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鷲宮陽翔というヤツ

「貴様……! 俺を見くびるなッ!!」



男の怒声と同時に、空気を裂く鋭い閃光が走る。


彼の手にあるのは、銀色に光る細身の剣──


その剣は装飾に富み、軽量で美しい。だが、その見た目に反して、一度抜かれれば“殺すため”だけに存在する危険な刃だ。



一瞬で距離を詰めた男の刺突が、雷鳴のように陽翔(はると)へと走った。



──だが。



「浅いな」



陽翔(はると)は眉一つ動かさず、身体をわずかに斜めに捻るだけでその攻撃を回避した。


すれ違いざまに響く金属音──



《アヴァロン=セラフィム》の刃が、男の剣をなぞるように受け流す。



「くっ……!」



男の目が見開かれる。


彼は刺突の速度と精度に絶対の自信を持っていた。

肉を裂き、骨を穿ち、心臓を正確に突く“貫きの美学”。


その剣技が──通用しない。




「その剣、速いが……読みやすい。動きに、理がある。ならば制せる」




陽翔の言葉が、静かに男の自尊心を削る。



「黙れッ!!」



怒りにまかせ、男が連続の刺突を放つ。


喉元、脇腹、肋骨、そして脚部。


すべてが急所を狙い、殺意に満ちた連撃。


空間が、まるで針で刺し穿たれるような無数の音に包まれる。


空間刺突(エアピアス)とも言える異能の応用──残像すら残らない速撃。



しかし。



「遅い」



陽翔は、まるで踊るように身を揺らし、1ミリ単位で刺突をずらす。



「ぐっ……!? なんで……当たらない……!!」



男の額に汗が浮かぶ。剣は間違いなく届いているはず。距離も、間合いも、動きも、完璧だ。

それなのに──陽翔には一度も触れていない。


それどころか、陽翔の目は微塵も焦っていない。



「君の剣は“最短”だが、俺はそれを知っている。“最善”には届かない」



言葉と同時に、陽翔が一歩踏み込む。


《アヴァロン=セラフィム》の刃が蒼光を纏い、男の細剣に絡みつくように動いた。



──ギィンッ!!



