表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/15

生徒会というヤツ

「――以上をもちまして、本日の生徒議会を終了します」







言葉を発した瞬間、雪乃(ゆきの)はわずかに胸の奥で何かが解けるのを感じた。






一気に空気が緩み、会議室のあちこちから安堵の吐息が漏れる。張り詰めた会議の終わりは、いつだって静かな余韻を残す。







「……さて、これでやらなきゃいけないことは、ひとまず片付いたな〜」









陽翔(はると)の肩の力が抜けたような声に、周囲の空気が柔らかく和む。机の上に並んだ資料の束と、議事録を走らせていた端末の光が、役目を終えて眠りにつくように静まっていった。








会議が終わり、生徒会の面々がぞろぞろと会議室を後にする。







その光景はまるで、舞台の幕が下りた後の主演俳優たちの退場のようだった。






誰かが何か特別なことをしているわけではない。





歩いているだけだ。淡々と、日常の一部のように、扉を開け、廊下を進んでいく。




けれど――彼らの姿は、どうしても目を奪われる。





廊下をすれ違う生徒たちが、自然と道を空ける。







立ち止まって見送る者もいれば、視線を逸らしながらも肩に力が入っている者もいる。







それもそのはずだった。





この学園において、生徒会の存在は単なる組織ではない。




彼らは選ばれた存在――政治、戦略、武芸、異能、全てにおいて“次代を担う者たち”として国に名を刻まれている、まさしく象徴だった。







先頭を歩くのは、生徒会長・鷲宮陽翔(わしみやはると)



制服の上から軽く羽織った薄手の黒コートが、歩みに合わせて静かに揺れる。





彼の背筋は完璧なまでに真っ直ぐで、無駄な動きが一つもない。






その一歩一歩が、ただの移動でありながら、まるで“進軍”のような圧を纏っていた。





その隣を歩くのは、副会長であり妹でもある鷲宮雪乃(わしみやゆきの)



静かな瞳に揺れる理性と芯の強さ、凛とした立ち姿に、誰もが無言で見惚れる。




髪を結ぶ一本の紺色のリボンさえ、制服の一部というより“戦装束”のような雰囲気を漂わせていた。








そして、各専門学科から選抜された生徒会の幹部たちが続いていく。






どの一人を取っても、並みの生徒とは明らかに“格”が違った。







ただ立っているだけでも絵になる。



動けばその場の空気が変わる。





話せば誰もが耳を傾ける。




そんな「花がある」存在ばかりが揃っていた。





――いや、花どころではない。

それは時に“風圧”にも似ていて、すれ違った者の心に残る余韻すら残していく。







(ほんと、あの人たち……別世界の人みたい)






誰かがぽつりと呟いた声が、彼らの後ろ姿にかき消されるように、静かに廊下へと消えていった。







生徒会室の扉が音もなく開くと、彼らの姿は迷いなくその中へ吸い込まれていった。



まるで、そこが彼らにとって“本来の戦場”であるかのように。










三年生になってから、雪乃たちは走り続けてきた。




生徒会としての役割、学園祭や外部連携の準備、数えきれない書類と会議の山――やっと、それが一区切りついたのだ。





けれど、雪乃の目は自然と、会議室の隅に座る一人の少年に向かっていた。


兄、陽翔だ。生徒会長であり雪乃にとってはずっと隣で見てきた、“最も近くて遠い人”だった。








誰もが尊敬し、信頼し、頼りにする彼。



けれど雪乃は知っている。



その完璧さの裏側に、どれだけの努力と犠牲があるのかを。






家では、いつも静かに資料を広げていた。



夜遅くまで机に向かい、会議資料のチェックだけでなく、現場の報告書や武芸指定機関からの通知にも目を通す兄の姿を、何度も見てきた。






時には、疲れていることを悟られまいと、雪乃の前では無理に笑っていたこともあった。





それでも、誰かが手を抜けば自分が補えばいい。



そう思ってしまう兄の性格も、雪乃は嫌というほど知っている。






(……もっと、頼ってくれればいいのに)






