何故、自分で自分の心を追い詰める人がいるのかの考察
最近、ニュースを見ると『イジメを苦に自殺した』という人をよく見かける。
京都アニメーションへの放火や大阪の精神科病院への放火、コンビニの立て籠もり事件に秋葉原での通り魔事件、等々……『人生自棄になって大勢を道連れにしようと思った』という理由で大事件を起こしたという人も数多い。
はっきり言ってしまうと、僕はこういう人達の思考が理解できない。
学校や職場で辛い事や苦しい事があったからと言って、もしくは人生が自分の思い通りに行かないからと言って、見知らぬ大勢の人達に迷惑をかけていい理由になどならないし、死んだところで問題の解決になどならないからだ。
どうして辛い事や苦しい事をいつまでも気にして、溜め込んでしまうのか?
それがどうしても理解できない。
学校や職場でどんなに辛いことや苦しい事、悲しい事が起きたとしても、家に帰って、風呂に入って飯食って寝れば、次の日にはどうでも良くなる。
少なくとも僕はそう信じているし、そのように実践している。
熱い風呂に浸かって汗と疲れを洗い流し、
美味しいご飯を食べて明日の為のエネルギーを補給し、
柔らかな布団で眠って英気を養う。
これが一番手っ取り早く、そしてお金もさほど掛からない『誰にでもできるリフレッシュ法』なのだ。
だというのに、世の中にはそれを実践せずに、ストレスや心の痛みを溜め込んで自分で自分の心を追い詰める人が大勢いる。
そしてそのような人々は、最終的に自分の心に溜まったストレスや痛みに耐えられず……社会的または生物学的に破滅を迎えて、ニュースを騒がせる事になるのだ。
どうしてそうなってしまうのか、僕にはどうしても理解できない。
何故、自殺や事件を起こす程に精神的に追い詰められてしまった人々は、風呂入って飯食って寝て、疲れや苦しみをリセットしてリフレッシュしないのか?というか、できないのだろうか?
ある時、この長年の疑問を母に質問すると、母はこう答えた。
「美味しい物を食べてないんだよ」
「そういう人達は、家に帰っても一人で、冷たいコンビニ弁当食べてるんだよ」
と。
確かに、そう考えればなんとなく納得できた。
コンビニの弁当が美味いか不味いかは一先ず置いておくとして、一人きりの部屋で冷たい食事ばかりしていたら、そりゃあネガティブな気持ちにしかならないだろう。
かつて少年ジャンプで連載されていた漫画『トリコ』の主人公は言った。
「美味い物は皆で食うから美味いんだ」と。
家の母とだいたい同じ意見だ。
僕は客観的に見て、恵まれている部類だ。
家に帰れば母が夕飯を用意して待っててくれているし、職場の同僚や友人との仲も良好。
何か相談したいことがあれば、母や職場の上司、通院している精神科の主治医の先生が聞いてくれるし、アドバイスもくれる。
しかし、世の中全ての人がそうだとは限らない。
一人暮らしの人もいるだろう。
両親が共働きで帰りが遅い人もいるだろう。
友人がおらず、職場の同僚や学校のクラスメイトと打ち解けられない人だっているだろう。
そんな人達からしてみれば、
暖かいお風呂に浸かっても、心は温まらないだろう。
どんなに高級な食材や珍味を使った極上の料理を食べても、心は満たされないだろう。
柔らかな布団にくるまって寝ても、不安と心細さしか感じないのだろう……。
しかしだからといって、『=(イコール)自殺や事件を起こしてもいい』かは別問題だとは思うが。
僕が実践している『風呂入って飯食って寝る』は、あくまでも基礎的というか基本的なリフレッシュ法だ。
もしこれでリフレッシュできないのであらば、同じく簡単で誰にでもできるリフレッシュ法がいくつか存在する。
1つは『熱中できる趣味を見つけるor作る』こと。
僕の場合は『読書』と『映画鑑賞』と『創作活動』の3つがそれに当たる。
この3つの共通点は『熱中している間は厳しい現実を忘れて、物語の世界に逃避できる』という点である。
2つ目は『仲良くできる友人を探す』こと。
特に趣味が同じ相手なら、会話も遊びも楽しく盛り上がるだろう。
そして、最後の3つ目は『主治医やカウンセラーを見つけて、話をする』こと。
つらい気持ちを抱え込んでいては、いつまでも心はネガティブなままだ。
いっそ、自分以外の人に思いっきり打ち明けられれば、少しは楽になるだろう。
最後にこれを読んでいる読者の方々に一言。
人生は辛くて苦しい事もたくさんあるけれど、楽しくて嬉しい事も同じくらいたくさんあるんだ。
どんなに生きる事がつらく感じられたとして、死ぬ事を選んだり自棄を起こして警察のお世話なるような事を行ったりする事だけは止めてほしい。
自分のためだけではなく、家族や友人、見知らぬ大勢の人のためでもあるから。
(了)
感想よろしくお願いいたします。