わずかに交差した瞬間、男の手から細剣が弾かれる。



「なっ……がッ──!!」



陽翔の拳が、男の鳩尾にめり込む。剣技ではない、“王”としての肉体の一撃。鍛え抜かれた異能使いの身体に、戦場を支配する重さと威圧を込めた拳が炸裂する。


男は数メートル後方のビルに激突し、ガラスとコンクリートを砕きながら崩れ落ちた。


地面が揺れた。


戦場が静まり返る。



「見くびっているわけじゃない。これは──力の差を教えているのだ」



陽翔の声は穏やかでありながら、残酷なまでに現実を突きつけていた。


その背に揺らめく《アヴァロン=セラフィム》の神威が、戦場全体の空気を圧する。


正しく王座に立ち、最も神に近き者──


そう、現世では讃えられている。


鷲宮陽翔(わしみやはると)──

それはただの名ではない。


それは、「絶対」を象徴する“象徴”そのもの。



「……俺は、C.O.Vの幹部の一人だぞ……ッ!」



ビルの残骸の上に立ち上がった男が、口の端から血を垂らしながら叫んだ。

その全身は傷だらけで、息も荒い。

細身の剣はすでに折れ、戦うための術も限られていた。



「この俺様がッ! たった、こんな餓鬼に……! O・Sとは何なんだというのだッ!!」



怒声とともに、靄のような黒い異能が男の身体から溢れ出す。

その眼には理性の残滓などない。


ただ、自らが信じてきた“強さ”が崩れ去ることへの激しい拒絶と恐怖。

そして、それを突きつけてくる陽翔への純粋な憎悪だけが宿っていた。



「なぜ……! 俺が負けるわけがない!!」



言葉にすらならない咆哮を上げながら、男は倒れた細剣の破片を握りしめる。

手の平から血が滴る。だが、それすら構わない様子だった。



──しかし。



陽翔は、その様子をまったく意に介していなかった。



「C.O.Vの幹部になったばかりの……いや、“穴埋め役”の君が、俺に勝てると思ったのか?」



その声音は、まるで氷のように冷たく、残酷だった。



「ぐっ……!!」



男の瞳が揺れる。

陽翔の言葉は容赦がなかった。

ただ事実を告げているにすぎない。

それゆえに、どんな罵倒よりも男の誇りを深く抉った。


陽翔の双眸は光を纏いながら、真っ直ぐ男を見下ろしていた。


その眼差しはまさに“神意”──地に立ちながら天に最も近い王の視線だった。



「貴様あああああああああッ!!!!!」



ついに、男は怒りを爆発させる。


喉を裂くような咆哮を上げながら、折れた剣を振り上げ陽翔へ突進した。もはや技でも戦略でもない。ただの怒りによる突撃。



だが──。



「……。」



陽翔は一歩も動かない。


風が凪いだように、戦場が静まった。


陽翔が軽く片腕を振る。


すると、男の身体が突如としてその場に押し留められたかのように硬直した。まるで、時の流れそのものが陽翔の意志に支配されているかのように。



「C.O.Vの幹部である、四ヶ月前に第七罪席──Code:Pride(コード プライド)として活動を始めた男。

元・日本国家武芸者管理研究部署所属、三上研哉(みかみけんや)さん。」



陽翔は、朝日から得た情報を正確に口にしながら、敵の頭上へ《アヴァロン=セラフィム》の刃を向けていた。


その眼差しは、憐れみを湛えながらも、決して揺るがぬ王の視線だった。



「貴様……!黙れぇッ!!」



三上は唇を噛み、全身を怒りに染めながら叫んだ。

しかし、陽翔の言葉はまだ終わらない。



「──だが君は“本来のPride”じゃない。

C.O.Vに君のような才覚のある男が入ったから、幹部になれたわけじゃない。

君がその座を得たのは──“空席を埋めるため”だった。

……そうだろ、Code:Pride。」



「なッ──!?」



その瞬間、三上の表情が一気に蒼白に変わる。



「……君の前任。

本来のCode:Pride。

半年前、俺と朝日が討った。」



陽翔の言葉は冷たく、だが、残酷なまでに正確だった。



「C.O.Vの中でも戦闘力・影響力共に高かった前任者。

“傲慢”そのものを体現した、異能による精神汚染のエキスパート。

──だが、奴は俺たちの手で消えた。

君が“その残骸”の上に立っていることを、俺は知っている。」



言葉のすべてが、三上の誇りを撃ち砕く。

その顔には、怒りと羞恥と、何より“悔しさ”が浮かんでいた。



「黙れ……!黙れ……!貴様ごときに、俺の何がわかるッ!!」



三上は細剣を握り締め、再び陽翔へと飛びかかった。



「──だからこそ、君は焦っている。

C.O.Vの幹部としての“肩書”が、本当に自分の実力で得たものじゃないと、どこかで分かってるからだ。

前任と比べられる恐怖。追いつけない焦燥。

偽りの座に縋っているだけの今を、君自身が一番否定したいんだろう?」



陽翔の声は、切り裂くように鋭かった。

それは甘さの欠片もない、真実の刃だった。



「──うるさい!!」



三上の絶叫と共に、彼の細剣が風を裂いて陽翔を襲う。

だが陽翔はその攻撃を、紙一重で避け──返す一撃で三上の肩口を斬り裂く。



「っ……!」



男は大きくよろめき、血を撒き散らしながら距離を取る。



「──言ったはずだ。

見くびっているわけじゃない。

“力の差”を、教えているのだ。」



陽翔の声に、戦場の空気がまた一段と冷えた。

彼はまさに、“王”の如き存在だった。




「……C.O.Vとはやはり裏切られた天才たちの、墓場だな。」



陽翔が呟いたその言葉に、三上の動きが一瞬止まった。



「──貴様、何を知っている」



低く、呻くような声。



「君たちC.O.Vの主要幹部の共通点。

それは、元各国の国家所属の異能者、または研究者でありながら、“国家に捨てられた”者たちだ。」



陽翔の声には、敵意ではない──澄んだ、真実だけを伝える静けさがあった。



「三上研哉。

君は日本国家武芸者管理研究部署、通称“武管研”の主任研究員。

二十代半ばで最年少主任に就任。異能兵の精神耐性強化技術、特性再構築理論、そして──“|意識転写型兵装システム《アイタス・システム》”を設計した天才だった。」



「……!」



三上の瞳が揺れる。その名を、過去を、陽翔が知っていることに驚愕していた。


「だが──国家は恐れた。君の技術が“人間の限界”を超えてしまうことを。

“神を模倣する者”を生かしてはならない、と。

君のプロジェクトは凍結され、論文は封印、同僚は口を噤み、君自身は“異能管理違反”の名のもとに、施設から追放された。」



陽翔はゆっくりと剣を下ろした。だがその眼差しは変わらない。決して情けではない。真実の確認だった。



「君の研究成果を盗み、再編し、上層部の政治道具に変えた者たちが、今なお国家の中枢に残っている。

──それが、君が国家に牙を剥いた理由だ。そうだろう?」



「──ッ!黙れ……!黙れぇぇぇ!!」



三上が吠える。否定ではない。すでに心の奥底では認めている。それでも認めたくない、惨めな過去。



「俺はッ……!この国に捨てられた!!信じていた上司に裏切られ、功績を奪われ、人格すら壊されかけたッ!!

