紅髪淑女-仇討つ者- 後編
サキュビーが施設の浴場で塊から泥を洗い流すと、中から赤肌赤髪の小さなものが姿を現した。
最初こそ抵抗を見せた泥の塊ではあったが、既に体力の限界だったのか、朦朧としながら、サキュビーにされるがままとなっている。
「ほら、一丁上がりだよ」
頭の先から足先まで綺麗に洗い流された小さなものを、サキュビーはたっぷりのタオルで巻いてやる。
「ほう、炎紅髪か」
サキュビーに支えられ、ヴィーネウスの前によろよろと姿を現したのは、哭鬼族の娘。
「何だいその、クリムゾンレッドってのは?」
サキュビーの疑問にヴィーネウスは若干不思議そうな表情をしながら答えた。
「南のオウガ族さ。身体能力の高さは折り紙つきの連中だ。ただ、こいつらは閉鎖的でな。自ら村から出てくることなど、ほとんどないはずだが」
ここで自らの疑問によってヴィーネウスはあることを思い出した。
そういえばミリタントにも有名なクリムゾンレッドがいたな。
「で、レッドちゃん。お前はあそこで何をしていたんだい?」
サキュビーの問いに我に返ったのか、クリムゾンレッドの娘は、慌てて自らの小さな荷物をまさぐり、中に小さな袋が残っているのを確認すると、安堵の表情を見せた。
続けて彼女はすがるような目線でヴィーネウスとサキュビーを見つめながら、彼らに袋の中身を見せる。
それは一枚の魔法紙だった。
「なるほどね」
ヴィーネウスは不愉快そうに鼻を鳴らすと、この娘を自腹で購入することに決めた。
「娘、お前を金貨六十枚で買ってやる」
◇
それは数年後のこと。
チャンピオンは焦っていた。
何故ならば、ここ数十日の間に、己と同スタイルのグラップリングをこなす選手が現われたからだ。
しかも、巨躯だけが売り物で、お世辞にもイケメンとは言えないチャンピオンに対し、その選手は非常に魅力的だった。
燃え上がるような長髪を振り乱し、ある時は女帝のごとく相手を責めたて、またあるときは娼婦のごとくその身を相手に翻弄されてしまう。
そうして最後には得意の絞め技で勝利を掲げる。
そのファイトはクリーグの男性どもはおろか、女性たちをも魅了し、彼女の試合はプラチナチケットと化した。
相対的にチャンプの試合は集客力を落としてしまい、彼のファイトマネーにも影響が出るようになってしまったのだ。
あせった彼は強権を発動した。
目障りな「出る杭」を叩きつぶすために。
彼女のマネージャーはその申し出を断固として拒否しようとしたが、興業を司る王家の者がそれを認めた。
何より当事者である彼女自身が、それを望んだのだ。
こうして、タイトルマッチ「羅刹」対「紅髪淑女」がマッチメイクされたのである。
「おい、ラセツの野郎、今日は手加減なしだろ」
「あいつもプロだからな。きっと俺達にレディクリムゾンの肢体を堪能させてくれるさ」
「殺せー!」
「どっちも死ねー!」
「脱げー!」
「レディさま頑張ってー」
試合当日、闘技場は大盛り上がりとなっている。
その会場の片隅には、女衒と夢魔の姿も見えた。
「さて、どうなることやら」
「あら、あなたには確信があるのでしょ?」
「まあな」
そして試合開始。
ラセツはセオリー通り手四つの体制となり、レディクリムゾンの出方を見る。
ところが彼女はコーナーに控えたまま動かない。
「どうした、この期に及んでビビったのか?」
ラセツの挑発にレディクリムゾンはうっすらと笑みを浮かべた。
「いえね、やっとこの日が来たかと思うと、嬉しくてさ」
予想だにしなかった相手の反応にラセツは一瞬面食らう。
しかしそこはプロ。
挑発に乗るものかといった姿勢で、じわじわと彼女との距離を詰めていく。
今日はタイトルマッチ。
普段なら寸前で止める関節技も、今日は折るまで極めてしまえる。
