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人と魔のツァラネイン  作者: 立川みどり
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名裁判

    6 名裁判


 都に戻ると、残された赤子がいずれの子かをめぐって、王国の裁判を司る公爵の裁きを受けることとなった。

「両親ともに、自分の子か否か区別がつかぬのだな?」

 公爵がたずねると、アオラとサオラが口々に申し立てる。

「わたしの子です」

「いいえ、わたしの子です」

 公爵はため息をつくと、それぞれの夫をふり返った。

「父親たるそちたちにも区別がつかぬのだな?」

「はい」

 夫たちは困ったように答えた。

「息子と甥はそっくりでして……」

「赤子のほうはどうだ? 父親であれば甘え、父親でなければ人見知りするのではないか?」

「それが……」

 夫たちは赤くなった。

「この子はわたしを見て泣くのです。けれども、息子かもしれません。わたしは、妻が実家に帰る何週間も前から、ずっと所領の村に出かけておりました。赤子のことゆえ、そのあいだに父親の顔を見忘れたのかもしれません」

 アオラの夫の騎士が言うと、サオラの夫の商人も言う。

「わたしもしょっちゅう商用で出かけておりまして……。何日か家にいて赤子の相手をしましても、顔を覚えられるころにまた出かけなければなりません。帰ってくるころには、また忘れられています。いつもその繰り返しでして……」

「うーむ。では、赤子の祖父母はどうなのだ。祖父母の顔を覚えておらぬのか」

 公爵は、まず、騎士の両親をふり向いた。アオラの舅は公爵の腹心の部下である。つねに公平を期さねばならぬ公爵ではあるが、内心、赤子が部下の孫であればよいのにと思っていた。

 忠実な騎士は主君の問いに目を伏せた。

「孫はもともと、それがしにはあまりなついておりませんでした。それがしも息子同様、留守がちでありますゆえ」

「わたくしにもあまりなついておりませんでした」

 騎士の妻も言う。

 彼女が厳格と評判の貴婦人であることを、公爵は思いだした。名家の出身であることを誇りにし、平民出身の嫁にときどき不満をこぼしていることも。

 なれば、孫に甘い祖母ではなく、あまり身近に接してはいなかったのだろうと、公爵は納得し、サオラの舅と姑と義妹のほうをふり向いた。

「そちたちはどうだ」

「へえ、あっしも息子と同じで、しょっちゅう留守にしておりますもので……。いまだ、孫に、顔を覚えられてはおりませんでして」

 舅が言うと、姑と義妹もうなずく。

「わたくしも、主人ほどではありませんが、それほど孫に親しく接してはおりません。なにしろ、商売が忙しいうえ、娘の嫁入りのほうに時間をとられてしまっておりまして」

「わたしも、抱いたりあやしたりしたことは二度ほどしかありません。なにしろ、ツァラネインが生まれてまもないころに結婚して、家を出ましたもので。わたしの顔を覚えていないと思いますわ」

 両家の人々の話に、公爵は、困ったと思う一方で、内心わくわくしていた。

 似たような裁判の話を、公爵は知っている。状況はかなり違うが、やはりひとりの赤子をふたりの母親が争ったとき、裁きの場でどちらの赤子か見破った古代の賢王の伝説だ。

 母親ふたりの訴えを耳にしたときから、公爵は、伝説の裁判のことを考えていた。

 伝説の賢王と同じようにして、赤子がいずれの母親の子かみごと看破できたら、後々まで賢公と誉めたたえられるにちがいない。

 公爵の期待は、両家の家人の話を聞くうちにますます高まった。

 ひとりの赤子を奪い合うふたりの母親。おそらくいずれかが偽りを申し立てているのであろうが、家人にも判別がつかぬ。

 家人たちもが自分の家の赤子だと申し立てているのであれば、賢王の裁きを試みるわけにはいかないところであった。もしも、公爵の臣下たる騎士父子が偽りを述べていたということになりでもすれば、公爵の威信にかかわるゆえ。

