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無能と呼ばれた公爵令嬢、辺境で愛を知る

作者: 夏目優希
掲載日:2026/07/31

「お姉様には、失望しました」


社交界デビューの舞踏会で、妹セシルは声高らかにそう言った。会場中の視線が、壇上に立つエリアーヌに集まる。


「剣も魔法も使えない出来損ないの姉に、公爵家の跡継ぎは務まりません。今日をもって、私が正式な後継者となります」


父である公爵は、それを黙認するように頷いた。母は目を逸らした。エリアーヌは、驚きはしなかった。物心ついた頃から、剣を握れば「型が悪い」と笑われ、魔法を使えば「才能がない」と切り捨てられてきた。妹が周囲から「天才」と讃えられるたび、自分の存在は薄くなっていった。食事の席で名を呼ばれることはほとんどなく、誕生日の贈り物すら、セシルのものより一段簡素だった。


十二歳の頃、一度だけ母に「なぜ私だけ、こんなに冷たくされるのですか」と尋ねたことがある。母は困ったように微笑んで、「あなたは、しっかりしているから」とだけ答えた。それが慰めなのか、それとも単なる言い訳なのか、エリアーヌには最後まで分からなかった。以来、期待することをやめ、感情を表に出すことも、少しずつ減っていった。


「無能な姉のことは、もう忘れてください、皆様」


セシルの言葉に、会場からくすくすと笑いが漏れる。かつての婚約者候補たちが、目を逸らして囁き合う声も聞こえた。エリアーヌは、その笑いをただ黙って受け止めた。


「かしこまりました」


短く答え、エリアーヌは会場を後にした。振り返らなかった。振り返ったところで、そこにあるのは自分を見送ろうともしない家族の背中だけだと分かっていたからだ。


翌朝、最低限の荷物だけを持たされ、屋敷を出されたエリアーヌを待っていたのは、辺境の砦を預かる若き騎士団長、ダミアンだった。


「行く当てがないなら、うちで人手として雇おう。剣も魔法も要らない。帳簿と、砦の管理を頼みたい」


「……それは、同情ですか」


「同情でこんな面倒事は頼まない。単に、人が足りていないだけだ」


その言葉に嘘は見えなかった。周囲を見渡せば、砦の兵たちは戦支度に追われ、事務仕事にまで手が回っていない様子がありありと窺えた。エリアーヌは頷いた。


砦での日々は、静かだが穏やかだった。誰もエリアーヌを「無能」とは呼ばなかった。むしろ、帳簿の不備を見抜き、物資の無駄を洗い出すエリアーヌの仕事ぶりに、ダミアンは静かに信頼を寄せていった。


「三年分の帳簿の乱れを、お前は一晩で見抜いた」


「たまたま、目についただけです」


「たまたまで見抜けるものではないと思うが」


ダミアンは静かにそう言うと、少しだけ表情を緩めた。無口で武骨な男だったが、エリアーヌの仕事を認める言葉だけは、惜しまなかった。物資の配分に頭を悩ませていた時も、真っ先に意見を求められるのは、いつもエリアーヌだった。


「お前は、無能なんかじゃない。ただ、正しく見られてこなかっただけだ」


その一言が、十七年間積もった何かを、静かに揺らした。誰かに真っ直ぐ頼りにされることが、こんなにも胸を温かくするとは、知らなかった。


 半月後、砦の近くの森で、大型の魔獣の群れが発生した。ダミアンたちが出撃した夜、想定を超える数に苦戦しているとの報せが届いた。屋敷に残っていた兵たちの間にも、焦りの色が広がっていく。


