宮本史郎です
マンションに戻った俺は考えた。そりゃあ、高野が渋るわけだ。リーダーが浅木の兄ちゃんなんじゃ。噂だから本当か分からないけど、火のない所になんちゃらだ。
俺の平和な日常のためにも、これは調べた方がいいかもな。
「ん?」
端で何かが動いたと思ったら、クマ五郎がベッドで転がっていた。俺がベッドを背もたれにしてたからか。
「ごめん。お前も高野に会いたかったか? 元気にしているから心配ないよ」
クマ五郎を座らせて、立ち上がる。今日は疲れたからさっさと寝よう。シャワーを浴びて歯を磨いてベッドに入る。
「わ」
珍しく俺のスマホが鳴った。誰かと思ったら年賀状送ってくる律儀君だった。でも、既読にはできない。俺が今集中治療室にいなくて元気に生きてるってバレるから。
ごめんな、返信できなくて。そっとスマホを枕元に置き、ベッドに寝転んだ。
「……う~ん、今何時だ」
夜中、目が覚めてスマホを見ようと左を向く。目の前のクマ五郎と目が合った。
「うおッ」
びっくりして眠気が覚めた。なんだよ、というか、なんで俺と添い寝してんの。
おかしいな、確かにベッド脇に座らせたはずなのに。
まさか、勝手に動き出してベッドに入ったとか? いや、ないない。
『……まだ夜です』
「はぁ!?」
なんか聞こえたんだけど!?
一人暮らしの俺の部屋で、知らない声が聞こえたんですけど!?
怖すぎる。ホラー映画を夜中一人で観られる俺だけど、現実でこれは無理。
まさか、泥棒か?
念のためベッド下を確認、いない。窓も開いていない。ドアも鍵はかかっている。洗面所もキッチンも誰もいなかった。
「なんだ、気のせいか」
泥棒だったら、夜中なのに全力で戦わなきゃいけないところだった。気のせいだって分かったらやっと眠気がきた。もう一度おやすみなさい。
次に目が覚めたら十時だった。焦って飛び起きたけど、今日土曜日だった。セーフ。バイトは午後だしゆっくりしよう。
社長にもらった手作り青汁を飲んでトレーニングをする。相変わらず青汁まっず。健康に良いことは理解しているけど、まっず。ドロッとした喉越しがなんとも気持ち悪い。
「ん?」
そういえば、昨日寝る前に飲むのに使ったコップがシンクに無かった。
「……」
やっぱり、この部屋に誰かいるんだ。夜中確かめた時は見つけられなかったけど。
俺が見つけられないのに、誰かがいる。なんか都市伝説とか怪談の類になってきた。
そもそも人間か? 人間なら、隠れられるところは全部探したぞ。どういうことだ。
考え込んでいたら、時折感じる視線を感じた。すぐに振り向くと、クマ五郎がいた。
「……はは、いやまさかな」
いくらなんでもメルヘンすぎる。ぬいぐるみが動くなんて。
顔を前に戻す。勢いよく、再度後ろを振り返った。クマ五郎の手の位置が若干変わっていた。
「…………」
クマ五郎ににじり寄る。心なしかクマ五郎の顔色が悪い。始めから土気色だけどな。
「クマ五郎?」
話しかけてみるが返事は無い。
「そりゃそうか。ぬいぐるみだもんな、動くわけな──」
俺がわざとらしくそっぽを向いてみれば、クマ五郎は安心したように右手を胸元に当てた。
「やっぱり動いてんじゃねぇか!」
「ひぃッすみませんすみません!」
思ったよりはっきりとクマ五郎が謝った。あと、思ったより声が低かった。そういえば夜中聞いた声もこんなんだったかもしれない。
「お前、どこのどいつだ」
すごんでみたけど、ぬいぐるみ相手に何やってんだ俺。クマ五郎もビビッてんじゃねぇか。
「ぬいぐるみに宿った浮遊霊……大切にされてぬいぐるみに自我が生まれた……? それとも」
「宮本史郎です」
「生まれながらに、あ? なんつった?」
「ひぃッすみませんすみません!」
短い両腕で顔を隠そうとするクマ五郎。短すぎて口しか隠せてないけど。俺がクマ五郎の顔を覗きながら聞く。
「宮本史郎?」
「はいぃそうですぅ……」
消え入りそうな声で答えるクマ。これじゃ俺が虐めているみたいだ。虐めてないよな? 自信なくなってきた。信じられない状況に思わず頭を抱える。
「えっと、じゃあなんだ。クマ五郎は史郎で、死んだ魂がぬいぐるみに入ったって、ことか?」
言っていて自分の頭がおかしくなったんじゃないかと思うけど、そうとしか言えない。クマ五郎が神妙に頷いた。
「そうだと思います。もしくはぬいぐるみに転生」
「ぬいぐるみに転生とかある?」
「じゃあ、やっぱり乗り移ったってことでしょうか」
「本人が分からないのに、俺が分かるわけない」
二人して首を傾げるが、正解なんて降ってくるわけもなかった。そりゃそうだ。短い腕で腕組みしてるのちょっと可愛いな。
「第二の人生がぬいぐるみか。平和だけど、一緒にいるのが俺でごめん。ママさんたちのところに戻るか?」
「いえ! ここがいいです!」
クマ五郎がすくっと立って大声で答えた。うっそ、ここがいいの。なんで。
「育った場所の方がよくない? パパさんママさんいるし」
そう尋ねると、クマ五郎が少し俯いた。