そう思うたび、口には出せなかった。




「自分のやるべきことだから」と言って、彼はどこまでも真っすぐで、どこまでも不器用だった。






「お兄様、今日も……お疲れさまです。」





言葉に込めた想いが、兄にどれほど伝わったかはわからない。それでも、雪乃はそっと微笑んで言葉をかけた。






陽翔は、ほんの一瞬だけ振り返って、静かに微笑んだ。




その表情の奥に、張りつめた糸のような疲労の影が見えた気がして、雪乃は胸が少しだけ痛くなった。






(お願い、少しでも、休んでよ)






窓の外では、夕陽が赤く沈んでいた。




今日という一日が終わる。



けれど、兄の背負う明日は――また重たく始まるのだろう。




せめて、自分だけでも気づいていたい。




彼の完璧さの裏で、どれだけのものが削られているかに。





それが雪乃にとっての、妹としてのささやかな願いだった。






「さて……羽冠戦(ウィグラ)のトーナメント表と日程決定表を作ったら、今日は帰ろうか」






陽翔が端末から視線を上げることなく、静かにそう呟いた。






会議が終わったとはいえ、仕事はまだ山積みだった。




特にあと一ヶ月後に迫った氷羽(ひばね)学園最大の異能武芸大会、《羽冠戦(ウィグラ)》。



その準備は、生徒会にとって最も神経を使う業務のひとつだ。









生徒の戦闘評価、参戦ランク、会場運営、審査員との調整。



表に見えるのは華やかな戦いだが、その裏には膨大な事務と調整の影がある。








「陽翔、今年は準決勝から?」






斜め向かいの席で、朝日はお馴染みの定位置壁際のモニター前に腰かけ、複数の資料ウィンドウを切り替えながら、手を止めずに尋ねた。





「いや。今年は決勝と統一戦だけにした」







陽翔はノート端末の画面を見つめたまま、落ち着いた声で返した。







その返答に、朝日は少しだけ口元を緩めたが、顔を上げることはなかった。






お互いに目を合わさないのは、会話が冷たいからではない。





ただ単に、それだけ集中していた。




それだけ、この時間が緊張していた。






静まり返った会議室に、キーを叩く音とページをめくる電子音だけが響いている。






昨年、陽翔と雪乃は“準決勝からの特例参戦”だった。






その理由は簡単で、彼らが強すぎたからだ。



予選や初戦に彼らが出ると、実力差が開きすぎて大会として成り立たなくなる。




実際、二年前の予選リーグでは陽翔がわずか20秒で三試合を終わらせたという記録もある。




最終的に残ったのは、鷲宮陽翔 対 鷲宮雪乃。




兄妹対決となった《羽冠戦 決勝戦》は、異能競技史に残る名試合と呼ばれた。





兄と妹が、お互いに全力で戦い、術式を交わし、言葉一つ交わさず向き合ったあの瞬間を、誰もが息を呑んで見守っていた。






――そして、勝ったのは陽翔だった。





あの戦いの後、雪乃は何も言わなかった。






ただ静かに、いつも通りに会議資料を整理し、何事もなかったかのように生徒会室に戻ってきた。






だが、兄妹である雪乃にはわかっている。



陽翔もまた、あの試合の勝利を“喜んではいなかった”ことを。






今、こうしてお互い目を合わせずに仕事に没頭しているのも、その余韻がどこかに残っているからかもしれない。






(……今年も、また)






