悪魔エペンディティスと黄金の銅貨
むかしむかしある王国の美しい王妃さまが不治の病にかかってしまい、王国にいるありとあらゆる者たちがその悲劇を嘆きました。
その悲劇をあざけ笑うようにして、王国の城にこつ然と現れたエペンディティスという名の悪魔が病に臥せる王妃さまに向かって、こう告げたのです。
「かわいそうな王妃さま。あんたの寿命はあと一ヶ月だ。一ヶ月後にあんたにまた会いにくる。その時あんたの魂をいただいて死神さまに引き渡すんだ。ああ、楽しみだ!」
「ああ、おそろしい悪魔よ。どうか母上のために、一刻の猶予をあたえてはもらえないだろうか!」
エペンディティスに声をかけたのは王国の王子さまでした。王子さまは母君の王妃さまを助けたい一心で悪魔に懇願したのです。
「あなたが望むものならどんなものでも差し上げまする。だからどうか母上を黄泉の国に連れて行かないでいただきたいのです!」
「それなら話ははやい。おいらが欲しいものはたったひとつだけだ。それを持ってこられたのなら王妃さまの魂を死神さまに引き渡すのをやめてやろう」
「それはいったいなんなのですか?」
「神さまがおいらに昔こう言ってくださったんだ。もしも悪魔のおいらが“この世界でいちばん美しい宝物”を見つけてこれたのなら、おいらを悪魔から天使に生まれ変わらせてくれるってね。その宝物を一ヶ月以内に持ってこれたのなら、王妃さまを死神さまに渡したりなんかしない。さあ、どうするね」
もちろん有無を言わせずに、頷いた王子さまは王国中を駆け回って“この世界でいちばん美しい宝物”を探し出そうとしました。
王国中の兵士を動員した王子さまは、ありとあらゆる財宝をかき集めてエペンディティスの前へと差し出したのです。
ところがエペンディティスは集まった全ての財宝を一瞥すると唾を吐き捨てました。
「なんだいこのがらくたの山は。こんな安っぽいものでは神さまは喜んでくれないっ。ふざけてるのかてめえは!」
黄金に輝く金銀財宝も貨幣の山も、エペンディティスは決して“この世界でいちばん美しい宝物”として認めてはくれませんでした。
慌てた王子さまは王国の土地を全てエペンディティスに差し出すと言いました。でもエペンディティスは悪態をつくだけで興味さえ持ってくれません。
「ではこの王国を! この国の財も全てをあなたに差し上げます! この王国は王子のわたしにとってはこれ以上無いほどに美しい宝物なのですから!」
その言葉を聞いたエペンディティスはそれはもうカンカンに怒りました。
「おいらが欲しいのは“この世界でいちばん美しい宝物”だと言ったはずだ! てめえはこの国の財を浪費するか消費するかしか能がねえ馬鹿たれか! とっとと“この世界でいちばん美しい宝物”を見つけてこいこのうすのろめ!」
エペンディティスに罵られた王子さまはそれでも“この世界でいちばん美しい宝物”を必死に見つけ出そうとしたのですが、とうとう約束の日が迫ってきました。
憔悴しきった王子さまが途方にくれて町を歩いていると、ひとりの物乞いのおじいさんを見つけました。
「この老いぼれめにどなたかお金を恵んでくれないでしょうか……」
みずほらしい姿で町を歩くおじいさんは通りすがる人々に、懸命に物乞いをしていたのです。
「ああ、なんてことだ。わたしが不甲斐ないばかりにこの方を物乞いにしてしまったのだ。ご老人よ。どうかこれで飢えをしのいでおくれ」
王子さまは物乞いのおじいさんに金貨を手渡そうとしました。ところが物乞いのおじいさんは決して受け取ろうとしなかったのです。
「ああ、どうかこのご老体をお許しください。王子さまが王妃さまを助けるためにこの王国中を駆け回って財宝を集めていることは存じ上げております。そんなあなたからはとてもではないが金貨のような高価なものなど受け取れませぬ」
「ではせめてこの数枚の銅貨を受け取ってもらえないだろうか。あなたを飢えさせていると母上に知られればわたしは死んでも死にきれぬ。この銅貨を使って家畜をお飼いなさい。鶏なら卵を産んでくれる。山羊を飼うならミルクを搾ってお売りなさい。そして物乞いから抜け出せたら、今度はあなたが物乞いに余った銅貨を恵んでやっておくれ」
「ああ、王子さま。なんてお優しい方なのだ。まるで生きる知恵を授けてくださる天使さまのようだ……」
物乞いのおじいさんに銅貨を数枚渡した王子さまはその後も国中を探しまわりましたが、“この世界でいちばん美しい宝物”と呼ぶに値するものを見つけることは叶いませんでした。
そして、とうとう悪魔と交わした約束の日が訪れてしまったのです。
エペンディティスが病に臥せる王妃さまから魂を取り出そうとすると、王子さまは悪魔に向かってこう言いました。
「母上の代わりにどうかわたしの魂を持っていっていただきたい! わたしの魂と引き換えに母上を助けてもらえないだろうか!」
