変装の理由
祖国からの亡命を、クリーグに対して密かに申し出たザーヴェル貴族たちは、介護院に隣接して建設されていたサキュビーの私邸に、他のザーヴェル一般国民たちには気取られぬよう、静かに集められた。
広間に通された貴族たちは、哭鬼族のクレムによって、あらかじめ設えられた席に案内されていく。
その間、貴族たちは誰も互いに目を合わせようとはしなかった。
その態度は必ずしも他国に亡命を申し出たという、後ろめたい心情から発せられたものだけではない。
実は彼らの不自然な態度には別の理由がある。
順に貴族たちが入室していき、最後にサキュビーが違和感を持った若夫妻とその幼い娘が案内されると、広間の扉は閉じられた。
広間の上座にはクリーグ代表としてフリードリヒとヴィルヘルムが陣取り、各々の斜め後ろには、それぞれ蛇族のラムと家妖精のショコラが控えている。
広間横の壁際には、この館の主人である夢魔のサキュビーが歌姫のセイラ、クレム、そして月兎のルビィ三人を従え着席している。
若夫妻の間に小さく腰掛けた幼子も、重い空気を悟っているのであろうか、うつむきながらおとなしく着席している。
すると、全員をゆっくりと見渡すかのようなそぶりを見せた後、おもむろにフリードリヒが立ち上がり、両腕を広げながら口を開いた。
「皆様、クリーグへようこそ!」
予期せぬ歓迎の辞に全員がフリードリヒへと改めて注目した。
そんな彼ら彼女らの視線を受けながらも、精悍な若者は気持ちの良い笑顔を浮かべながら、こう続けた。
「私はヴィッテイル家の長子フリードリヒ。横の少年は我の従弟でもある、リューンベルク家のヴィルヘルムであります」
フリードリヒの自己紹介と同時に、各席から驚きと安堵を交えた小さなため息が、そこここで発せられた。
なぜならばフリードリヒが挙げた両家は、クリーグ上級貴族としてザーヴェル貴族にも広く知られている名家であるからだ。
しかしそうした彼らのどよめきを気に留めようともせず、フリードリヒはさらに続けていく。
「我々は初対面ゆえ、互いに互いを信ぜよとは申しませぬ。しかしながら皆様の御国が乱れていることは恐縮ながら事実であります。ならば、まずはここに同席された皆様同士が心を開きあうことが大事。我とヴィルヘルムは、そのお手伝いから始めましょう」
フリードリヒが何を言っているのかヴィルヘルムにはわからなかった。
しかし場の空気が一瞬張り詰めたことは理解できた。
ザーヴェルの亡命貴族たちは、無言でそれぞれに目配せをしあっているようにも見える。
まるで何かのタイミングを計っているかのように。
すると、意を決したように、若夫妻が立ち上がった。
「フリードリヒ様をはじめとする皆様のご厚意、ありがたく存じます。ならば、まずは我らから始めましょう」
夫の言葉に続けて妻が何かを呟いた。
すると、夫妻と幼子の三人は一瞬ぼんやりとした光に包まれていく。
次に続いたのは、亡命貴族たちからの驚きの声。
それは光にではなく、光の跡に姿を現した三人の姿に向けてだった。
「なんと皇太子殿下自らが亡命をなされるとは!」
それを合図とするかのように、亡命貴族たちも次々と淡い光に包まれ、その真なる姿を現していく。
そう、ザーヴェル貴族たちはひそかに亡命を成すために、全員が変装の魔法を使用し、その姿を変えていたのだ。
室内での淡い光がすべて止んだ後、皇太子と呼ばれた若者は改めてフリードリヒに頭を垂れた。
「ここまで変装の無礼をお見逃しいただいておりましたこと、改めて感謝いたします」
驚くヴィルヘルムとショコラを横目に、事前にサキュビーから事情を聴いていたフリードリヒは、何事もなかったように両手を左右に大きく開いた。
「改めて歓迎いたします。ザーヴェルの皆様!」
ザーヴェル貴族たちにとって、皇太子夫妻が亡命を求めていた事実は衝撃であった。
なぜなら彼は、狂ったとはいえ王の長子であるからだ。
一方で、彼らには当然別の野心も湧き出してくる。
なぜならこれまでの彼らは、当面の現実から逃げる立場であった。
しかし今ここには「王位継承権第一位の皇太子」が同席している。
しかも彼らと立場を同じくして。
さらにはクリーグのヴィッテイル家とリューンベルク家が、遠回しに後方支援をほのめかしているのだ。
皇太子の同席により、フリードリヒとヴィルヘルムが策を弄する必要もなく、ザーヴェル亡命貴族たちは、それぞれの脳裏に皇太子を擁立しての現王打倒を思い描いていった。
しかし、続く皇太子の言葉に彼らの思惑は一旦打ち砕かれてしまう。
皇太子はフリードリヒにこう申し出たのだ。
「私は妻と娘とともに、平穏に暮らしたいのです。どうか私たち家族をクリーグで受け入れてほしい」