「はい、父と母にはとても良くしてもらいました。でも、二人が落ち込んでいる姿を見たくないというかなんというか」
「そうか」
「それと、気分的にはもう生まれ変わったつもりなので。新しい自分、結構可愛いし」
あ、可愛いと思ってるのか。まあ、可愛いね。
「時々、帰宅する時に鞄の中にでもお邪魔させてもらえれば、それで満足です。ここの方がいろいろなこと体験できそうだし」
クマ五郎が頬をかく。中身は史郎だっていうのにいちいち可愛いのちょっとムカつく。でも、そっか。
「じゃあ、変な縁だけど、よろしくな」
「はい」
小さな手と握手する。これ、事情を知らない人が見たらぬいぐるみと戯れる成人男性ってことだよな。これから気を付けないと。
「さて、同居人も出来たことだし、クマ五郎、いや史郎何する? 何かテレビでも観る?」
「クマ五郎でいいです。せっかく付けてくれたし。じゃあ、ミヨさん観ます」
「お、良い趣味だね。じゃあ、大画面で観よう」
いつもはスマホの小さな画面だったので、二人で観るということで今回からテレビで観ることにした。無駄にデカいんだよね、うちのテレビ。映画観る時大迫力って思って買ったのに、全然観ないという。
俺の横にクマ五郎がちょこんと座る。なんかムズムズする。今までぬいぐるみだと思っていたものが動いているのが不思議。
「ミヨさんのこと知ってたのか?」
「はい。有名どこはもちろん、目についた動画はだいたい観てきたので」
「すご」
そりゃ不登校になるわ。そういえば、史郎の不登校の原因ってなんだったんだろう。もしかして、不良たちに何かされたとか。
「言いたくなかったらいいんだけど」
「はい」
「不登校って、何が原因かなって。もし、誰かに何かされたんだったら、俺が代わりにぶっ飛ばしてくるから」
「ゲームのしすぎです」
「あ?」
クマ五郎がご心配おかけしましたとか頭を下げてくる。え、ほんとにゲームのしすぎなの? 百パー自分が原因だった。マジかよ。高校生ならもっと自分で自分を管理しろ。
「よく親に言われなかったな」
「自由にのびのび育ててくれていたので。感謝しています」
なるほど。だから痩せていたのにあんなわがままボディになったのか。
クマ五郎になってもゲーム好きは健在らしく、配信に向かっていちいち感想を言っていた。実況中継実況中継じゃん。
「ゲームやる?」
「えッ」
配信を一本観終わったところでクマ五郎に提案する。すごい嬉しそうな声を上げられた。
「やりたいです! あ、でも、手がこれで出来るかな」
クマ五郎が両手をグニグニと動かす。たしかに単純ゲームくらいしかできなさそう。というか、コントローラー持てるのかそれ。
「あ」
すると、クマ五郎の手からぷにっと小さい指が一本出てきた。親指っぽい。小学生とかがしている親指以外の指が全部まとまったふわもこ手袋っぽい。
「親指出るんだ」
「知らなかったです」
それでも足りないけど、コントローラーを持ってボタンを一つ押すくらいはできそうだ。
「簡単なものからしてみよう。史郎のソフトほぼ全部こっちにあるし。何故か自宅にもいろいろあったけど」
「あれは予備ですね」
「ママさん甘やかしすぎだろ」
「えへへ」
「照れんな」
まあ、親子関係が良好で安心した。愛されて育ったというのが家からも史郎からも分かる。親のいなかった俺には分からない感情だけど、社長には感謝しているしいちおう愛されていたんじゃないかな。かなり雑だったけど。
まずはジャンプと攻撃ボタン一つだけでクリア出来るゲームをやってみた。最初こそ苦戦していたけど、さすがは不登校になる程のゲーマー。すぐに慣れてノーミスクリアしていった。
「才能あるね」
「えへへ」
「じゃあ、こっちのゲームは?」
俺がやったことのないゲームを見てみたいというのもあって、次々にゲームを進めていった。
「すっげ。親指だけでどうやってんのか速すぎて見えない。プロだね」
「一日十時間やっていたので」
「配信も観ながら? 視力は?」
「裸眼で〇.〇二です」
「悪いにも程があるだろ」
俺、視力一.二あるから想像もつかない。普段の眼鏡も伊達眼鏡だ。試しにクマ五郎の前に人差し指を差し出す。
「これ何本に見える?」
「一本です。この体になったら目が良くなったみたいで」
「それはラッキー、いや不幸中の幸い? ってやつか。クマ五郎じゃ眼鏡かけられないし」
眼鏡をかけているぬいぐるみはそれはそれで可愛い。もしぬいぐるみでも悪くなった時はそれ用にオーダーメイドしよう。
結局、昼をはさんでバイトの時間ぎりぎりまで遊んでしまった。上手い人がゲームやっているとこ見るの楽しい。ゲームのリアル生配信って感じ。
「バイト行ってくる。暇だったら勝手にゲームしてていいから」
「有難う御座います。いってらっしゃい」
クマ五郎に見送られ家を出る。かなり不思議な状況だけど、結構面白いかもしれない。しかも、史郎として生きないといけないから史郎がいてくれるのは心強い。いつか、史郎にも続いている史郎の生活を見せられたらいいな。