雪乃は画面に向かいながら、小さく息を吸った。





今年の羽冠戦。





鷲宮の名が、また最後に残ることは――誰もが疑っていない。






それでも彼女は、再び兄の背中を越えようとしていた。



戦いだけではない。支える者としても、妹としても。






だからこそ、今この瞬間も無駄にしない。



そう心に決めて、雪乃は再び端末に手を伸ばした。







「今年は会長の妹さんもいますよね。また、大盛り上がりになりそうですね」






生徒会室に柔らかい声が響いた。





振り返らなくても、誰の声かすぐにわかる。




その場の空気をふわりと和ませるような、けれど芯のある語り口は――生徒会庶務、姫崎(ひめさき)アリア。




彼女は武芸科出身で、見た目こそ華奢だが、実戦においては朝日に並ぶ実力者。



今も、朝日の隣で端末を扱いながら、資料の山を軽々と処理している。






アリアの言葉に、陽翔は苦笑いを浮かべながら、書類から目を離すことなく呟いた。






「大盛り上がりねぇ……。実際は、ほぼ兄弟喧嘩だったけどな」








その声音には、わずかなジト目の気配がにじんでいた。





昨年の羽冠戦――決勝戦で妹の雪乃と真っ向から戦った記憶が、今でも鮮明に残っている。






会場は割れんばかりの熱気だったが、本人たちにとっては文字通り“家庭内異能バトル”でしかなかった。







「決勝で雪乃と戦った後、家にとんでもないプレゼントの山が届いたの、覚えてるか?」





その言葉に、向かいで作業していた雪乃がぴくりと反応し、困ったように額に手を当てた。







「……あれは本当に酷かったです。部屋が、一つ丸ごと埋まっていました」







処理しきれなかった贈り物の山。



手紙、ぬいぐるみ、花束、菓子折り、果ては“異能で発光するアート”まで。





それらは厳重なチェックを受けたうえで保管され、一部は公式ルートで返送されたという。




家の一室が、まるで展示室のようになったあの日を思い出し、雪乃は現実逃避するように手を止める。







「しかも、今年は碧月(みつき)ちゃんも出場するんでしょう?」






朝日が興味深そうに視線を二人に向ける。




目を細めながら、冗談半分、本気半分といった様子だった。




鷲宮碧月(わしみやみつき)――一年のエースにして。



氷羽学園でも指折りの実力者であり、雪乃や陽翔と並び称される数少ない一人だ。






「あぁ……ってことは、三人分のファンレターが届くのか」





陽翔は肩を落とし、遠い目をした。





ただでさえ、何もしていなくても鷲宮家には日常的に“何か”が届く。





メディアに出れば、翌日にはダンボールの山が届くのが当たり前。



公式のセキュリティを通したファンルートだけでも数千単位、個人宛を含めればさらに倍以上。





そして――それを管理する部署まであるのが、“鷲宮家”という存在だった。





公式ファンクラブも存在しており、その運営は国が一部関与しているという、もはや一般人には理解の及ばないスケール。







「兄妹で世界的に知られてるって、どんな人生なんだろ……」





アリアは口元に手を当て、純粋な疑問のように呟く。だが、どこか微笑ましくもあった。






この部屋にいる全員が、それぞれの役割と重責を背負っている。


だがその中でも、鷲宮兄妹が持つ“名前”と“立場”は、別格だった。






それでも、陽翔も雪乃も、その荷を背負ってなお、目の前の仕事に一つずつ丁寧に向き合っている。



それが、生徒会という場所の、そして彼らの“日常”だった。






「今年のゲストって……綾音(あやね)さん?」





瀬戸凛(せとりん)がふと手を止め、何気ないようでいて、その場にいた全員の耳が自然と傾く問いを口にした。






パソコンに向かって資料を整えていた指が止まり、凛は小さく首を傾げる。




その瞳にはわずかに期待と緊張が滲んでいた。





羽冠戦――氷羽学園最大の実戦競技会。





全国、いや国際的にも注目されるその大会には、毎年“特別ゲスト”が招かれる。






その役目を担うのは、代々氷羽学園を卒業した名だたるOB・OGたち。




そして、その年の優勝者は、そのゲストと一戦を交えるという“名誉”が与えられる。





ここ数年、そのゲストは決まって“鷲宮”だった。





二年前には長女・鷲宮綾音(わしみやあやね)




