家妖精-守り続ける者- 前編
ヴィーネウスは、遺棄された城に一人で訪れていた。
この城は隣国との戦の際に堅牢な城砦としてその任を果たし、辺境の英雄として国内にその名を轟かせた貴族の一族が守っていた。
ところが、ある日この城はあっさりと滅ぼされることになる。
それも隣国からの攻撃ではなく、自国の少数種族による反乱によって。
辺境の英雄が課した、無謀ともいえる重税と労役に耐えかねた人々によって。
こうして平原族だった貴族は、少数種族たちに一族を惨殺され、その血を絶やすことになってしまう。
惨殺された中には、当然ながら無垢な赤子や、純真な少年少女たちも含まれていた。
その後、城を占拠した種族たちは、秩序という大義名分の元に、中央から派遣されてきた軍により、やはり全滅させられてしまうことになる。
城を様々な怨念が取り巻き、怨念同士が虚世で争いを続けている。
何の意味もなく永遠に。
そこから放たれる邪気のすさまじさにより、この城は国からも、そして相手国からさえも遺棄されてしまった。
「ちっ、想像以上に根深いな」
ヴィーネウスは舌打ちをしながら、自らに憑依しようとする邪霊らを祓い、彼を虚世に引きこもうとする霊鬼らを打ち砕いていく。
「ふん、屍竜人か」
ヴィーネウスの歩みは、彼の体躯を二周りをも上回る、直立するトカゲにも似たモンスターに遮られた。
ゾンビとは思えぬ俊敏な動きで、その腐肉をまき散らしながら、ゾンビドラグーンは手に持つ竜槍をヴィーネウスに突き出してくる。
ヴィーネウスは槍先を見切りながら破魔を唱えるが、ゾンビドラグーンは一瞬その動きを止めただけで、再び無言でヴィーネウスへの攻撃を再開してしまう。
「竜族お得意の魔法抵抗は、ゾンビに堕ちてもそのままという訳か」
ゾンビドラグーンは突きの度に腕や脚から肉を飛び散らせ、徐々に骨格を露わにしてくる。
気のせいか、肉の重みが減った分、突きの速度が速まっているようにも感じられる。
「流儀ではないのだがな」
普段は無口なヴィーネウスだが、さらに無口なゾンビが相手だと、つい独り言を口にしてしまうようだ。
続けて彼は武器創造を唱えると、呪文によって生み出された淡く白に輝く戦鉾を手に、ゾンビドラグーンに止めを刺すべく、構えを改めた。
さらに彼は城の深層へと進んでいく。
しばらくすると彼は最後の間に到達した。
扉を守っていたかのような霊鬼王をねじ伏せ、ほんの一瞬だけ正気に戻った彼の願いに頷いたヴィーネウスは、ゆっくりと扉を押し開けていった。
そこでは赤子の無垢な笑い声が、キャッキャと響いている。
ヴィーネウスの目にうっすらと映る白い影。
それは赤子を抱いた少女の姿。
彼女は薄く透ける赤子をあやしながらも、周囲を警戒し、赤子を守ろうとしている。
「おい」
ヴィーネウスは少女に呼びかけてみるも、返事はない。
ただ、彼女の警戒が増すだけ。
再びヴィーネウスは少女に向かって呼びかけた。
「おい、赤子の父親からの伝言だ。その子を天に解放してやってくれとな」
すると少女は疑うような表情でヴィーネウスに向かった。
「父親って誰?」
「確かヴィルヘルムとか言ったか? 扉の前を塞いでいたワイトキングの野郎だ」
しばらく無言が続く。
やがて少女は嗚咽を漏らしだす。
「約束だったから、ヴィルとの約束だったから……」
「ああ、お前はよく守った。さあ、もういいんだ。赤子を解放してやるから、こっちに来い」
少女は無言でヴィーネウスの元にゆっくりと歩み出すと、今はすやすやと寝息を立てている赤子の霊をゆっくりと彼に向けた。
それを受け、ヴィーネウスは赤子の額にやさしく右の掌をかざしてやると、安らかな眠りの呪文を唱えていく。
呪文に合わせ、赤子の姿は徐々に透明になっていく。
そうして最後のとき、一瞬赤子は瞳を開け、少女に向かってほほ笑えみかけたように見えた。
少なくともヴィーネウスには。
「なぜヴィルは部屋に入ってこなかったの?」
「生前に自身で仕掛けた対魔結界によって、自らが阻まれてしまったんだとよ。間抜けなことだ」
「あの子らしいわ」
少女は少しずつ笑顔を取り戻していく。
「ところであなたはここに何しに来たの?」
「お前を仕入れに来たのさ」
「仕入れ?」
「ああ、お前を買いに来た」
ヴィーネウスの余りにも突拍子もない返事に、少女は一瞬きょとんとし、続けて笑い出してしまう。
「私は家妖精よ。あなたはブラウニーを捕まえようというの?」
「誰も捕まえるなんて言ってやしないさ。もう一度言う。俺はお前を買いに来たんだ。高値で売り飛ばすためにな」
馬鹿げている。
人間がブラウニーを捕らえようなんて馬鹿げている。
でも。
でも……。
「そうね、売ってあげてもいいわ」
「そうか、いくらだ?」
「私には人間が使っている貨幣の価値なんかわからないもの」
ブラウニーの少女はいたずらっ子のような可愛らしい表情で笑いかけた。
「この城全てを浄化できるくらいの価値なら考えないこともないけれどね」
どう? と、意地悪そうな表情を作る少女。
しかしヴィーネウスのぶっきらぼうな返事により、それは驚きの表情に変わる。
「商談成立だ。ならばお前を銅貨一枚で買ってやるから、それで俺に浄化代を支払え」
続けてヴィーネウスは小さな銅貨を少女の掌に指ではじくと、その手を裏返して少女に掌を差し出した。
「ほら、早く俺に支払え」
「ふざけているの?」
「ふざけてはいないさ。サービス価格ってやつだよ。ほら、代金を払え」
そう言い放ちながら、ヴィーネウスは銅貨を少女の手から取り上げる。
続けてふいにヴィーネウスは少女を抱きかかえると、右肩に担ぎあげた。
「え?」
まさか人間に抱きかかえられてしまうとは思ってもみなかったブラウニーの少女は、一瞬体を硬直させてしまう。
そのとき、ヴィーネウスから伝わる気配によって、彼女は彼が何者なのかを悟った。
「ちょっと強烈なのを唱えるからな。ここで結界に入っていろ」
ヴィーネウスはそう少女にささやくと、少女を右肩に担ぎながら、左手を高々と空に掲げた。