「私も、行きます」


「お前が? 剣も魔法も――」


言いかけたダミアンの言葉を遮り、エリアーヌは倉庫の奥にしまわれていた古い剣を手に取った。触れた瞬間、剣身が淡い光を帯びる。


「これは、亡くなった祖父の剣です。子供の頃、誰も使えないと言われて、ずっと蔵にしまわれていました」


剣を握った瞬間、エリアーヌの中で何かが弾けた。これまで誰にも認められなかった魔力が、堰を切ったように溢れ出す。夜の森を照らし出すほどの光を纏い、振るった一閃が、魔獣の群れを一撃で薙ぎ払った。兵たちが息を呑んで立ち尽くす中、静寂だけが森に満ちた。誰もが、目の前で起きたことを信じられずにいた。


「――これが、お前の力か」


呆然とするダミアンに、エリアーヌは静かに答えた。


「私の魔力は、感情を封じることで抑え込まれていたようです。誰にも期待されず、感情を殺して生きてきたから、ずっと気づかなかった」


戦いが終わった夜、ダミアンはエリアーヌの手をそっと取った。傷だらけの手には、これまで彼女が積み重ねてきた努力の跡が刻まれていた。


「もう、隠さなくていい。これからは、俺がお前の力を見ていく」


その日を境に、ダミアンの態度は目に見えて変わった。食事の席では、真っ先にエリアーヌの好みの皿を取り分け、夜番の兵たちには「エリアーヌ嬢に無理をさせるな」と念を押す。エリアーヌが夜遅くまで戦後処理の書類に向かっていると、いつの間にか温かい茶を差し入れてくれるようになった。


休みの日には、砦の裏庭で剣の型を教えてくれることもあった。


「力任せに振るうな。お前の魔力は繊細だ。丁寧に、流れに乗せるように」


「難しいです」


「最初は皆そうだ。焦らなくていい」


不器用な手つきで剣を構えるエリアーヌの背後から、ダミアンがそっと手を添える。触れた指先の熱に、エリアーヌは思わず息を詰めた。


「そんなに緊張するな」


「……あなたが、近すぎるからです」


その一言に、今度はダミアンが黙り込んだ。二人の間に流れる沈黙は、気まずさではなく、どこか甘やかな温度を帯びていた。


「そんなに根を詰めなくていい。お前は、もう十分に頑張っている」


「心配性ですね、団長は」


「お前に関してだけは、な」


素っ気ない口調の裏に、隠しきれない優しさが滲んでいた。雨の日には濡れないようにと外套を差し出し、寒い夜には気づかれないよう暖炉に薪を足しておく。かつて実家では、誰かに気にかけられることすらなかった。ここでの日々は、少しずつだが確実に、エリアーヌの中の凍りついていた何かを溶かしていった。


 この一件は瞬く間に王都へ伝わった。辺境の元令嬢が、たった一人で魔獣の群れを退けたという噂は、社交界を駆け巡った。


王家主催の夜会に、ダミアンと共に招かれたエリアーヌは、久しぶりに公爵家の面々と顔を合わせた。会場に足を踏み入れた瞬間、かつて自分を無視していた貴族たちの視線が、一斉にこちらへ集まるのを感じた。豪奢なドレスに身を包んだセシルは、以前とは打って変わった青白い顔をしていた。


「な、なぜお姉様がここに……」


「魔獣討伐の功績により、王家より直々にお招きいただきました」


エリアーヌが静かに答えると、周囲の貴族たちがざわめいた。かつて自分を嘲笑っていた顔ぶれが、今は戸惑いと興味の混じった視線を向けている。セシルの表情が、みるみる強張っていった。


会場がざわめく中、王家の使者が進み出て、驚くべき事実を告げた。


「先の調査により、セシル嬢が長年にわたり、禁じられた魔道具で姉君の魔力を吸い上げていたことが判明しました。エリアーヌ嬢の魔力が育たなかったのは、才能の欠如ではなく、意図的な収奪によるものです」


会場が、水を打ったように静まり返る。セシルの顔から、みるみる血の気が引いていった。かつて「無能」と呼ばれ、後ろ指をさされてきたのがエリアーヌだったことを思えば、あまりに残酷な逆転だった。だがそれは、エリアーヌが望んだ結末ではなく、真実が明らかになった結果に過ぎなかった。


