氷羽学園というヤツ
氷羽学園――それは国家の未来を担う者たちが集う場所。
正式名称は「日本国立氷羽学園高等部」
その名の由来は
「白き羽根の如く鋭く、静謐にして強靭な才能が羽ばたく学び舎」
日本の雪深い山岳地帯に広がるその校舎群は、どこか神殿を思わせる静謐さと威厳を備えている。
創立からすでに三百年を越える歴史を持ち
世間では“高貴で上品、由緒正しく選ばれし者が通うエリート校”と評される。
──その評価は、あらかた間違っていない。
だが、それは“この学園の半分”しか語っていない。
真に知られるべきは、この学園の本質である。
氷羽学園とは――国家と国民を守る者を育てるための養成機関。
異能という力を持つ者たちの中から
真に「人を救い、導き、時に戦える者」を選び抜き、育て上げる、いわば国家規模の英才教育場なのだ。
入学試験は極めて単純明快である。
成績でも家柄でもない。
たった一つ、「素質があるかどうか」。
精神、肉体、そして生まれ持った異能の才。
それらが融合し、国家が「未来に投資する価値がある」と判断した者だけが、この門をくぐることを許される。
その狭き門を通過できる者は、毎年わずか210名。
全国の志願者数万人の中から、最終的に選ばれるのはほんの一握り。
ここに通うということは、その時点で日本という国に「特別な意味で認められた存在」として扱われることを意味していた。
そして入学後、彼らはさらにその“資質”を見極められる。
約一ヶ月間の適性観察を経て、各自の得意分野・潜在能力に応じて、以下の六学科へと振り分けられる。
武芸科(本戦科)
異能による実戦戦闘を主軸に置く最前線のエリートたち。
支援技術科(サポート科)
治療系異能、支援装備開発、分析支援など戦闘を裏から支える技術者集団。
防衛警戒科(警備科)
災害対応や校内治安、対外防衛任務などを担当。現場主義の実力者が多い。
戦略政務科(政務科)
統率、戦略構築、政策提言、学内統治。例年の生徒会役員の多くがここから出る。
国際関係科(外交科)
異能国家間の交渉、諜報、多言語戦略、文化介入などを専門とする国際派。
通常教養科(一般科)
潜在覚醒前の者が所属。多様な進路に対応。
この六学科は、単なる専門教育の場ではない。
それぞれが「未来の国家中枢」に直結する任務を担う人材の養成機関であり、その成果は日本国内のみならず、異能国際社会にも密接に関わっている。
氷羽学園に通うということは、すなわち“未来を託される”ということ。
それは名誉であり、誇りであり、同時に──大いなる責任である。
彼らの目的は、ただの卒業ではない。
国家の盾となり、剣となること。
それが、氷羽学園という場所の、真なる意味なのだ。
氷羽学園における「学生」という立場は、一般的な学園生活とは一線を画している。
特に武芸科をはじめとする戦闘系学科の生徒たちは、名実ともに“この国の戦力”として数えられる存在だ。
その理由は、入学と同時に国家武芸指定機関が管理する「出動免許」の取得制度にある。
生徒たちは毎月一度、この免許の試験を受けることができ、その結果に応じてランクEからランクSAまでの等級が与えられる。
最初はランクEからのスタートとなるが、実力や実績、実技評価によってランクは上昇していく。
この免許こそが、学生でありながらも正式に現場へと出動できる“国家の認可”を意味する
出動要請は、国家武芸指定機関の監視網を通じて、生徒のランクに適した任務が自動的に振り分けられるシステムだ。
任務に応じて給与が発生し、報酬も国から支払われる。
当然、命のやり取りもある危険な任務も含まれるが、それは「武芸者」という生き方を選んだ時点で避けては通れぬ道だった。
学園側も、この制度を単なる実戦訓練とは見なしていない。
むしろ、出動経験は一種の“実習”として公式に評価されており、授業を欠席して任務に赴いた場合でも、単なる公欠ではなく「出動単位」として認定される。
これは成績や進級、果ては卒業にも影響する重要な要素であり、学生たちはまさに“学びながら戦う”という二重の責務を背負っているのだ。
