2. 濡羽色の瞳
巫女と街を覆う神々しいまでの輝き。
その清らかな光を、異形の怪物は冷静に見つめていた。
陶磁器のように滑らかな肌。
寸分の狂いもなく整えられた顔立ちは、神が気まぐれに創り上げた最高傑作の人形のようだった。
しかし、その濡羽色の瞳だけは異質で、光すら飲み込むかのような深い闇を湛えている。
感情の色は映さないものの、目の前の抵抗を取るに足りないものと見なす侮蔑を静かに語っていた。
次の瞬間、彼の指先が微かに動き、その周囲の空間が歪み始めた――。
目に見えぬ力が織りなす複雑な紋様が空間に次々と浮かび、幾重にも重なり合う。
そこから放たれたのは純粋な破壊の奔流だった。
「くっ……!」
巫女は錫杖を強く握りしめ、歯を食いしばった。
自身を守る光の層が明滅し、耳をつんざくような衝撃音が連続する。
胸の奥で恐怖が再び鎌首をもたげるが、それを必死に使命感で押さえつける。
「どうした、巫女。もう終わりか?」
濡羽色の瞳が愉しげに細められる。
彼はこの状況を、巫女の抵抗を、まるで質の良い芝居でも観るかのように楽しんでいた。
彼はゆっくりと右腕を振り上げる。
その動きは、熟練の演奏者が奏でる一音のように静かで確かな存在感を放った。
腕から暗黒の瘴気が滴り落ち、その瘴気は意思を持つかのごとく蠢き、巫女に襲いかかる。
(この程度で怯んではいけない……!)
錫杖を持つ腕が痺れ、膝が笑い、視界がかすむ。
眼前の闇を押し返すために、内なる力が絶え間なく流れ出ていく。それは巫女の体力を容赦なく奪い、淡い空色の装束は汗で肌に張り付き、高く結い上げた髪も乱れ始めていた。
それでも、彼女の瞳に宿る光だけは決して失われていなかった。
巫女は瞬時に錫杖を打ち鳴らす。
澄んだ鐘の音が轟き、空間を震わせた。
その音色は瘴気を切り裂く刃となり、襲い来る闇を相殺した。
「いつまで持つかな?」
言葉と同時に、彼はこともなげに右腕を振り下ろした。
瘴気の渦が再び暴れ出し、黒い霧からなる鋭利な断片が、巫女を護る光の層に襲いかかる。
光は薄く繊細な硝子の膜のように軋み、激しく震えた。
(私が倒れれば、街が……みんなが……!)
その一心で巫女は錫杖に込める力を一層強め、必死に揺らぎを抑え込む。
震える手で光の層を支え続け、乱れる呼吸を整えようと努めた。
しかし、無情にも光の層の一点に亀裂が走る。
何かが砕けるような、小さな、しかし決定的な音が響き渡った。
その音を合図にしたかのように、彼は口角を吊り上げる。
「さて、幕引きとしようか」
濡羽色の瞳が昏い輝きを放ち、これまでとは比較にならないほどの強大な力が、彼の両手に収束していく。
それは、街ごと全てを飲み込まんとする、絶望的なまでの破壊の予兆だった。
龍の巫女と龍の花嫁
「龍の花嫁」と呼ばれるのは初代のみであり、以降は「龍の巫女」と称される。
巫女の務めは先代の死をもって次代へ引き継がれるが、第11代目の母は正式な就任前に他界したため、彼女は祖母からその座を継承した。
しかし、その祖母もまた継承の途上で亡くなり、この家系を継ぐ者は彼女一人となった。
かつては龍と契りを結んだ血脈がいくつか存在したが、本家・分家を問わず今やことごとく潰え、彼女の家系を残すのみとなっている。
ゆえに「龍の巫女」という呼称は名実ともに、世界でただ一人、彼女を指すものとなっている。