それでも、俺は……生きたかったッ!!この手で、証明したかったんだ……!!俺はあいつらのせいで何も手に入らなかった!!」



陽翔は静かに目を伏せた。



「──だからC.O.Vに行ったんだな。

君のような、“切り捨てられた才能”のために、あの組織は用意されている。

能力至上主義と自由な研究体制、復讐という大義。表舞台から堕ちた者にとって、それは“最後の光”に見えただろう。」



「光……?違う……それは最初から闇だった……!!

だけどそれしかなかった!!俺にはもう、戻る場所なんて──!!」



男の叫びが、空に虚しく響く。

だが、陽翔はその言葉を遮ることなく、ただ一歩前へと進んだ。



「──その痛みは、俺にはすべて理解できない。理解することは永遠にない

だけど、君が歩いたその道の果てが、こうして人を傷つけることしか選べなかったというなら──俺が、その終着点を斬る。」



鷲宮陽翔の足元に、黄金の光が収束していく。

《アヴァロン=セラフィム》の刀身が再び光を帯び、神威がその輪郭を淡く照らす。



「君のような天才を、この世界に殺させない。──だから、終わらせる。」



「……っ、ふざけるな……!

俺は、まだ……終わらない……終われるはずが……!!」



三上は呻くように叫び、細剣を握り直した。



「ならば、来い」



陽翔の声には迷いがない。

その声音に宿っていたのは、“赦し”でも、“怒り”でもない。



──それは、悲しみすら超越した、王としての義務だった。



──自分は、王として在らねばならない。


それが鷲宮陽翔の胸に刻まれた、絶対の意志だった。


目の前の敵がどれだけ憤怒しようと、怒声を上げようと、陽翔の心は一切揺れなかった。

揺れてはならなかった。


彼は自覚している。

自分の言葉ひとつ、判断ひとつで、命運が決まる立場であることを。


それを“天命”と呼ぶ者もいるし、“呪い”と呼ぶ者もいる。

だが陽翔にとって、それは選ばされたものではなかった。

自ら、選び取ったものだ。



──力は人を殺すためにあるんじゃない。


──守りたいものを、守るためにある。



幼い頃、そう言った父の背中が、今も脳裏に焼きついている。

だが、力を持つ者が守ると決めたその瞬間、

同時に“誰かを切り捨てる覚悟”も持たねばならなかった。



王であるとは、最も多くの命を救う代わりに、

時に、誰よりも冷酷でなければならない存在。



(──俺は、誰かの感情に付き合ってやるほど甘くはない)



三上研哉のような者に、手心などいらない。


彼がどんな過去を背負っていようと、

どんな理想のために戦っていようと、

それが人々を傷つけ、奪う行為に繋がっているのなら──陽翔はそれを断ち切るだけだった。



迷いはなかった。


彼の中には怒りも、焦りもない。

あるのはただ一つ。


「理想を現実にする」ための、冷徹な覚悟。


──けれど、それでも。


陽翔の胸の奥、誰にも見せない深い場所に、小さな痛みが確かに残っていた。


それは「わかっている」という感情。


三上のような者が、どうしてC.O.Vという組織にすがるしかなかったのか。


かつての“英雄”が、なぜ“裏切られた天才”と呼ばれる存在になったのか。

理不尽や切り捨てられる運命、社会の歪みが生み出した怪物たち──


彼らを生み出したのもまた、「人間」だった。


陽翔は知っている。

自分の背中に、それを止める責任があることも。


そして同時に、止めきれなかった時には──その命を、自らの手で断たねばならないことも。


その矛盾と葛藤を、何百、何千と飲み込んだ先に、


ようやくたどり着いたのが、いまの彼の「王」としての姿だった。


だからこそ、陽翔は立ち続ける。

戦いの中心に、冷たく、揺るぎなく。


たとえ心がどれほど傷ついても──


たとえ誰にも理解されなくとも──


それが、“鷲宮陽翔”の選んだ道だから。



「黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れッ!!」


三上研哉の怒声が戦場に響き渡る。

その手に握られた細剣は、怒りに呼応するように鋭く唸り、空気を裂いて陽翔へと突き立てられた。



だが──



「その軌道、三度目だ。次は左、肘が開いてる」



陽翔の声はあまりにも冷静だった。

淡々と状況を読み切るその目には、敵の動きすべてが“予測済み”であるかのような余裕があった。



次の瞬間、陽翔は一歩踏み出しただけで、三上の突きを体を捻るだけで避け──



「っぐ──!」



肋を狙って放たれた陽翔の肘打ちが、寸分違わぬ角度で三上の呼吸を断ち、

返す刀のように右足で膝裏を薙いだ。


三上の身体が、膝から崩れかけた──

肋を打たれ、脚を刈られ、呼吸は乱れ、視界は揺らぐ。

それでも、彼の心はまだ折れていなかった。



否。

折れることを、許せなかった。



(まだだ……俺は、ここで終わるわけには……!)