中でも――鷲宮陽翔のような特別な家系に生まれた者たちは、事情がさらに異なる。
鷲宮家は、代々にわたり国家武芸指定機関に名を連ねる名門であり、いわば“家系そのものが戦力”として扱われている家だ。
陽翔自身、正式な学園入学以前――まだ小学校にも上がらぬ幼少の頃から、訓練施設に足を踏み入れ、実戦の空気を肌で感じて育った。
特殊な教育課程を与えられ、幼少期には“見習い”という名目で現場の視察に帯同し、少年期にはすでにランクBの免許を持っていた。
その立ち居振る舞いには、もはや「学生」という枠では捉えきれない風格がある。
彼のような“生まれながらの武芸者”にとって、戦場は学び舎であり、任務は日常だ。
氷羽学園において彼が“生徒会長”という立場にあることも、その人格と実績の証明にほかならない。
こうして、氷羽学園の生徒たちは、学生という肩書きの下に、国家に認められた武芸者として――実戦と学問の狭間で、己の理想と現実を見据えながら、日々を生きている。
そして氷羽学園と「鷲宮」の名は、切っても切り離せない関係にある。
この学園を創設したのは
鷲宮冷晴──鷲宮家の第七代当主にして、類まれなる識見とカリスマ性を備えた人物であった。
冷晴は異能という力の存在が公に認知され始めた時代、その混乱と対立の中で
「力を制し、導くための学び舎」を築くことを決意した。
そうして誕生したのが、現在の氷羽学園である。
以来、鷲宮の血を引く者は例外なくこの学園へと進学し、卒業していった。
彼らにとって氷羽学園は、ただの学び舎ではない。
己の責務と誇り、そして系譜に刻まれた宿命を自覚するための通過儀礼でもあったのだ。
さらに特筆すべきは、その血筋に生まれた者が学園に在籍していたすべての時代において、一人残らず生徒会長または副会長の座に就いていたという事実である。
偶然とは呼べない、必然の連なり。
それは彼らの統率力と存在感、そして学園に対する影響力を如実に物語っていた。
そして今。
この代においても、その伝統は揺るぎなく続いている。
現・生徒会長──鷲宮陽翔もまた、鷲宮の血を引く者。
凛とした気配と圧倒的な統率力を備え、名門の名に恥じぬ器を持って、生徒たちの頂点に立っている。
彼の存在が、この学園における「鷲宮」という名の重みを、改めて思い知らせるのだ。
鷲宮陽翔──その名は今、世界の異能関係者の間で大きな注目を集めている。
理由は明白だ。
彼の持つすべての潜在能力値が、ここ二年で既存の基準値をはるかに凌駕し、いまや“数値的にはこの世で最強”とまで評されているのだ。
しかし、それはあくまで「数値上」の話に過ぎない。
現実には、その身体がまだ急激な力の増大に完全には適応しきれておらず、その圧倒的な力を「扱いこなす」段階には至っていない。
ゆえに陽翔は、毎日を厳しい鍛錬に費やしている。
ただ強いだけでは意味がない。
制御できない力は、己をも蝕む。
それを誰よりも理解しているのが、陽翔自身なのだ。
だが──
陽翔の真の異質さは、数値化できる能力とは別のところにある。
三年前に起きた“あの事件”。
世界の一部を震撼させながらも、公式には詳細の一切が伏せられ、記録にも証言にも曖昧な空白が残されたその出来事。
政府は厳重な情報統制を敷き、関係者の多くも沈黙を守っている。
だが、確かなことがひとつある。──あの日、鷲宮陽翔は何かを得た。
それが何であるのかは、誰も知らない。本人すら明言したことは一度もない。
ただ、事件の後から彼の気配は微かに変わった。
目の奥に宿る、かすかな静謐と鋭さ。
そして、どこかこの世界の理すら俯瞰しているような視線。
氷羽学園に在籍する現在も、陽翔がそのとき“得たもの”の正体を知る者は、一人として存在しない。
ある者は言う──彼は「何かを知っている」。
またある者は言う──彼は「何かと繋がっている」。
だがそのすべては、今もなお、分厚い霧の中にある。
鷲宮陽翔という存在は、ただの“最強の生徒会長”ではない。
それは、まだ誰も辿り着いたことのない、異能という概念のその先を見据える者なのかもしれなかった。