普段なら寸前で止める絞め技も、今日は落ちるまで極めてしまえる。
まずはこいつを裸にひん剥いて、腕と一緒に心も折ってやろう。
にやりと笑うと、さらにラセツはレディクリムゾンとの距離を詰めていった。
◇
それは一方的だった。
徐々に距離を詰めていくラセツに対し、レディクリムゾンはいきなり飛びかかると、彼の頭に両手で掴みかかり、無防備な両目をあっという間に両手の親指で抉り抜いたのだ。
さらに彼女は勢いのまま、その牙をラセツの首筋に突き立て、一瞬のうちに強靭な顎でラセツの頸動脈を喰いちぎってしまう。
ラセツは両目と首筋から血流を噴き上げ、レディクリムゾンが突っ込む勢いのままにあおむけに倒れこんだ。
乱打されるゴング。
一瞬の静寂の後に暴徒と化す観客。
闘技場になだれ込む他の選手たち。
うろたえるだけのマネージャー。
こうしてレディクリムゾンは勝利したのである。
プログラップではなく、ただの殺人で。
◇
泥の塊となりながも、後にレディクリムゾンとなる少女が袋に入れて大事に抱えていたのは、一枚の手配書だった。
少女は鉱石の隊商に連れられ、都市の官憲所で村の惨劇について証言した。
そこで形式的に、村で殺人を犯した若者の手配書が作成されたのだ。
しかしその後、彼女は鉱石商人たちの手によって奴隷窟に売られてしまう。
だが彼女はそこからなんとか逃げ出した。
事件の証言時に入手した手配書を肌身離さずに携えながら。
復讐を成すために。
ラセツは彼女の仇。
しかし既に彼はクリーグの市民権を入手していた。
クリーグにおいては、当然のごとく他国の法よりも自国の法が優先される。
なのでやみくもに彼を討っても、彼女が捕えられるだけ。
しかしヴィーネウスは知っていた。
合法的にラセツを葬る方法があることを。
その後の数年、彼女は文字通り血の吐く思いをした。
彼女は女としての羞恥を捨て、同時に女としての魅力を磨いた。
グラップリングにおける、いわゆる魅せる技も磨いた。
同時に、禁忌とされる殺しの技も。
ラセツを含め、誰もタイトルマッチがこんな殺し合い、いや、一方的な殺戮になるとは考えもしていなかった。
なぜなら、こんな方法でチャンプとなれば、次のタイトルマッチで同じ目に遭うのは自分だからだ。
誰も気づかなかった。
それがプログラップの中で、いつの間にか暗黙の了解と化してしまっていたことに。
しかし彼女は平気なものである。
何故なら彼女は、この試合を最後に引退してしまったからだ。
「で、賭けでいくら儲けたの?」
「ざっと金貨六百枚というところか。まずまずだな」
「おめでとう。それじゃ約束通り、彼女は私が貰って行くわよ」
「ああ、任せた」
そう頷くと、ヴィーネウスはレディクリムゾンの納税証を、サキュビーに手渡した。
◇
「クレム、五号室のお爺さんに湯あみを頼める?」
「わかりました院長」
そう返事をすると、彼女はしなやかな筋肉に包まれた腕で、五号室の爺さんをやさしく抱っこしてあげる。
彼女の身を包むのは、可愛らしい桃色の看護師服。
お姫様だっこならぬ、お爺さんだっこをされた爺さんは、浴場までの廊下をクレムの腕の中で揺られながら、看護師服越しに彼女の豊かな胸の感触を堪能していやがる。
「わし、死んでもいいかも」
「ならば今夜にでも、キスをしてあげましょうか?」
爺さんのたわごとに困惑するクレムの代わりに、サキュビーが爺さんに釘を刺す。
「今のやっぱ無し」
これが最近の光景となっている。
ここは終末の楽園。
オウガ族のクレムが最初に拾われた施設。
プログラップを引退した彼女は、この場所で、看護師として第二の人生をスタートさせた。
「クレム」という、彼女を最後まで守ってくれた両親が与えてくれた名前を名乗り。
鬼とは思えぬ穏やかな表情で。