己を奮い立たせるように奥歯を噛みしめ、

三上は残されたわずかな気力をその右腕に集める。



「俺の――すべてを賭ける……!」



震える腕が、剣を高く掲げた。

それは執念、誇り、過去への執着の塊だった。



──だが。



「……それでも、あんたは戦う理由を持ってた。

憎しみに飲まれた、かつての天才」



静かに、だが確かな声が三上の耳に届いた。


陽翔は動かない。

ただそこに立ち、ただ三上を見ている。


けれど――その目は、“剣よりも鋭かった”。



「……っ!」



三上の動きが、一瞬、止まった。

掲げた剣の先が、空を切ることを躊躇した。



(な……なぜ……動けない……?)



視線が合う。

その一瞬に、三上は感じた。


陽翔の放つ冷徹な“殺気”。

だがそれはただの脅しではない。


陽翔の目には、はっきりとした“理解”と“哀れみ”が浮かんでいた。


まるで──「その一撃に意味はない」と、全てを見透かされたように。


それでもなお、三上は抗った。



「く……俺は、認めない……! 俺は、まだ……!!」



声を振り絞る。

叫ぶように、怒鳴るように、自らの存在を刻むかのように。


彼は“過去”と“現在”の間で足掻いていた。


誇りを踏みにじられ、信じた国家に裏切られた。

それでも彼は、闘うことで己を保っていた。



(俺には、これしか残っていない……!)