この世界には、まだあまりに多くの謎が残されている。
人類が異能という力の存在を認識し、体系立てて分類し、訓練と研究を重ねてきたのは、ほんの一世紀にも満たない。
それでも、人の知は進歩した。多くの理論が構築され、能力の発現や応用に関する技術も磨かれてきた。
だが、それはあくまで“既に見えていた範囲”においての話でしかない。
この世界には、まだ明らかにされていない事象が無数に存在する。
未発見の力。
未確認の現象。
未分類の存在。
それらは、誰かが“見落とした”のではない。
見ようとした者がいなかったのだ。
──理解されなかったもの。
──観測されなかったもの。
──その存在に、誰も気づくことすらなかったもの。
人は、見えるものしか見えず、知っていることの中でしか考えることができない。
だからこそ、この世界には、いまだ名も与えられていない真実が潜み続けている。
謎が謎のままである理由は、誰もそれを「解こう」としなかったからに他ならない。
逆を言えば、謎はそれに挑む者にのみ、ほんのわずかずつ、その輪郭を見せてくれる。
見えないものを見るために、知らないものを知ろうとするために、
人は問いを抱かなければならない。
それが、この世界の深淵に触れるための、唯一の鍵となるのだから。
鷲宮陽翔が世界最強と呼ばれるようになったのは、間違いなく、この世界の謎の一つを解いたからである
そして──彼、鷲宮陽翔が何も語らないのは、決して傲慢ゆえではない。
それは沈黙という名の防壁であり、彼なりの覚悟の表れでもあった。
あの日、彼の身に何が起きたのか。
何を見て、何を得て、そして何を背負ったのか。
それを知る者は、この世界に一人として存在しない。
陽翔は、そのすべてを誰にも話していない。
それは親しい友人に対しても同じであり、
なにより──彼が誰よりも深く愛してやまない家族にさえ、何一つ語っていないのだ。
たとえ問いかけられても、彼は静かに微笑むだけで、その奥にある真実を語ろうとはしなかった。
まるで、その沈黙の奥にこそ彼自身があり、語ることでそれが崩れてしまうかのように。
彼の心の内には、何があるのか。
何を思い、何を決意し、何を恐れているのか。
それを知る術は、ただ一つ──彼自身が語るその瞬間を待つしかない。
しかし、ひとつだけ確かなことがある。
彼は、自分の命よりも家族を愛している。
この世界を、未来を、そこに生きる人々を──心の底から慈しんでいる。
その想いがあるからこそ、彼は背負った。
誰にも見せないまま、ひとりで抱え続けている。
言葉にすれば、それはきっと、重くて、痛くて、そして──優しい真実なのだろう。
陽翔の沈黙は、冷たさではない。
それは、守る者の沈黙であり、愛する者を傷つけまいとする、静かな祈りなのである。
「──はると……我がついておる。何も心配するんでない。案ずるが良い。静かに眠れ──」
それは、まるで深い湖の底からゆっくりと浮かび上がってくるように、静かに、けれど確かな重みをもって、脳内に直接響いてきた。
言葉ではない。耳から聞こえたわけでもない。
それなのに、はっきりとその「声」は陽翔の内側に届いた。
それは低く、重厚でありながら、どこか包み込むような温もりを帯びた声音だった。
胸の奥の不安や緊張が、そっと撫でられるように、やわらいでいく。
不思議だった。
誰の声なのかは、わからない。
思い出せないし、聞いた記憶もない。
──なのに、なぜか懐かしかった。
まるで、遥か昔に別れを告げた誰か。
あるいは、生まれるもっと前から、ずっとそばにいてくれた存在のように感じられた。
名前も姿も知らないのに、「知っている」と確信できる。
理屈ではない。
心がそう告げていた。
魂の底に刻まれた何かが、その声を知っていた。
目を閉じると、闇の中に、微かに灯る光のようなぬくもりがあった。
それに包まれて、陽翔の呼吸は次第に穏やかになっていく。
心の奥で、何かがそっと囁いた。
──大丈夫だ。
──お主は、一人ではない。
そして彼は、声に導かれるまま、静かに、深い眠りへと落ちていった。