 だが、自分の子だと主張するのが母親たちだけなら、たとえどちらの赤子であっても、偽証の不名誉に問われるのは若い母親ひとり。両家の家名にも公爵の威信にも傷はつかぬ。

 安心した公爵は、伝説の賢王とまったく同じ言葉を述べた。

「では、母親ふたりに公平になるよう判決を下そう。赤子をふたつに裂き、右半分をアオラが、左半分をサオラが取るがよい」

 あまりの判決に、一同は驚いて公爵を見つめた。しばしの沈黙ののち、アオラとサオラが口々に叫んだ。

「おやめください、そんなむごいこと。 赤子はサオラの子としてかまいません。ですから、どうぞそれだけはお許しください」

「後生です。赤子はアオラの子としてかまいません。ですから、どうぞそれだけは……」

 ふたりが泣き叫べば、彼女たちの夫や両家の親族、裁きの場に居合わせた家臣たちまでもが口々に赤子の命乞いをする。平然としているのは、賢王の裁判の伝説を知る幾人かの家臣のみであった。

 公爵はうろたえた。

 伝説では、一方の母親が赤子の命乞いをし、もう一方の母親が赤子をふたつに裂くことに同意する。実の母なら赤子を殺すことに堪えられようはずがないというので、賢王は、命乞いをした母親が赤子の真の母親であると見抜く。

 今回の裁判でも、公爵は、てっきり伝説のとおりにことが運ぶと思っていた。それなのに、これでは、まるで両方が実の母のようではないか。

 名裁きとうたわれるはずが、血も涙もないむごい裁きと非難されそうななりゆきに、公爵はあせった。

「今のは正式な判決ではない。赤子の母親ふたりを試したのだ」

 皆のざわめきが静まり、公爵は落ち着きを取り戻した。

「母親の一方が虚偽の申し立てをしているのではないかと疑ったゆえ、敢えて試すようなことを言ったのだ。だが、母親ふたりはいずれも偽りを申しているのではなく、赤子がわが子だと信じているのだとよくわかった」

 家臣一同は公爵の知恵に感心して見せたが、アオラとサオラは憤然と地面をにらみつけた。

 公爵は、もしも赤子がわが子ではなく甥であれば、平然と見殺しにできるとでも思ったのだろうか?

 そんなばかなことがあるものか!

 甥であっても《魔物さん》の名から生まれた子。しかも、自分の分身同然の姉妹が生んだ子供。仮に姉妹と人間の夫とのあいだにできた子供だったとしても、甥であれば見殺しになどできないだろう。

 その思いはふたごの片割れとて同じだと、アオラもサオラもよくわかっていた。

(公爵さまは人を何だと思っておられるのか?)

 内心で憤慨したが、公爵に向かってあからさまに怒りをあらわすわけにもいかぬ。

 姉妹はかろうじて怒りを抑え、公爵に訴え出たことを半ば後悔しながら顔を上げた。

 公爵は言葉をつづけた。

「この子がどちらの子であるのかは、もうひとりの赤子をさらった犯人を捕まえぬかぎりわからぬ。ゆえに、それまでこの子を両家の共有の子としてはどうだろう?」

 公爵の提案に、両家からいっせいに不満の声が上がった。

「恐れながら、殿」

 最初に異議を申し立てたのは、アオラの舅であった。

「犯人が見つからず、この子が成人してもどちらの子かわからなければ、どうなりましょうや?」

「その場合は、そのまま共有の子とするしかなかろう」

「長子でなければそれもよろしゅうございましょうが、この子がわが孫であれば、跡取り息子の長子ゆえ、いずれは跡取りになります。跡取りを他家と共有するわけにはいきませぬ。逆に、もし、この子がわが孫でなく嫁の甥であるなら……わが一門の血を引かぬ者を跡取りにはできませぬ。まして平民の子を……」

 つい口をすべらせた騎士の言葉に、サオラの舅は腹を立て、半ば売り言葉に買い言葉でまくし立てた。

「殿さま。あっしの財産は、息子のため、孫のためにと心血注いで貯めてまいったものでございやす。どのような高貴の血を引いておろうが、あっしや息子の血を引かぬ者に財を継がせるわけにはいきません」

「つまり、ふたりとも、孫と認めるわけにはいかぬと申すのだな」

 舅たちが肯定するのを聞き、アオラとサオラはその冷淡さに唇をかみしめて、それぞれの夫のほうを見た。あなたはお義父さまのように冷たいことは言わないでしょうね、と言いたげに。

 夫たちはたじろいだ。わが子ではないかもしれぬ子を跡取りにはできないとは思ったが、最愛の妻を怒らせたくも、悲しませたくもない。それに、わが子であるかもしれぬ子に冷たい仕打ちをしたくもなかった。