剣が再び振り下ろされようとする、その瞬間──


陽翔の足元が、わずかに動いた。

風が揺れるほどの微細な移動。


それだけで、三上の腕が痙攣したように止まった。



「お前の刃は、もう俺には届かない。

そしてそれは、お前自身が一番分かってるはずだ」



冷たい、しかし哀悼のこもった声だった。


陽翔の言葉が、三上の心の“核”を撃ち抜いた。

それは敗北の瞬間であると同時に──過去との訣別でもあった。


握られていた剣が、カランと音を立てて地面に落ちる。

三上の両膝が、がくりと折れた。


それでも彼は、陽翔を睨み続けた。


その目には、涙にも似た悔しさと、ほんのわずかな“安堵”が混じっていた。




「……お前が、今の世界の……答えかよ……」




陽翔はその言葉に、何も返さなかった。



ただ、静かに歩み寄り──《アヴァロン=セラフィム》の柄を握り直す。


その刃は、もはや殺意を帯びていなかった。

振り下ろされたのは──峰打ち。




音もなく、三上の意識は闇に沈んだ。


静寂が戻る。


陽翔は一歩、後ろに下がりながら、倒れ伏す三上を見下ろした。




「……何度体験しても、哀れな世界だ。」




陽翔は、崩壊しかけたビルの縁に立ち、静かに呟いた。


先ほどまで爆風と轟音に支配されていた戦場──


焼けたコンクリートの匂い、弾けた鉄骨の悲鳴、焦げた煙がまだ空に残っている。


だが、今そこには異様なほどの静けさが広がっていた。


視線を空へと上げる。

淡く明け始めた空に、風が流れるのが見えた。



けれど──それは、ただの風ではない。



身体を撫でた瞬間、肌が微かに震えた。

何かが宿った風。誰かの“存在”が込められた、意思ある気流。


陽翔は、手にした剣──アヴァロン=セラフィムに目を落とした。


白銀の刃が、静かに光を反射している。

戦闘を終えたばかりのはずなのに、その刃はまるで血や汚れを拒絶するように、神聖な静謐さを保っていた。



「セラフィム……お前か?」



語りかけるように、小さく声を漏らす。

剣から返る答えは──否。


否定の意志が、彼の心へと静かに流れ込んできた。

この風の主は、セラフィムではない。ならば──



「……なんだ、あんたか」



陽翔の口元に、僅かな微笑が浮かぶ。



「今回も、色々と助かった。ありがとう」



風は、答えない。ただ、静かに彼の髪を揺らし、背を撫でていく。


この“風”の正体を、陽翔は知っている。


名前も、存在も、誰にも語られることのない“何か”。

それはかつて失われ、今は陽翔と共にある無名の力。

彼だけが理解できる、世界に残された最も優しい痕跡──


風はやがて消える。だが、陽翔の中には残った。



「……哀れな世界でも、救う理由がある。お前がそう教えてくれた」



彼は再び前を向く。

戦いはまだ終わっていない。

けれど、たとえこの身が何度焼かれようとも、彼の心を守る風がある限り、陽翔は歩き続ける。


それが、世界でただ一つ、彼が信じているものだから。





「陽翔〜、行けるか〜!」



澄んだ空気を裂いて、聞き慣れた声が届いた。

男らしくもどこか飄々とした響きを帯びたその呼びかけに、陽翔は静かに顔を上げた。


距離にして──およそ百メートル。


瓦礫と煙がまだ立ち込める廃墟の向こう、わずかに開けた高台の上に、数人の影が見える。

その中で手を大きく振る男──刀根 朝日(とねあさひ)の姿がはっきりと見えた。


緩やかに吹く風が朝日たちのコートをはためかせている。


そこには傷や疲労の痕がありながらも、はっきりと“勝者”としての気配があった。



「……あっちも、無事終わってるようだな」



陽翔の口元が、わずかに緩む。

普段は表情に出さない男の、束の間の安堵。


仲間への信頼。


信じているから、背中を預けられる。

信じているからこそ、自分はこの戦場に集中できた。

だからこそ、今──こうして、生きて再会できたのだ。



「……助かったぜみんな」



小さく呟くように、誰にも聞こえない声でそう言った。


陽翔はアヴァロン=セラフィムを静かに解放し、肩の埃を払った。


そして、仲間たちの元へと足を向ける。



崩れた瓦礫の上を、乾いた音を立てながら陽翔のブーツが歩を進める。

風に吹かれた埃が舞い上がり、崩落したビルの隙間から差し込む光が戦場を静かに照らしていた。


彼の背筋は真っ直ぐだったが、その影には確かにいくつもの激戦の痕跡が揺れていた。

陽翔はゆっくりと、仲間のもとへと向かっていた。


やがて、約百メートル先から朝日の姿が見えた。


両手を腰に当て、陽翔を見るなり、にやりとした笑みを浮かべる。



「無事生還してるのに、随分と複雑そうな顔だな」



その軽口に、陽翔はほんの少し、口の端を緩めただけで、静かに息を吐いた。



「……あぁ。今後のことについて考えていた。C.O.V、O.S.、この世界にとっての正義……果たして“正解”なんてあるのかと、な」



言葉に滲んだのは、疑念ではなく“重責”だった。

誰よりも高みに立つ者にしか見えない景色が、陽翔の瞳に映っていた。


朝日はその表情を見て、ふっと小さく笑った。

そして、軽く肩を叩きながら言う。



「……これからのことは、これから考えようぜ。全部お前一人が背負い込む必要なんてねぇ。俺たちがいる」



陽翔は、それに対して多くは語らなかった。

けれど、静かに頷いたその仕草は、仲間への信頼と感謝を滲ませていた。


その時だった。

背後から、靴音が軽やかに響いてくる。



「──陽翔、三上は国家公安に引き渡した。一旦、国立病院に連れて行ってから、その後監禁されるらしいわ」


冷静で落ち着いた声。振り返ると、そこには弓と二本の刀を背負った凛がいた。

その姿には多くの傷や返り血が見受けられたが、どこか凛然とした気高さが漂っていた。


「……凛」


「無事で何より」


短く言って、凛は陽翔の隣に並ぶ。


その背には、無数の戦いの痕跡──そして、“信念”が刻まれていた。


彼女はあの後、朝日と合流し、たった二人で二百もの敵と交戦した。

背中を預け合い、幾度も死線を越えながら、互いの命を守り抜いた。



陽翔はそんな二人の姿を見て、ほんのわずかに目を細めた。



「……ありがとう。二人がいたから、俺はここで戦えた」



「礼なんていらない。私たちは“共に戦う”って決めたから、そうしてるだけよ」



凛の声には静かな意志が宿っていた。

その凛の隣で、朝日があくび混じりに言う。



「ま、正直クタクタだけどな。……それでも、無事で良かったよ、みんな」



陽翔は空を見上げた。


黒煙に霞んでいた空が徐々に青を取り戻しつつあった。


まだこの世界は、終わっていない。

だが、彼らの存在が確かに、それを守っている。



「行こう。ここは片付いた。次に進む準備を──」



その言葉に、凛と朝日は静かに頷いた。

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