昨年は長男・鷲宮朔真(わしみやさくま)が、舞台に立った。







「去年のは……やばかったよな」






小さく呟いたのは、朝日。誰もが同意してうなずいた。





凛もまた、その場面を思い出していた。



昨年の羽冠戦――決勝で優勝したのは陽翔。




そして特別ゲストとして現れたのは、彼の兄・朔真だった。





その対戦は、今もなお語り継がれる一戦として記録に残っている。





言葉ではとても説明できない、まさに“異次元”の戦いだった。






異能と武技がぶつかり合い、空気が割れ、光が軌跡を描き、音が追いつかないほどの速さで交錯する。





観客席の誰もが呼吸を止めて見守っていた。





凛自身も、あの瞬間は自分の鼓動の音さえうるさく感じたほどだ。






結果は――引き分け。






どちらも倒れず、どちらも退かず。






最後は互いの攻撃が交差した瞬間、静寂が会場を支配し、同時に着地した両者の間には決着の“先”がなかった。






それが、鷲宮朔真と鷲宮陽翔。






兄弟でありながら、もはや“人間兵器”とすら呼ばれる存在。







あの戦いの余韻は、今も学内の動画記録室に保管されているが――






何度見返しても、何がどう起きたのか、肉眼ではほとんど把握できない。






凛は、あの戦いをただの“卒業生との記念試合”とは呼びたくなかった。






それは明らかに、現役と伝説との“本気のぶつかり合い”だったからだ。







「それで、今年は綾音さん?」







凛の問いに、陽翔は少し考えるように視線を天井に向け、それから簡潔に答えた。






「……まだ正式には決まってないけど、可能性は高い。


兄さんの次は姉さん、って流れなら、自然だろうな」








その声色は淡々としていたが、そこにはわずかな緊張が含まれていた。





「うわ……また競技場の床抜けるかもしれませんね」






アリアが冗談めかして言うと、生徒会室に小さな笑いが広がった。

だが、それでも誰もが理解していた。







“羽冠戦のゲスト”とは、栄誉と畏怖の象徴であることを。




そして、鷲宮綾音という存在が、再びあの舞台に立つなら――




今年もまた、歴史が更新されるだろうということを。







「今年は……何もないといいですね」






控えめながらも、芯のある声だった。






発言の主は、白鷺琴葉(しらさぎことは)





