10 魔女と客人
新登場~
「ああ、そこの君」
突然声を掛けられた。
振り返ると、これまた見たことの無い男性がこちらを見下ろしていた。
石柱に寄りかかるようにして、彼はこちらを眺めている。
(いつのまに?)
中庭を眺める事に気を取られていて、まるで気配に気が付かなかった。
金糸で刺繍された上着の襟元をゆったりと緩めて着崩しているが、一目で上等と解る身なりのよさだった。
明るい日差しがより一層、この男性の金髪を軽やかなものに印象付けている。
少しくせがある、ふわふわと空気をはらんでいる髪が風にさらわれる。
コツコツと石床に当たる靴音すら、軽やかなステップのように聞えるから不思議だ。
雨に濡れた葉っぱと同じくらい鮮やかな、明るい緑色の瞳に見つめられる。
「ふぅん」
しげしげと見定められたが、よくある事なのであまり気にならない。
確かにこの色合いは珍しい。
私も、自分以外のこの色の持ち主を知らない。
「珍しい色合いだね」
彼はさらりと言った。
まるで「珍しい毛並の子犬が産まれたね」というのと同じ調子で。
「聞きしに勝る見事なカラス娘だ。何故こんな所に君がいるのかな?」
「私のほうが知りたいです」
「うわ! 口を利いた! 賢いんだな!」
「……。」
馬鹿にしているのだろうか。
それともこの彼自身が馬鹿なのだろうか。
馬鹿にされたような気がしないでもないが、あまりに真剣な表情で驚くから本気のようだ。
おつむは大丈夫なのだろうか、この人。
そんな心配に気が行っていて、彼の何やら楽しそうな企み顔にまでは気が回らなかった。
かざされた手のひらに怯む間もなく、頭と顔をもみくちゃにされていた。
「あはは! かわいい、かわいい! お利口さんだな、君、名前は?」
「……。」
答えていいものかどうか真剣に悩んだ。
告げたところで彼に理解できるのだろうか。
地主様たちと同じようなやり取りをした所で、彼が納得するとも思えない。
しまいには「名乗れない? 何、名前が無いの? だったら名づけてあげるよ!」と本気で言い出しかねない。
ご勘弁願いたい。
きっとものすごく、とんでもない名前になる気がする。
黙ったまま訝しげな視線を向ける。
彼の唇の両端がぐっと持ち上がる。
「うっわぁ、いい手触りだね。さすが大地主様の所のコは、みんな毛並がいいなぁ」
みんな?
他に誰を指して言っているのだろう。
そこで、地主様に飼われている猟犬たちが浮かぶのは何故だろうか。
ぐわっしゃ、ぐわっしゃ、と頭を盛大に撫でられた。
これ、絶対に嫌がらせだ。
「ねぇ。君、名前は?」
「名前、は、すみませんが名乗れないのです」
「そう」
意外にも彼はそれ以上の追求はしてこなかった。
ただ、ふんと鼻を一つ鳴らしたくらいだった。
「誰にも名乗らず、呼ばせもしないのならば、君は名無しと同じゃないか」
「まぁ、あるにはあるのですが……便宜上、エイメとお呼び下さい」
『娘!?』
「はい」
「何それ」
「便宜上ですから」
この方も古語の意味が解ったようだ。
ひとまず馬鹿では無さそうだと安心する。(アホウかもしれないが。)
大げさに右に左にと、頭を撫でさする手が止まった。
しかし彼の大きな手のひらは頭に置かれたままだ。
窺うように見上げると、何やら考え込んでいるようだった。
そうか――などと呟いている。
「よし! じゃあ君の事はフルル、と呼ぶことにしよう」
「ふるる、ですか?」
「嫌?」
何故。
そう思ったが黙っていた。
しかし視線がそう訴えていたのだろう。
彼は再び、私の頭を盛大に撫でながら説明しだした。
「君さー、ふるふる震えてるみたいに歩いていたし、子犬みたいに全部がふるふるしてて可愛いから!」
私の瞳を面白そうに見つめ返しながら、彼はそうのたまった。
やっぱり! 彼に心配りを期待してはいけないようだ。
それに心使いの方も欠けている。
「……。」
手にしていた杖を、思わず振り上げてしまいそうになったが堪えた。
ぎゅっと力を入れて杖を握ったせいか、身体が小刻みに震え出す。
「じゃあ、ケインだ」
イキナリ強そうな名前だ。
「前にボクが飼っていた黒い猟犬の名だよ。かっこいいだろう?」
頷けるものか! 頷いたら最後、彼からはケインと呼ばれるだろう。
それ以前に彼の元・飼い犬の名前って!?
とんでもない二者択一だ。
恐らくここで選ばねば、いつまでも彼のおもちゃからは解放されないだろう。
消去法でいくならばしぶしぶフルルの方で、と呟かずにはいられなかった。
その答えに満足したのか、彼はにっこりと満面の笑みを見せた。
ぽん、ぽんと頭を軽く叩かれる。
どうあっても彼にとって私の位置は飼い犬のようだ。
ただ尻尾が無いだけで、人の言葉を話す犬にしか見えていないのだろう。
「じゃあ、フルル。ご主人様のお部屋までお茶とお菓子をお届けして、お客様のおもてなしをしてね?」
そう言い置くと片手をひらひらさせながら、立ち去って行った。
その背をぼんやりと見送りながら、髪を撫で付けて整える。
せっかくお姉さん達がきれいにまとめ上げてくれていたのに、台無しだ。
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見た目も口調も軽やかな方だ。
そしてふるまいも。
きっと何もかも思うように、自由にして良いご身分なのだろうと推測する。
適当に名乗れば良かったのだ。
あんなお方に生真面目に対応してしまった己こそ、馬鹿だと思った。
『魔女っこは結構気が強い。』
馬鹿にされたらきちんと腹を立てます。
でも堪えた様子。
弱気と強気を行ったり来たり。