受けるだろうさ』


 スレンはさも愉快そうにあざ笑いながら、顎をしゃくり上げて俺たちを見た。


 そんなスレンに促されて、少女はそっと跪く男たちを見渡した。

 皆が頭を垂れる中、俺だけはそうしなかった。

 何故だろうか。

 そのスレンの手つきが腹立たしくて、憎しみ込めて見つめていた。

 だが、それだけだ。

 ただ、それだけ。

 それ以上の反撃ならないのが、癪に障る。


 スレンを睨みつけていると、少女が怯えた眼差しを向けたまま、固まった。

 しまったと想っても遅かった。

 再び、彼女は巫女王様へと抱きつき、こちらに背を向けてしまった。


 少女とは間違いなく、一瞬目があった。


 深く闇をたたえた瞳。

 潤んで、焦点すらも定まらず、揺れる眼差し。

 真夜中の湖面のような風情。


 はっと鋭く息を飲まずにはいられなかった、というのに。


 その瞬間に逸らされた……。


 違う、誤解だ、頼むから今一度、こちらを振り向いて欲しい。

 切実にそう願ったが、娘は振り向いてはくれなかった。

 ただひたすらに、この場に背を向けて身を固めているのがわかった。


 その時の気持ちを言い表すのならば、落胆といえばいいのだと思う。

 次期、巫女の頂点に立つという少女の、あまりの繊細さに先行きを危ぶんだ……からだ。


 常に堂々とした強い光を放つような巫女王様と、どうしたって比べてしまう。


 それに引き換え、この少女ときたら。

 まるっきり覇気がない。

 それどころか、まるで怯えきった子猫ではないか。

 どこぞに打ち捨てられていたせいで痩せこけた、見るも無残な真っ黒の子猫。


 そう考えをまとめて、忌々しくその背中を見つめた。

 怯えている様ももどかしく、腹立たしい。

 あんなに弱弱々しい生き物が視界にあるだけで、目障りだとすら思った。

 そう感ずるのなら、即座に背を向ければいいだけの話しだ。

 だが、そうしない己に一番腹が立った。


 目を離せないのだ。


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


 早朝の、スレンの言葉が蘇る。


 良かったじゃないかレオナル。

 君はよく、大魔女がきちんと税を納めないとぼやいていたけれどもさ。

 なあに。

 最後の最後で、大きな見返りを残しておいてくれたじゃないか!


 充分だろう?


 稀有な存在が君の手中に収まったのだから!


 そう。

 その機会を活かすべき時がきたよ。

 さあ。

 君はここに署名すればいいんだ。

 そう、ここだよ。


 これで名実ともに君は、巫女王候補の後見人という立場を手に入れられる。

 何をためらうと言うんだい?


 さあ――。


 ただ、奴の言われるままに自分の名前を書き連ねた。


 ザカリア・レオナル・ロウニアが、大魔女の娘を保護し、その身を神殿に預ける事を承諾する――。


 それだけだった。

 何の疑問を覚えることもない、ただの一連の作業の一環だったはずなのに。


 この手に残されたものが書状だけだということに、酷い虚しさを覚えたのは何とする?


 気が付けば、ぐしゃりと握りつぶしていた書状。


 放り投げるわけにもいかず、自室の引き出しに押し込めてきた。


 この訳の分からないもどかしさを振り切るために、修練場へと急いだはずなのに。


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


「皆、ご苦労でしたね。この子が落ち着いたら改めて、紹介すると致します。皆、持ち場に戻って下さい」


 涼やかな声音が響きわたる。


 その声に皆、弾かれたように己を取り戻した様子だった。

 めいめい、頷いて巫女王様に応えている。

 止まっていたかのように思えた時間が流れ出した。

 そんな中、俺だけが動き出せずにいた。


 ただ、馬鹿みたいに――。


 高貴な砦に守られた、黒髪の娘だけを見続けていた。


 決して、こちらを見ようともしない娘を未練がましく。

 ひたすらにこちらを振り向きはしないかと、それだけを期待して。


 すっかり怯えきった少女を、スレンが抱き上げて退出して行く。


 ただその後ろ姿を、黙って見守る事しか出来なかった。


 その背が見えなくなるまでずっと、その場にたたずんでいた。


『生まれて初めて目にした……?』


レオナル、せっかくのチャンスを~。


振り出しに戻った感じですね。


記憶が無いわりに、気になって仕方がない。


巫女王様を『おばあちゃん』と呼んで泣きつく魔女っこに


何だか泣き出しそう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