生徒会会計。政務科所属の三年生だ。





彼女は淡い銀髪を揺らしながら、端末の画面をじっと見つめていた。






その表情は冷静で、けれど目の奥に浮かんでいたのは、単なる不安ではなく“記憶”だった。







去年の羽冠戦表向きは完璧に運営され、観客もメディアも賞賛の嵐を送った。




だが、その裏側では、誰にも知られない数多の“混乱”があった。






試合に出場する生徒たちの異能使用申請、バックアップ部隊の配置、万一の脱出経路、緊急医療班との連携。






そして何より、校内で突発的に発生する“武芸喧嘩”の数々。






中には、許可区域外で異能を暴走させる生徒もいた。






それらすべての対応を担っていたのが、生徒会と幹部たち――陽翔たちだった。







「ああ……そうだったな」







陽翔は日程表に目を落としながら、小さく息を吐いた。






指先でスケジュールをなぞるようにしながら、疲労の混じった声で続ける。







「派手な演出の裏で、俺たちは一日中モニター前か、現場の応急対応に走り回ってた。


終わった瞬間だけ見れば、そりゃ完璧だったけどさ。……正直、あの時は死ぬかと思った」






それでも、誰にも言わなかった。





メディアの前では、彼は常に“生徒会長・鷲宮陽翔”として完璧に振る舞っていた。







白鷺は小さくうなずいた。彼女もまた、昨年の裏方を知る一人だった。






校内の許可証を偽造し、地下実験室に侵入した支援科の生徒を確保したのも彼女だった。






瞬間的に判断し、非殺傷弓で拘束して現場を収めたあの出来事は、今も忘れられない。








「今年も、何が起きるか分かりませんね。


でも……対応するのは、私たちの役目です」






静かな声に、誰もが自然とうなずいた。






「まぁ、出動要請が来たら、誰であろうと動くのは俺たちだ。

スケジュールがどれだけ埋まってても、それだけは変えられない」







陽翔はため息を一つ。けれど、その表情にはどこか諦めとは違うものが浮かんでいた。






覚悟――。

それは、彼がこの学園の“顔”であることの証でもあった。








政務、警備、戦略、すべての連携を支えながら、彼らは今年もこの“氷羽学園”を守る。








「……よし、俺の方、一通り終わった。みんなはどう?」







陽翔がそう声をかけながら、机の上に広がった資料の山を手際よくまとめていく。






書類の角を丁寧に揃え、重ねてファイルに差し込み、次々とバインダーへ収めていくその動きには、一日の仕事を終えた安心感と、微かに滲む疲れがあった。







彼の呼びかけに、室内のあちこちで控えめに頷きが返される。





それぞれが自分の端末を閉じたり、紙資料を整えたりしながら、手元の作業に静かに区切りをつけていた。






「ふぅ……ようやく三連休だぜ」






最初に声を上げたのは朝日だった。






背もたれに深く寄りかかりながら、大きく腕を伸ばす。






バキバキと鳴る肩と背中の音に、思わず何人かがくすりと笑った。







「机に座ってるだけで、なんでこんなに身体が重いんだろうなぁ……」







朝日は頭をぐりぐり回しながら、心底晴れやかといった表情を浮かべている。






その笑顔には、ここ数週間、重ねてきた生徒会業務の重圧がようやく少し解けたような安堵が滲んでいた。







「今週は……流石に、ちゃんと休みたいな」







陽翔も、ようやく椅子の背に寄りかかり、肩を揉みながらぽつりと呟いた。







制服の襟元を少し緩め、目元を軽く押さえる仕草には、張り詰めていた神経がふっとほどける感覚があった。








その声に、誰からともなく静かな共感の空気が広がった。








机の上にはまだ細かなメモや備忘録が残っているものの、それらはすぐに対処が必要なものではなかった。







今日という一日が、ようやく終わりを迎えつつある――そんな実感が、部屋全体をゆるやかに包み込んでいた。








窓の外には夕陽が落ち始め、淡い茜色がガラス越しに差し込んでいる。





その光が、部屋の中の書類の端や髪の輪郭を柔らかく照らしていた。






この静けさもまた、生徒会の日常の一部。





緊張と責任に満ちた日々の、その合間に訪れる、ささやかな“安息”。







「……みんな、お疲れ」







陽翔が静かに言ったその一言に、自然と誰もが顔を上げ、微笑んだ。






鞄に資料をしまう音、端末を閉じる音、椅子を引く音。



誰かが小さくあくびをして、それに釣られて別の誰かも口元を手で覆った。







「ふふ、みんな顔が眠そうですね」







アリアが冗談交じりに言うと



凛が「そりゃ寝不足だし」と言いながら、ストレッチのように軽く体を動かしていた。







白鷺琴葉も静かに立ち上がり、制服の袖を整えながら鞄を肩にかける。






夕陽が傾く頃、生徒会の面々は連れ立って校舎の廊下へと歩き出した。





夕焼けが長い影を落とし、磨かれた床が金色に染まっている。






それぞれの足音が重なり、響き、どこか懐かしいような心地よい静けさがあった。







昇降口に向かう途中、ふと、朝日が振り返った。







