黒蜥蜴-あがく者- 前編
乾いたノックの音がリズミカルに響き、続けて遠慮なく隠れ家の扉が開かれる。
「旦那はいるかい?」
「あ、サラ姐さんおかえりなさい! ヴィズさまなら団長と一緒にお出かけよ」
アリアの出迎えを受けながら、サラと呼ばれた小柄な女性は、これまた手慣れたしぐさでヴィーネウス宅のテーブルに自らの荷袋を背から降ろすと、その中から色々と取り出していく。
「旦那お気に入りの茶葉が手に入ったからね、お土産だよ。アリアにはこれもね」
と、女性はテーブルに瓶詰を二つ並べた。
「うわあ、イナゴの甘露煮だ、これ大好き! でも連射花火亭では人気がないんだよなあ」
「そうかいそうかい。まあ、人にはそれぞれ好みってものがあるからね。お前が好きならそれでいいんだよ」
そう諭すようにアリアに笑いかけながら、サラは改めて荷袋を背負い直した。
「姐さん、これからおかみさんのところに帰るの?」
「そうさ、色々と良いものが手に入ったしね」
「悪巧みも?」
「さてね」
いたずらっこのような笑みを浮かべるアリアにそう言い残すと、サラは右手を小さく振りながら、ヴィーネウスの隠れ家を後にした。
◇
それはある晩のできごと。
結婚したばかりの剣国岩窟族のダンカンと弓国森林族のビーネは、夜半までの食事を楽しみ、さあこれから明け方までは愛の巣で二人きりでさらにお楽しみですよとばかりに、夜の街を二人仲良く帰路についていた。
しかし浮かれていようとも、そこは生粋の戦士であるダンカン。
さらには守るべき者が隣にいるからであろう。
「む?」
彼の直感が闇の中に異常を捉えた。
「あなた」
五感に優れるビーネも、ダンカンの反応に呼応するかのように、空気の流れに違和感を感じた。
それは明らかな「殺気」である。
しかしそれは、恐らくは二人に向けられたものではない。
「ビーネ、気配は消せるな?」
ダンカンの確認に頷いたビーネを背に隠すようにすると、彼は殺気を放つ闇の後を、静かに追って行った。
殺気を放つ闇は、貴族街の通りで一旦立ち止まる。
「ん? あれは?」
王城へと続く道から、馬に乗った男が、カンテラをかざしながらこちらに向かってくる。
夜目のきくダンカンには、それが誰なのかすぐにわかった。
「ということは」
ダンカンは路地裏にビーネを隠すと、気配を消しながらゆっくりと闇に近づいていく。
闇はダンカンに気づくことなく、こちらに向かってくる馬の横に回り込もうとしている。
「お命頂戴!」
急に殺気の闇がはじけ、馬上の男性に何かが飛びかかった。
不意の攻撃に男性はとっさに身をかわそうとするも、飛び込んでくる影が突き出す短剣の切っ先が、すぐ目の前に迫ってくる。
ところが次の瞬間には、男性の前から切っ先が殺気ごと消えていた。
「なんじゃいこいつは?」
殺気の主に問答無用で横から飛びかかったダンカンは、そいつが握っている短剣を容赦なく叩き落とすと、改めてそいつを押さえこんだ。
「何だ貴様たちは!」
馬上の男が剣を抜き、押さえこまれた殺気と押さえこんでいるドワーフに剣を向ける。
「なんじゃ、クリーグの貴族は命の恩人に刃を向けるのか?」
小柄な族を押さえ込んでいるドワーフは、カンテラの明かりの中から髭面をのぞかせた。
「ん? 貴様は?」
「これはこれはログウェル卿。夜遅くまでお勤めご苦労さん」
馬上の男は、最近王家からクリーグ軍の統括を任された貴族だった。
一方、族に押さえこみをかけているのは、賞金稼ぎから傭兵団を立ち上げたばかりの、最近市井で評判の強者である。
二人とも、互いに顔は知っていたが、会話を交わすのはこれが初めてであった。
そうこうしているうちにビーネも路地裏から姿を現すと、夫の手を煩わせないかのように、賊を粛々と縛りあげて行った。
◇
ここは現場からほど近いログウェル卿の私室。
「刺客という訳か」
ログウェル卿の呟きに、一応は貴族であり軍の司令官たる男にも、髭もじゃの岩窟族は遠慮のない言葉を投げかけた。
「そりゃあ軍の司令官となれば、そんなもんは年中行事みたいなもんじゃろ?」
ドワーフのあまりにあけすけな物言いに思わず絶句してしまうログウェルの様子など構わずに、当たり前のようにダンカンの横に座っているビーネが、床に転がしてある娘の方を向きながら話を続けた。
「ところでログウェル様、その娘はどうなさるのですか?」
ちなみに娘には猿轡の他に、その首にはビーネが「束縛魔法」を施した麻紐が巻かれている。
もし、この娘が人族以外の変身能力を持つ種族だったとしても、バインドの効果によってその能力は封じられてしまう。
実はビーネにはこの娘の正体が既に分かっていたのだ。
だから彼女はこの場を何とかして切り抜け、この娘を助けようと、平然とした表情を取り繕いながらも、必死で頭を働かせていた。
「拷問で黒幕を掴めれば儲けものというところか」
ログウェルはつまらなそうに呟いた。
というのは、こうした刺客が口を割ることはほとんどないからだ。
かといって、残念ながらログウェルは、少女を痛めつけて性的欲求を満たすような趣味を持ち合わせてはいない。
「ならば、この娘を私にお任せいただけませんか?」
唐突なビーネの申し出に、ログウェルは当然として、ダンカンも目を剥いた。
「この娘に貴女が拷問を施すおつもりか?」
「ビーネ、そういうのはわしにやっておくれ」
ビーネはダンカンの左脇腹に無言で肘鉄を入れ、悶絶するダンカンを横目に、ログウェルに一言「お任せください」と微笑んだ。
ビーネはダンカンに娘を縛ったまま椅子に腰かけさせてもらうと、娘の口から猿轡を解いた。
「あなた、イエーグ北の蜥蜴族でしょ?」
「なぜわかる?」
「濡れるような黒髪に切れ長の目、縦長の瞳が蜥蜴族の特徴だもの。それにあなたが携えていた短剣はイエーグ奴隷兵士に与えられるものでしょ? イエーグの蜥蜴族といったら北の湖沼に住んでいる弓国蜥蜴しかいないわ」
ビーネの分析に蜥蜴娘は無言でうつ向いてしまった。
「あなたにログウェル卿暗殺を依頼したのは誰?」
この質問にも蜥蜴娘は当然のことながら、うつむいたままぴくりとも動かない。
ここでビーネは唐突に質問の内容を変えた。
「で、誰を人質に取られたの?」
その問いに蜥蜴娘は一瞬身をぴくりとさせてしまう。
「お前、このままじゃあ殺されるぞ?」
ダンカンからの言葉に、ようやくエルフの尋問から解放されたと安堵するかのような表情で、蜥蜴娘は吐き捨てた。
「いいから殺せ」
「いいわ、殺してあげる」
微笑みながらそう答えたビーネにダンカンがビビってしまう。
「おっかないこと言うな、ビーネ」
そんなダンカンに、ログウェル卿の前であるにも構わず、ビーネは甘えて見せた。
「ねえあなた、お願いがあるの」