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第二話

「……久しぶりね。変わらない顔」


ミナはそう言って、少し困ったように笑った。

トモカズは一瞬、どう返せばいいか迷い、それから正直に言う。


「君は……変わったな」


「でしょう」


ミナは軽く肩をすくめた。


「薬、やめたから。もう、だいぶ前に」


自嘲でも卑下でもない、穏やかな言い方だった。


二人は通り沿いの小さな喫茶店に入った。

静かな時間帯で、客はまばらだ。

トモカズは無意識に、壁際の席を選んでいる。


「驚いたわ。こんなところで会うなんて」


「俺もだ。君がここにいるとは思わなかった」


「仕事でね。短期だけど」


コーヒーが運ばれてくる。

ミナは砂糖を一つ入れ、ゆっくりとかき混ぜた。


「……元気そうね」


「問題なく稼働している」


「相変わらず」


そう言って、ミナはくすっと笑った。

トモカズは少しだけ居心地の悪さを覚えるが、不快ではなかった。


「ニュース、見た?」


ミナの問いに、トモカズはうなずく。


「老いを選んだ人たちの特集か」


「そう。ああいうの、あなたは嫌いでしょ」


「嫌いではない。ただ、判断基準が違う」


ミナはうなずき、カップを両手で包む。


「……あの人も、そうだった」


トモカズは、視線を上げた。

ミナが誰を指しているのか、すぐに分かった。


「彼は――」


言いかけて、言葉を切る。


ミナが続けた。


「最後まで、迷ってた。でもね、選んだあとで言ってたの」


少し間を置いて、ミナは微笑む。


「後悔はすると思う。でも、納得はできる気がする、って」


その言葉に、トモカズの胸がかすかに鳴った。


「……納得、か」


「あなたには、分かりにくいかもしれない」


「そうだな」


トモカズは否定しなかった。


「成果は積み上げられる。時間は節約できる。

 だが、納得は……測れない」


ミナは、首を横に振る。


「測らなくていいのよ」


「しかし」


「あなた、昔からそう。正解を探そうとする」


責める口調ではなかった。

ただ、懐かしさを含んだ声音だった。


「彼はね、夕焼けが好きだった」


突然の話題転換に、トモカズは目を瞬かせる。


「……そうだったな」


思い出す。

仕事帰りに、わざわざ足を止めて、空を見上げていた姿を。


「無駄な時間だと思ってた?」


「正直に言えば……そうだ」


ミナは笑った。


「でも、あの人にとっては、必要な時間だった」


「必要?」


「うん。今日を終わらせるための時間」


トモカズは、しばらく黙ったまま、コーヒーに口をつける。


「私はね、一度は不老を選んだの」


トモカズは、視線を上げる。


「……そうだったな」


「ええ。でも、あの人を見送ってから

 時間が止まったまま生きるのが、つらくなった」


ミナは静かに言う。


「薬をやめるの、正直怖かったわ。

 今も老いるのは嫌。でも……

 だめね。まだ、うまく言えない」


「後悔は?」


ミナは、少し考えてから答えた。


「いっぱいしてる」


それから、はっきりと言った。


「でも、納得してる」


トモカズは、その言葉を反芻する。


効率でも、成果でもない。

削ぎ落とされていない時間。


「……俺は」


言葉を探しながら、続ける。


「感情や無駄を切り捨ててきた。

 それが正しいと、今も思っている」


ミナは黙って聞いていた。


「だが……最近、何も残っていない気がする」


初めて、口に出した本音だった。


ミナは、驚かずにうなずく。


「それでも、あなたは間違ってないわ」


「君がそう言うのか」


「ええ。選んだ結果だもの」


ミナは、優しく笑った。


「ただね、もし迷ったら――

 あの人が見てたものを、見てみたらいい」


「夕焼けを?」


「そう、意味が分からなくてもいい」


トモカズは、ゆっくりとうなずいた。


窓の外では、空が少しずつ色を変え始めていた。


==


トモカズは、オフィスの照明を落としたまま、一人で座っていた。

定時を過ぎたフロアには、誰もいない。


端末の画面には、今後十年分の事業計画が表示されている。

想定リスク、回避策、代替案。

どれも、自分がいなくても成立する。


(問題はない)


いつものように、そう結論づけようとして――

ふと、指が止まった。


(……これは)


計画の完成度に、違和感を覚えたのは初めてだった。

隙がない。

効率的で、最短で、正しい。


それなのに。


(俺が、ここにいる理由は何だ)


問いは、答えを求めていなかった。

ただ、そこに残った。


第二部でミナと別れた後、

トモカズは何度も、同じ記憶を思い返していた。


夕焼けを見て立ち止まっていた男。

無駄だと思いながら、置き去りにしてきた時間。


(俺は、止まったことがない)


不老である限り、時間は敵ではない。

だが同時に、味方でもなくなっていた。


成果を出し続けることはできる。

地位を保ち、影響力を持ち続けることもできる。


――だが、それは「今」でなければならない理由だろうか。


トモカズは、端末を閉じた。


もし、自分がここを離れたとしても、

組織は回る。

世界は滞らない。


それは、自分が積み上げてきた効率の証明でもある。


(なら)


胸の奥で、静かに答えが形を取る。


(今でなくていい仕事を、今やり続ける理由もない)


逃げではない。

投げ出しでもない。


ただ、優先順位を更新するだけだ。


翌朝、トモカズは秘書を呼び、簡潔に告げた。


「退職の手続きを進めてくれ」


驚きはあったが、混乱はなかった。

彼が衝動で動く人物ではないと、皆が知っている。



退職の手続きは、驚くほどあっけなかった。


「引き継ぎは、この通りで問題ありません」


若い秘書が差し出したタブレットを、トモカズは一瞥する。

不足はない。余分もない。

自分が作ってきた仕組みは、自分がいなくても回る。


「承知した」


それだけ言って、端末を返した。


「……本当によろしいのですか」


秘書は、言葉を選ぶようにして続けた。


「今の地位を離れられる方は、ほとんどいません。

 まして、不老であれば――」


「不老だからこそ、だ」


トモカズは遮らず、穏やかに言った。


「時間はある。

 だから、急ぐ必要もない」


秘書は納得したわけではなかったが、それ以上は踏み込まなかった。

トモカズがそういう人物だと、よく知っている。



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