「なあ、せっかく三連休なんだし、明日どっかいくか? 映画とかさ。

ほら、羽冠戦の前はしばらくバタバタして予定も合わないだろ」







「いいね、それ。たまにはのんびりしたいですし」






アリアがぱっと笑って賛成する。






「俺も明日なら空いてる」







陽翔が首を回しながら答えた。






本当は家の用事も少しあるが、たまの息抜きも必要だと自分に言い聞かせるように。






「……では、久しぶりに“あの喫茶店”でも?」






白鷺が静かに提案した場所に、みんなが思わず頷いた。






学園の近くにある、小さなレトロ喫茶。






誰にも知られず、こっそりと行くその店は、生徒会メンバーだけの秘密のような場所だった。







「じゃあ明日、昼にいつものところ集合で」





そう決まり、みんなが各自の下足箱に向かって歩き出す。







靴を履き替え、校舎の外に出た瞬間、ほんのりと春の夜気が頬を撫でた。






空には茜と藍が入り混じるグラデーションが広がり、すぐ上にぽつりと星が一つ瞬いている。








「はぁ〜、ようやく週末……明日は寝坊してやる……」







朝日の独り言のような声に、





アリアが「ダメですよ、集合遅れたら」と笑って返す。







「雪乃も、明日はゆっくりできるといいね」







陽翔が隣を歩く妹に目を向ける。







「うん……でも、兄さんこそ。最近ずっと寝る時間、削ってたでしょ」







雪乃は少しだけ責めるような目をして、でもどこか心配をにじませていた。






家でも兄の忙しさはよく知っている。夜中になっても灯る部屋の明かり、何かの報告書に目を通している背中。






「……明日くらいは、何も考えないつもり。たぶん」






陽翔が静かに答えると、雪乃はほっとしたように微笑んだ。







門を出る頃には、みんなが自然と笑顔になっていた。






特に何か特別なことをするわけではない。




ただ、気心の知れた仲間と、少しだけ非日常の時間を過ごす――それだけで、十分だった。







しかし、そんな束の間の平穏が長く続かないのも、この学園の常である。






夕空の彼方。





学園を囲む外壁のさらに遠く先、封鎖されたはずの()()()から、微かに揺らぐ気配が立ち上がっていた。






その異常を察知する者はまだいない。

だが、それが“始まり”であることに、彼らはまだ気づいていなかった。






次の羽冠戦それはただの武芸大会ではなくなるかもしれない。







校門を出てしばらく歩いた頃には、もう完全に日は落ちていた。






夕焼けの余韻はすっかり夜へと変わり、街灯の光と足元のアスファルトが、ほんのりと夜の匂いを含んでいる。







「ちょっと寄ってく? 飲み物とか」







「うん、アイスも食べたい」







そんな軽い会話の流れで、二人は通学路の途中にある小さなコンビニに足を止めた。







自動ドアが開く電子音とともに、明るい蛍光灯の光に包まれる。






外の空気とは違い、ほんの少し乾いたような空調の匂いと、温かい揚げ物の香りが迎えてくれた。







「……お、いちごミルクある。雪乃、いる?」






「いる」





即答だった。





陽翔は棚の奥からふたつ取って、片方を無言で雪乃に渡す。

雪乃はそれを受け取りながら、冷凍ケースの前で足を止める。







「ねえはると、このチョコミント、前食べてたやつじゃない?」







「お、マジで? うん、それ。それ買う」






「ふふ、わかりやす」




雪乃が笑いながら、チョコミントアイスをレジカゴに入れる。






兄がちょっと照れたように目を逸らしたのを、見逃さずにいた。








店内には他に客は少なく、BGMが小さく流れている。







蛍光灯の白さがどこか居心地の良さを生んでいて、時間が少しだけゆるやかになったように感じる。







レジで会計を済ませた後、陽翔が袋を持って店を出た。






外に出ると、ひんやりとした夜風が顔を撫で、コンビニの自動ドアが静かに閉じた。







「歩きながら食うか」







「うん」







ふたりは再び並んで歩き出す。




アイスを開け、しゃく、と小さく音を立てる雪乃。






「やっぱり夜のチョコミントって、なんか特別な気分になるよね」






「それ、わかる。静かな夜にちょっと冷たいもの、なんか落ち着くんだよな」






雪乃は黙って頷いた。




兄の言葉に、わざわざ返す必要もない。そういう共通感覚が、いつの間にかふたりの間に育っていた。






「兄さん、昔よくさ、稽古の帰りにもこうしてアイス買ってくれてたよね」






「うん、雪乃が泣いたときとかもな」






「えっ……! それ言う!?」






「はは、懐かしくて」







雪乃がむくれるように唇を尖らせるが、その横顔はどこか楽しげだった。






見慣れた住宅街の角を曲がれば、鷲宮家の門灯が遠くに見える。





もうすぐ家に着く――でも、その前のこの短い時間が、不思議と心に残る。






何気ない寄り道。




でもそれが、明日からの戦いの前に必要な、確かな「日常」だった。