「王子よよくぞ申した! 悪魔よどうかこの王国の王たるわたしの魂も差し上げまする! ですからどうか妃の生命だけは見逃していただきたい!」
信じられないことに、王子さまだけでなく、この王国の王さままでもが魂をエペンディティスに差し出すと告げたのです。城にいた家臣たちは王子さまと王さまが王妃さまを助ける為に自らの魂を惜しげもなく差し出そうとする姿を見てみな涙を流しました。
それでもエペンディティスは決して首を縦には振りません。
「駄目だ駄目だ。何度言えばわかるのだ。そんな安っぽいものじゃ代わりにもならないや」
王子さまも王さまも城にいた人々も、エペンディティスのあまりの無慈悲さに絶望して泣き崩れてしまいました。
そして、とうとうエペンディティスは王妃さまから魂を取り出そうとしたのですが、お城にとつぜん現れた人物がこう叫んだのです。
「どうかお待ちいただきたい! その方はわたしのような老いぼれのためにこの銅貨をくださった素晴らしき方なのです! どうかこの老体の魂を差し出しますゆえ、王妃さまの魂は見逃してもらえぬでしょうか!」
エペンディティスに懇願したのは、かつて王子さまが銅貨を与えた物乞いのおじいさんでした。
物乞いのおじいさんは自らの魂を引き換えに王妃さまを救おうと、お城まで馳せ参じたのです。
周囲にいた人々は、エペンディティスがこんなみずほらしい姿の老人の魂など引き換えにしても、取引には応じないだろうと考えていました。
ところが、エペンディティスは物乞いのおじいさんが手に持っている銅貨を見て叫びました。
「ああ、なんて……なんて美しいのだ! おいらはこんなにも美しい財宝をこれまで一度として見たことがない! それはいったいなんなのだ。きらきらと黄金のように輝くあまりにも美しいその銅貨はっ!」
そしてエペンディティスはようやく気づいたのです。物乞いのおじいさんが手に持っているその銅貨こそ神さまがかつて言っていた“この世界でいちばん美しい宝物”だということに──。
すると雲の上から眩い光が射し込んで、神さまの美しい声が王国中に響き渡ったのです。
『エペンディティスよ。ようやく“この世界でいちばん美しい宝物”を見つけてくれたのですね──』
神さまはエペンディティスに向かって、こう告げました。
『この世界で本当に価値があるものというのは、生きとし生ける者を想って恵み与えられし“ささやかな贈り物”に宿るものなのです。たとえどんな財宝であったとしても、自己犠牲による高尚な対価を支払うことよりも、そのささやかな優しさに勝るものはこの世には二つと無いのです。それこそが“この世界でいちばん美しい宝物”なのですよ──』
神さまの声を聞いて全てを理解したエペンディティスは、物乞いのおじいさんにこう言いました。
「ご老体よ。どうかこの憐れな悪魔めにその一枚の銅貨をお譲りいただけないでしょうか」
物乞いのおじいさんは迷わずエペンディティスに一枚の銅貨を差し出しました。
すると驚くべきことに、エペンディティスはきらきら星のような眩い光と共に悪魔の姿から天使の姿へと変貌を遂げたのです。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、ようやくわたしは天使に生まれ変わることができました。さあ王妃さま。わたしがいまこの方から恵み与えられた銅貨を、今度はあなたがお受け取りください──」
病に臥せっていた王妃さまにエペンディティスが銅貨を差し出すと……王妃さまの不治の病はたちどころに治り、生命力を取り戻していったのです。
「ああ……なんてことなの。天使さまが奇跡が起こしてくださったのよ。みな本当にありがとうっ。愛する国王陛下っ。愛する息子よっ。奇跡の銅貨をわたしに恵んでくださったお爺さまっ。ああ、今日はなんて素晴らしい日なのかしら!」
王子さまも王さまも物乞いのおじいさんも、王国の民たちもみな涙を流して王妃さまの病が治ったことを喜びました。
天使となったエペンディティスは、王妃たちに向けて最後にこう言い残しました。
「奇跡を起こすのはこれが最初で最後です。これからはあなたたち人間の力だけで奇跡を起こしてみせなさい。その“ささやかな贈り物”はあなたたちに生きる知恵を授けてくれるでしょう。貧しき者たちのためにも、賢き者たちを養い、育てるためにこそ遣いなさい。医者が育てばいずれ不治の病を克服できる知恵を与えてくれるはず。その銅貨の遣い道をよく考えてみることです。ささやかな優しささえ見失わなければ必ず成し遂げられるでしょう。どうかあなたたちに幸いあれ──」
そして、役目を果たしたエペンディティスは白い翼を広げて天高く昇っていき、遣いの天使として神さまの元へと迎え入れてもらうことができたのでした。
銅貨の遣い道がその後どうなったのかは神と天使のみぞ知るところ。
【終】
あなたなら銅貨をどう遣わせますか?




