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100 女神様と魔女の娘

 

 夜が明けきるその前に、地主様の館を後にした。


 私は夢であったのだから、夜明けと共に立ち去らねばならない。


 アォォォ――――ンン!!


 未だ人々の寝静まる中、犬たちの遠吠えが響き渡る。

 鳴き声に驚いたのだろう。枝で休んでいた鳥達も、いっせいに羽ばたいた。

 そんな中、館に背を向けた。

 犬たちは気配に敏感だ。何かを感じ取ったに違いない。


 ァォォ―――ゥ――!


 風と一緒に遠ざかって行っても、遠吠えがいつまでも耳に届くのは何故なのだろう。

 心の中でさよならと告げて、耳を塞いだ。


 闇がゆっくりと薄れゆくその中を、スレン様と馬に揺られて進む。

 それが何とも後ろめたくて、ショールを被りこんで身を縮めた。


 頬に当たる風が冷たくて助かると思った。

 温かなまどろみに身を任せたら最後、何もかも夢だと片付けてしまいかねない。

 私は、私だけは、夢と忘れる事を自分に許すまいと誓ったのだ。

 そんな自分を諌めてくれる風をありがたく感じながら、揺れに身を任せた。


 丘を超えて、畑を通り抜け、街も抜ける。


 目指す場所は、神殿と呼ばれる所だ。


 遠目からも荘厳さがひしひしと伝わってくる。

 大きく天に向かってそびえ立つ尖塔が、こちらを見下ろしていた。

 近づくにつれ、建物の周りを取り囲む壁と堀が見え始めた。

 張り巡らされた城壁と、たたえた水とに守られた聖域。


 神殿へと掛けられた橋を馬で駆け抜けると、重い扉が開かれた。

 すり抜けるように通り過ぎると、扉はまた勝手に閉まった。

 側には誰の姿も見えない。

 スレン様は何も仰ってはくれない。

 私も尋ねる気が起きない。

 それでいいのだろう。

 二人の間で言葉にせずとも、成り立つものが出来つつあるのだとだけ感じた。


 広く開けた場所は庭園なのだろうか。たくさんの白い花々に迎えられた。

 そこまで無言で進むと、馬から下ろされた。


 スレン様の白馬もまた、心得たように勝手にどこかに行ってしまった。


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


 これだけ大きな建物なのに、しんと静まり返っている。

 人の気配がまるでしない。

 誰ともすれ違うことなく、幾本も並んだ柱の間から、差し込んでくる朝日の中を進む。

 響くのはスレン様の靴音だけだ。

 どうしても自分で歩く、とは言い出せなかった。

 なだらかだが、容赦なく続く階段に嫌気が差したのではない。

 こんなにも真っ白な石造りの回廊を、杖を付くのをためらった。

 それどころか、自分の足を付けることさえ、何だか遠慮したいと思った。

 そんな私を見越していたのだろう。

 馬から降ろしてもらった時に抱えられたままで、スレン様にこうやって運ばれている。

 抱えてもらいながら、杖をぎゅっと握り締めた。


 スレン様の歩みに迷いはない。


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


 やがて、ひときわ優美な装飾の扉に突き当たった。

 たくさんの蔦と無数の小さな蛇の模様が、扉の左右対照に浮かび上がるように彫られている。

 そこには取手は見当たらなかった。

 スレン様が一歩進むと、またひとりでに扉が開いた。


 そこは天井からいっぱいに陽の光が差し込んでいて、あまりの眩しさに瞳を閉じた。

 そっと下ろされたが、支えられていても立っていることが出来なかった。


『ほらフルル。ここなら誰も君に干渉しない。君が君のままでいられるよ』


 力なく頷いて、その場にへたり込んだ。


『気に入った?』


 こくりと頷く。そのまま、うなだれて、自分がへたりこむ冷たい床を見つめた。

 白く不可思議な文様の浮かび上がるそこは、確かに清らかで淀みがない。

 その分、硬質で何をも寄せ付けない気高さがあった。

 そう。そこには悲しみも嫉妬も苛立ちもない。そして嬉しさも羨望も愛しさもだ。

 私を煩わせるものなど、何も無い。

 あるのは静寂だけだ。