 それで、おずおずと公爵に訴えた。

「この子はわが子ではないかもしれませぬゆえ、跡取りと認めるわけにはいきません。わたしが認めても一族が同意しますまいから。それに、このさき妻がまた男児を生むこともありましょうから、やはり確実にわが子とわかっている子を跡取りにしたいと思います。けれども、この子もわが子であるかもしれませぬゆえ、縁を断つ気にもなれませぬ」

「わたしも、跡取りには確実にわが子とわかる子をと望んでおりますが、この子も不幸な境遇にはさせたくありません。たとえわが子でなかったとしても、妻の甥にあたるわけですから」

 困り果てた公爵は、裁判を翌日に延期すると宣言した。


 その夜、公爵は、賢女と名高い奥方に世にもまれな裁判のことを相談した。

「かんたんではありませんか」

 話を聞いた公爵夫人は即座に答えた。

「母親ふたりはその子をわが子と思い、父親はそうは思っておらぬのでしょう? ならば、赤子は父親を持たず、母親をふたり持つこととなせばよろしいのです」

 意表をつく助言に、公爵はあっけにとられた。

「つまり、妻の連れ子と同じ扱いか? 相続権を与える必要はないが、養育の義務はあると?」

「まあ、そのようなものですわね」

「だが、それなら赤子はどちらの家で育つことになるのだ? 両家に交代で育てさせるのか。一年交代とか?」

「それは子供にとって不幸ですわ。もっと成長してからならともかく」

「では、どうすればよい?」

「母親ふたりで育てればよいのです。両家とも、妻とその息子のために共同で家を一軒構えるぐらいの財力はあるのですもの」

「だが……だが、母親ふたりはそれぞれの家の嫁なのだぞ」

「かまわないではありませんか。母親はふたりいるのですもの。交代で夫の家に戻ればよいのです。どうせ、どちらの夫も留守がちなのでしょう? それなら、彼女たちが婚家に帰るのは、夫のいるときだけでよいではありませんか」

「それはそうだが、しかし……」

「赤子のためにはそれが最善です。父親には養育費だけ出させればよいのです。子供の側にすれば、自分をわが子と認めぬ父親を父と慕う義理はないのですもの」

 奥方の言葉には怒りが含まれている。怒りの理由は奥方の過去にあった。

 いまでこそ賢女と夫にいちもく置かれて重んじられている奥方だが、かつては不幸だった。公爵家に嫁いできたばかりのころには舅や姑に冷たく扱われ、最初の子を産んで数年間は、子供が夫に似ておらぬと責め立てられた。夫でさえも、妻をかばうどころか、妻に疑いの目を向けたのだ。

 子供が長ずるにつれて夫に似てくると、公爵夫人の名誉は回復されたが、その間の恨みと悲しみを彼女はいまだ忘れてはいなかった。公爵はすっかり忘れていたが。

「うーむ、それは名案かもしれぬな」

 妻の言葉に含まれる刺には気づかず、公爵は、妻の知恵に感心した。


 翌日、公爵は、妻の助言通り、赤子をふたりの母親の子とし、父親かもしれぬ騎士と商人を赤子の後見人に指名した。むろん、いまひとりの赤子が見つけだされ、どちらがどちらの子かわかるまでの措置である。

 前代未聞の裁定に一同は驚いたが、すぐに名裁きと感心した。

 ふたりの夫とその親族は、妻が家の外に居場所を持つことに不服そうだったが、もとはといえば、自分たちが赤子を跡取りと認めなかったがゆえの判決だ。ほかに名案がない以上、この判決に異議をとなえるべくもない。

 公爵の裁決をだれよりも喜んだのは、アオラとサオラであった。赤子をわが子と認められたうえに仲たがいせずにすんだ姉妹は、一時は腹を立てた公爵を見直し、深く感謝した。

 赤子の後見人となった夫たちは、話し合ったうえ、どちらの家からもそう遠くない場所に共同で家を買い、それぞれの妻に贈った。

 豪奢ではないがこざっぱりした家に、姉妹と赤子のツァラネインとで三人の生活は、姉妹にとっては、まるで娘時代に帰ったよう。むろん、魔物に連れ去られた赤子のことは気がかりだったが、もはや《魔物さん》を恨んではおらぬ。

 姉妹は信じていた。連れ去られた甥は《魔物さん》が大切に育ててくれるだろうと。ゆえに、姉妹は幸福だった。嫁いでからはじめてと言ってよいほどに。



この話はここでおしまいです。じつはこの赤子たちが少年になった子世代編も途中まで書いてはいるのですが、それはまた別の話なので。

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