玄関のドアを開けると、優しい灯りとともに、ふわりと出汁の香りが鼻をくすぐった。






「おかえりなさーい。あら、今日はふたり一緒なのね」






キッチンから顔を出したのは、鷲宮の母――澄華(すみか)だった。





白いエプロン姿のまま、手を拭きながらゆるやかに歩いてくる。






「ただいま。今日は久しびりに早く終われて一緒に帰れたよ」







陽翔が軽く笑って言うと、雪乃も後ろから続くように頷く。







「ふふ、でも嬉しいわ。昔みたいにふたりで帰ってきてくれると、なんだか安心するのよね」






母の目尻に刻まれる小さなしわが、どこか誇らしげで穏やかだった。







どれほど有名になっても、強くなっても、この家の中では変わらず「子ども」でいてほしい。





――そんな願いが、その言葉の奥に込められていた。






「ごはん、もうちょっとでできるから、先にお風呂でも入ってきなさいな」






「うん。ありがとう」






二人は素直に頷き、それぞれ階段を上がって自室へ向かう。







シャワーを終えた後、陽翔はTシャツに着替え、濡れた髪をタオルで拭きながらリビングへ降りた。






ほどなくして雪乃も部屋着に着替えてきて、手にはさっきのいちごミルクの続きが握られている。







「リビング、使ってていいよって」






雪乃が言い、二人は自然とソファに並んで腰掛けた。






テレビはついておらず、部屋の静けさが心地よい。







「……なんか、こうしてのんびりするの久しぶりだね」







「ほんとにな」






陽翔は首を回して肩をほぐす。





その仕草を見て、雪乃がぽん、と兄の肩に手を置いた。






「揉もうか?」





「……お、まじ、頼む」







雪乃の指が肩に触れ、ぎゅっと力が入る。






兄の肩が思ったよりも固くて、少し眉をひそめた。







「固っ……これで“頼ってる”とかよく言えるね」







「いや、頑張った証拠だろ」







「……甘やかし過ぎたかな」







雪乃がぼそりと呟くと、陽翔が笑う。







「お前に甘やかされた記憶はないけどな」







「それはお互いさまってことで」







笑いながら、二人は並んでソファに背を預ける。




部屋の照明は少し落とされ、窓の外からは夜風がカーテンを揺らしていた。






「……兄さん」






「ん?」






「次、決勝でまた当たったら――全力でくるよね」






「もちろん。遠慮する気はない」






「なら、私も絶対に倒すよ。去年の借り、ちゃんと返すから」






陽翔はふっと微笑み、横を見て妹と視線を交わす。






「楽しみにしてる」






言葉は短くても、その中に込められた想いは確かだった。






互いに負けたくない相手。



だけど一番近くにいる理解者。





そんな関係が、静かな夜の中でそっと色濃く描かれていく。






やがて母の「ごはんできたわよー」という声が聞こえ、ふたりは立ち上がった。





それぞれの道を、戦いを、越えて――同じ家に帰る。




ただそれだけのことが、どれほど貴重かを噛みしめながら。








食卓に並べられた料理は、いつもながらの母の手料理だった。






肉じゃがに味噌汁、焼き魚、そして炊き立てのご飯――家庭の味という言葉そのものの温かさがある。







「はると、今日のは特に味しみてるわよ。好きでしょ、これ」






母の言葉に、陽翔が「うん」と頷きながら箸を動かす。






雪乃も黙ってうなずき、何気ないやりとりが安心感を運ぶ。






ふと、雪乃がぽつりと話した。







「……そういえば、兄さんが初めて稽古に連れてってくれた日、覚えてる?」







陽翔は手を止め、目線を少しだけ天井に向けた。






「ああ……あのとき、お前まだ小学校2年生の時だったな」






「うん。兄さんが使ってた竹刀、私が持ってよろけてたの、覚えてる?」







「覚えてる。俺、びっくりして慌てて支えたんだよ。そしたら『わたしも強くなる!』って急に泣きながら言い出してさ」







雪乃は恥ずかしそうに苦笑した。






「あれ、なんで泣いたんだろう……自分でももうよく思い出せないけど」







「悔しかったんだろうな。俺ばっかり褒められてたから」







「……そうかも。でも、あれがきっかけだった。兄さんと一緒に並んで戦えるくらい強くなりたいって思ったの」








「……ちゃんと追いついたよ。むしろ、もう背中見せられないくらい、隣にいる」







雪乃の手が、ごはん茶碗の端をそっとなぞるように止まる。







「兄さんはずっと前を走ってたから。だから、どんなに褒められても、どこかで自分はまだ“妹”なんだって思ってた」






「……」







「でも、去年の決勝で戦ったとき、ほんとに並べたって思った。嬉しかったよ。例え負けても、ようやくそこに立てたって」







陽翔は箸を置き、深く息をついた。







「……あの試合、ずっと残ってる。家族と戦うのは、やっぱり簡単じゃない。でも、お前があんな真剣な目で俺に向かってきたの、すげぇ……楽しかったよ」