「そ、そんな……私は、ただ――幼い頃から、姉より優れていなければと、思っていただけで……」


「言い訳は、王家の調査機関で聞きましょう」


使者の冷静な声に、セシルは震えながら首を振った。かつて自分を見下ろしていた妹が、今は縋るような目でエリアーヌを見つめている。


「お姉様……私は、ただ」


エリアーヌは、その視線を静かに受け止めた。怒りをぶつけることも、勝ち誇ることもしなかった。ただ、これまでの十七年間に、ようやく区切りをつけるように口を開いた。


「私を貶めたことより、あなたが自分自身を偽ってまで、優れていようとし続けたことの方が、辛かったのではありませんか」


その言葉に、セシルは大きく目を見開いた。何か言い返そうとして、結局何も言えないまま、使者に連れられ震えながら会場を後にした。後日、セシルは公爵家の跡継ぎの座を正式に剥奪され、辺境の修道院で謹慎生活を送ることになったと聞いた。かつて自分を嘲笑った視線が、今度はセシルに突き刺さっている。それを見ても、エリアーヌの胸に湧いたのは、勝ち誇る喜びではなく、静かな安堵だけだった。


父が青ざめた顔で歩み寄ってきた。以前の威厳はどこにもなく、ただ焦りだけが浮かんでいた。


「エリアーヌ、話を聞いてくれ。お前を、正式に後継者に戻したい」


「今さら、ですか」


「……お前に、詫びる資格すらないと分かっている。だが、公爵家の名を守るためにも、お前の力が必要だ」


その本音に、エリアーヌは静かに息を吐いた。悔い改めたのではなく、家の体面を守るための申し出だと、父自身の言葉が証明していた。かつては、こんな一言にすら胸を震わせて期待していただろう。だが今は、驚くほど心が凪いでいた。


「つまり、私のためではなく、家のためということですね」


父は答えなかった。それが答えだった。


エリアーヌは、もう怒りも湧かなかった。ただ静かに、過去に区切りをつけるように言った。


「私は、この砦で十分に幸せです。公爵家に戻るつもりはありません」


父は肩を落とし、何も言えないまま去っていった。その背中を見送りながら、エリアーヌは自分の中で、長年抱えていた何かがようやく解けていくのを感じていた。


夜会が終わり、二人だけになった庭園で、隣に立つダミアンが静かに尋ねた。


「後悔は、ないか」


「ありません。あの家にいた頃より、ここでの方が、ずっと自分らしくいられます」


「なら、これからもここにいてくれ。……俺の隣で」


思いがけない言葉に、エリアーヌは顔を上げた。ダミアンは珍しく、少し照れたように視線を逸らしていた。武骨で口数の少ない彼が、これほど真っ直ぐに想いを言葉にすることは、これまで一度もなかった。


「それは、求婚ですか」


「……そうだ。今さら、格好のつかない言い方だが」


「格好悪くなどありません。あなたらしくて、好きです」


その一言に、今度はダミアンの方が言葉を失った。夜風が二人の間を通り抜け、遠くの楽団の音色がかすかに届く。


「これからは、俺がお前を守る。誰にも侮らせない」


「守られるだけではなく、私もあなたの隣で戦います」


ダミアンは小さく笑い、エリアーヌの額に軽く口づけを落とした。不器用ながらも精一杯の愛情が、そこには確かにあった。


エリアーヌは小さく笑った。かつて誰からも認められなかった自分が、今はこんなにも真っ直ぐに求められ、大切にされている。それだけで、これまでの十七年間の孤独が、少しだけ報われた気がした。


窓の外には、夕陽に染まる砦の空が広がっていた。無能と呼ばれ続けた令嬢は、ここでようやく、自分の名で、そして誰かに愛される者として立っていた。


作品を読んでいただき、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマ・評価で応援していただけると嬉しいです!

よろしくお願いいたします

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