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第一話

「結論は出ています。延期は不要です」


トモカズは資料から視線を外さずに言った。

会議室の空調音だけが、わずかに耳につく。


「ですが、現場からは反発が――」


「分かっている」


トモカズは、そこでようやく資料から目を上げた。


「新しいやり方は、慣れるまで必ず不安を生む。反発そのものは、想定内だ」


「では……」


「今回は、失敗しても致命傷にはならない。

 だから、試す価値がある」


マネージャーは少し考え込み、それから口を開く。


「……もし、うまくいかなかった場合は?」


「そのときは戻す。責任は、私が取る」


トモカズの声には、迷いがなかった。


「現場を信じていないわけではない。ただ――

 彼らが慣れる“時間”を、先に確保したいだけだ」


沈黙が落ちる。

それは否定された沈黙ではなく、理解が追いつくまでの間だった。


「以上です。次の議題へ」


会議は予定より十五分早く終わった。

トモカズは立ち上がりながら、参加者を一瞥する。


「今日中に修正案を提出してください。残業は不要です」


「……本当に?」


思わず漏れた声に、トモカズは足を止めた。


「効率が落ちる。疲労した状態で作る案に価値はない」


それは命令というより、彼なりの配慮だった。

気づいた者だけが、小さく息をつく。


廊下に出ると、若手の一人が後を追ってきた。


「トモカズさん、少しよろしいですか」


「要件を簡潔に」


「はい。あの……最近、休暇を取られていませんよね」


唐突な指摘だった。

トモカズはわずかに首を傾げる。


「問題があるか?」


「いえ。ただ……周囲が、少し気にしていまして」


「周囲が?」


「その……無理をされているのではないかと」


トモカズは数秒、考えた。

そして正直に答える。


「無理はしていない。必要な睡眠も、運動も取っている」


「でも……」


「君は、疲れているか?」


突然話を振られ、若手は戸惑いながらもうなずいた。


「……少し」


「なら、今日は早く帰れ。回復しない疲労は、生産性を下げる」


それ以上の言葉はなかったが、若手は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


トモカズは歩き出す。

人は感情を持つ。

それを否定するつもりはなかった。


ただ、感情を最優先にすると、

多くの場合、時間と成果を失う。

彼はそれを、何度も見てきた。


取材対応は三十分で終わった。

質問はいつも同じだ。

不老であることへの意見、老いについての価値観、未来像。


「合理性を突き詰めただけです」


それが、トモカズの定型文だった。


建物を出ると、街頭モニターにニュースが映っていた。

不老技術と老いを選ぶ人々。

社会保障、価値観の分断、世代間の軋轢。


よくある特集。

彼はそう判断し、通り過ぎようとする。


――老いを選んだ人は、何を得たのでしょうか。


ナレーションの一言に、足が止まった。


(……得るものなど、限られている)


そう結論づけたはずなのに、

胸の奥に、微かな引っかかりが残る。


老いを選ぶ。

時間が減ることを受け入れる。

非効率で、合理性に欠ける選択。


――それでも。


記憶の底から、声が浮かび上がった。


『後悔はすると思う。でもさ、納得はできる気がするんだ』


誰の声だったか。

名前は思い出せない。

ただ、少し笑っていて、

とても真っ直ぐで、静かな信念を持った声だった。


トモカズは空を見上げる。

ビルの隙間に、橙色が滲んでいる。


「……無駄だな」


小さく呟く。

意味のない時間。

成果につながらない感傷。


切り捨ててきたはずのものだ。


それでも、胸の奥で、何かがすり減っている。

音のない摩耗が、確かに続いている。


「……」


理由の分からない沈黙の中で、

背後から声がした。


「――トモカズ?」


振り返ると、そこにいたのは、

かつての同期のミナだった。


彼の世界が、わずかに軋み始める。



本作は全3話で完結しています。

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