雪乃は目を伏せ、小さく笑った。







「ありがとう。そう言ってくれるの、やっぱり嬉しい」







それを見守っていた母・澄華は、少し目を細めて口を開く。









「ふたりとも、本当に立派になったわね。強くなることも大切だけれど、こうして心を通わせていられる兄妹って、何よりも素敵だと思うわよ」








「……まあ、これからまた戦うんだけどな。たぶん、次はもっと激しくなる」








「うん。私、今度こそ勝つつもりだよ」







一瞬だけ、兄妹の間に火花が散ったような視線が交錯する。







けれど、次の瞬間にはまたいつもの穏やかな笑みに戻り、ふたりは箸を持ち直す。







「その前に、まずは目の前の肉じゃが倒さないとな」






「うん。負けないよ、これには」






「いや、俺が先に食べる」






「ダメ」






そんな他愛もないやりとりに、母はクスリと笑った。






戦うことが日常にある家。




それでも、こんな日常があってこそ、彼らは戦いの意味を見失わずにいられる。





――夜は静かに更けていく。




けれど、その静けさの中には確かな絆と、過去から未来へと繋がる兄妹の軌跡があった。








部屋の灯りは薄暗く、カーテンの隙間から夜の冷たい風が静かに流れ込んでいる。





陽翔は机に置かれたスマートフォンを手に取った。






数分前、リビングのテーブルに置かれていたそれは、誰かからのメッセージ通知だった。





送り主は「雪乃」――いつもは照れくさくてなかなか返せない彼女からだった。







画面に表示された言葉は短かった。






――「お兄ちゃんの背中、ずっと見てるから。」







陽翔はしばらくそのメッセージをじっと見つめていた。

まるでそこに彼女の気配が宿っているかのように。







「背中を見てる……か」







呟く声は、わずかに震えていた。







幼い頃からずっと背中を追いかけてきた妹の言葉。





それは励ましであり、同時に自分への覚悟の再確認でもある。







陽翔はスマホを胸に抱くと、深く息をついた。






「負けられねぇな……絶対に」







強く握った拳が、決意の象徴となった。




彼の目に、暗闇の中でもひときわ強い光が宿る。







部屋の隅に飾られた家族写真も見つめながら、陽翔は静かに言った。






「家族のために、己のために――もっと強くならなきゃ」







そう誓った瞬間、彼の心の中に少しだけ重かった何かが溶けていくのを感じた。







戦いの日々は続く。



けれど、孤独じゃない。



いつも側に、妹がいる。





そして、この家族がいる。





陽翔は部屋の暗がりの中、じっと手元の封筒を見つめていた。




イギリスの姉妹校から届いた、幼馴染マリナ・エインズリーの手紙。






何度も開けるのをためらったが、覚悟を決めて封を切る。



薄い紙に記された文字は、静かだが凄まじい重みを帯びていた。






――「陽翔へ。


今、世界で大変なことが起こっているわ

反逆者たちが影の中で動き出し、異能の力を弄び、国を、そして未来を壊そうとしている。


私がいるここはすでにその渦中に巻き込まれそう。


氷羽学園もその影響下に落ちるのは時間の問題かもしれない。


これから訪れる闇は、これまでとは比べものにならない。


この戦いは、ただの勝負ではない。


命を賭け、全てを守る戦いになるわ。


どうか、自分だけで背負い込まないでほしい。


仲間を頼り、信じてほしい。


私はここでできる限りの準備を続けている。


近いうちにまた、光の下で会おうね。


君のこと、私はずっと見守っている。


マリナ・エインズリー  」






陽翔は手紙を握りつぶしそうなほどに強く握った。




胸の奥で冷たい重石が沈み込むような感覚に襲われる。







「世界は……確実に壊れ始めている」







視線は遠く、ぼんやりとした闇の向こうを見つめていた。







今はただ、

この重い現実と覚悟を抱え、立ち向かうしかないのだと。







陽翔は手紙を閉じ、深く息を吐いた。





そして、静かな部屋に低く響く声で呟いた。







「近いうちに伺うとしようか」







その言葉には、単なる約束以上の意味が込められていた。





遠く離れたイギリスの姉妹校、マリナの元へ。






情報を得るため、そして何よりもマリナの安全を確かめるために――。





窓の外、夜の闇が静かに広がっている。





その暗闇の中に、陽翔の瞳は強い意志の炎を宿していた。







「俺たちが直面するのは、ただの試練じゃない。


世界を揺るがす戦いだ。


だが……負けるわけにはいかない」






机に拳を叩きつけることもなく、ただ静かに決意を噛み締める。





その沈黙の中に、彼の覚悟が刻まれていった。






やがて陽翔は手紙を机に置き、




揺らぐことのない視線で未来を見据えた。





「必ず、守る。




この世界と、俺の大切なものすべてを――」





その言葉が、彼の胸の内で強く響き渡った。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