『しばらくここで待っていて』


 そう声を掛けられたのと、扉の閉まる音も同時だった。

 背中でそれを感じ取りながら、振り返ることなく頷く。

 頷いたまま、そのまま二度と頭が上げられない気さえした。

 それでも、清々しい空気に励まされ、光に導かれるように目線を上げる事が出来た。


 この白亜の間で、佇むのは私と、女神像だけだ。

 静けさに身を浸しながら、自分に問いかけずにはいられなかった。


『これが私の望んだことだったの?』


 誰にも干渉しないし、誰からも干渉されない。


『そう。望んだはず』


 でも、違った――。

 そう感じる心をなだめようもなく。

 封じることも出来ずに。

 冷たい床に突っ伏して泣いた。


 誰の感情にも晒される事のない、恵まれた環境だ。

 そんな中にあってさえ、身体を支配するのは痛みだというのは、どういう事だろう?


 ――レオナル様。


 胸を抑えながら、声を押し殺して泣いた。


 女神像が見ている。


 この国に乙女として舞い降りたという、私達の始祖でもあるという女神様。


 慈悲深く微笑む彼女に見下ろされながら、もう一度自分に問いかけた。


『これが私の望んだことだったの?』


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


 とてもとても幸せだったあの頃。


 おばあちゃんと二人きりの森の中。


 静かだった。

 私の心が波うつ事なんてなかった。

 そんな事思いもよらなかった。


 毎日が穏やかで、でも大切で。


 そうやって、ずっとずっと、この先も過ごしていけるのだと思っていた。


 疑いもなく信じてやまなかった。


 ある日、あの人の波に攫われるまでは。


 寂しい。

 寂しい、寂しい、寂しい。

 堰を切って溢れ出した想いの、行き着く先はどこだろう。


 会いたい。

 ただ、その一言に尽きた。


 あの人に会いたい。

 でも、もう会うことはない。

 私を夜露(カルヴィナ)と呼ぶ人は、もういない。


 夜露は朝日に消えたのだから。


 カルヴィナという娘はもう、どこにもいない。


 在ったのだとしたらそれは、ひと時の夢の中だけ。


 彼にかけた暗示を自分自身にも繰り返す。


 同じように神殿という聖域の静寂に守られながら、私の心は変わらず波に攫われたまま。


 ここはどこだろう。

 涙だけが溢れ続ける。

 本当は何かが違うと叫び出したかった。

 でも嗚咽は咽喉に張り付いてしまって出てこない。

 出口を求めてさ迷う想いを飲み込んで、それがまた出口を求めて暴れだす。


 視線をさ迷わせてみても、何も瞳に映らないのはどうした事だろう。


 いいや、映ってはいる。


 いつもは心地良く感じるはずの、光受けた木々の緑や、空。

 自身の細くか細い指先も、黒い毛先までしっかりと視界に映りこんでいるはずだ。

 それなのに。

 何も映しやしないと想うのは、どうしてだろう。


 説明がつかない。


 今、ここにあるはずのない影を探して、視線が揺らぐ。

 揺らぐうち、再びかすんでぼやけ始めた。


 それこそ、説明が付かない。


 ――これが私の望んだことなのだ。


 自分の落とした涙が、冷たい石床に溜まってゆくのをただ、見つめていた。


 ・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。:・。・:*:・。・:*:・。・:*:・。・


 不意に扉が開け放たれた。

 スレン様が戻ったのだろうかと、振り返ったが違った。

 黒尽くめの格好は一緒だが、知らない男の人だった。


 乱暴な靴音がどんどん近づいてくる。


「そこで何をしている?」


 声は鋭く、叱責されているのだと知る。


『あ……。』


 だが怖くて言葉にならなかった。


 足音が近づくにつれ、響く声も大きくなる。


『早速、心細い魔女っこ。』


覚悟したはいいけれどもさ。


やはり寂しくなってやんのです。


さてさて新キャラ投入の次回です。


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