雄ふたり
俺は猫である。名前はレオだ。歳は……知らない。月日が経つのは早いもので、自分の歳なんかいちいち気にしていられない。
俺は人間に飼われている。気付いたら人間たちに囲まれて暮らしていた。親の顔は覚えていない。
「レオ、ご飯入れたよー」
時刻は午後七時。今日も俺を呼ぶのは、のりだ。結構からだがでかい雄だ。
別に好き好んで雄に飼われているわけではない。
俺の筆頭飼い主であったあいは、突然いなくなってしまった。つい三日前の話だ。
のりが唐突に俺を引っ掴み、外へ出た。俺は外に出るのが苦手なので、のりにしがみついたままだ、離れられなかった。
「あい、目を開けろよ!」
彼の大声で我に帰ると、そこにはあいが居た。確かに目を閉じているが、「うあー眠いぞー寝るぞー」と、いつものように眠っているだけじゃないのか?
「あい……あい……」
名前を呼びながら泣くのり。俺の顔に滴が何粒も振りかかる。
流石に俺もおかしいと思い、前足を伸ばしておそるおそる触れてみた。普段から熱がない俺の肉球よりも、ずっとずっと冷たかった。
「お、おい、どうしたんだよ一体……!」
俺は訳もわからずに叫んだ。のりは泣くばかりで何も言わない。
「なぁのり、あいはどうしちまったんだよ? なぁ? 教えろよ!」
周りに助けを求めようと、顔を上げてあたりを見渡したものの、白い壁で囲まれた部屋には、あいとのりと俺しか居なかった。
「俺たち、ずっと一緒に居るんじゃなかったのかよ……そうだろ? おい、レオもなんとか言えよ!」
座っていた椅子を蹴って立ち上がり、何を言うかと思えば、そんなこと。俺だってよくわかってないのに!
「お前あいの彼氏なんだろ! お前がなんとかしろよ!」
俺の視界も霞んできた。雄ふたりで何やってるんだまったく、と表向きは呆れつつも、涙が止まらない。
あれ、猫って泣くんだっけ。目やにがたまってるんかなぁ?
「うわぁぁぁっ!」
突然叫んで、部屋を飛び出すのり。慌てて追い掛ける。 やばい。自暴自棄になるな!
「待て! のり、止まれよ!」
建物を出たところで、俺はのりに追いついた。猫の脚力をなめるなよ。
何をしようとしているのかはわかる。止めなければいけないってことも。
後ろから肩にひっついて、無我夢中で爪を立てる。がりがりがりがり。
「いてぇ! やめろレオ! 止めるな!」
「止めないわけないだろ! 落ち着け!」
俺は必死に引っ掻き続けた。
それに負けたのか、単に気力がなくなったのか、のりは地面に膝をついた。
「そうだよな、俺にはお前が必要で、お前には俺が必要だもんな」
そうだ。俺の世話係、ちゃんとやれよ。
かりかりかりかり……かりかりかりかり……俺は腎臓病用の猫飯を食べる。毎月あいと一緒に変な匂いのするところに行って、からだをやたら触られて、この猫飯と黒い粉をもらう。
その黒い粉、これがもう不味くて嫌で仕方ない。でもこんな歳にもなって食べ物を残すのはどうかと。まぐろの缶詰をのっけてもらって、ひたすら咀嚼する。
俺の病気に効くらしい薬だそうだ。だが不味いものは不味い。味わったら負け。
あいがいなくなってからも、のりが出してくるので、ひたすら咀嚼する。いつもと変わらない日常。
俺の隣にも、のりの隣にも、あいは居ない。これは非日常。慣れるまでに時間がかかりそうだ。
悲しみに打ちひしがれるといった雰囲気で居るのりに、猫パンチを食らわせてみた。
「うわっ、何すんだよ」
「いつまでもしょぼくれてるからだよっ」ともういっちょ猫パンチ。
「……いってぇなぁ」
俺がからかっているのがわかったのか、一瞬笑ったものの、すぐに表情が翳る。
「ったく、しゃぁねぇなぁー」
あいにしていたように、後足をバネにして、のりに飛びついた、そのとき。
ぴきっ
俺のからだの中で、音がした。
結局のりに飛びつくことはできず、俺はずるっと落ちた。それはいい。が。
「レオ? おい、大丈夫かよ?!」
うわ、痛い。なんか痛い。どこが痛いのかわからないが、とりあえず痛い。
「レオ! お前まで死ぬなよ! 俺を一人にしないでくれ……」
死ぬ? 俺、死ぬのか?
「ご、めん、まじで、痛すぎるぜ……」
俺は目を閉じるしかなかった。
再び目を開けると、そこにはあいが居た。
「ちょっと、なんでレオがここにいるわけ?」と不思議そうな顔で、俺の頭をくしゃっと撫でる。
「いや、俺にもよくわかんないんだけど……」
最愛の雌に会えたのに、戸惑いで言葉が出てこない。困った。
「おーい、レオ! 早くこっち戻って来いよ!」
遠くで俺を呼ぶ声がする。……のりか?
「のりが呼んでるってことは、まだ間に合うよ。早く行きな」
あいは俺から距離を取る。嫌だ。やっと会えたのに。離れたくない。
「俺はあいと一緒がいいんだよ!」
「だめ。レオは、のりと生きて」
……「生きて」? ってことは、俺死にそうなのか? でもあいがいない猫生なんて……。
「大丈夫。私はいつでもレオを見下ろしてるから♪」
「なんかそれ、すごい上から目線だな!」
「だって実際上にいるんだもん」
「そうだけど……あぁもうわかったよ、行きゃぁいいんだろ、行きゃぁ」
「そうそう。レオならきっと大丈夫だよ。のりのこと、よろしくねっ☆」
ぱちっ、とウィンクをするあい。あれ、こんな可愛いキャラだったっけ。違うよなぁ?
「じゃぁね」とあいが手を振る。
俺は「にゃぁ」とだけ返して、のりのもとへ駆けだした。
「ふにゃぁ」
眩しくて、思わず情けない声を上げてしまった。
「レオ! よかった! 助かった!」
のりが、俺の顔を思いっきり頬ずりする。やめろ。雄には興味ない……。
あ、変な匂いがすると思ったら、いつもあいと来ていたところだ。いつも俺のからだを触りまくる人間が、俺を見て笑顔になった。
「レオ君、ちょっと脚つっただけみたいですね。命に別状はないので、ご安心を」
ぽかーんとするのり。俺も上に同じ。
「なんだ、お前つっただけかよー。ったく、心配させやがって」
「俺もびっくりだよ……はぁー」
だとしたら、あれは夢だったのだろうか。あいは確かに俺の頭を撫でていた。感触はあったんだけどなぁ。
「ほれ、行くぞ」
のりに抱えられて家に帰ると、お腹が鳴った。
「レオ、ご飯入れたよー」
時刻は午後七時。今日も俺を呼ぶのは、のりだ。あいではない。
「はぁ、もう黒い粉やだよ……あい、なんとかしてくれよー」
ぼそっと呟いた。
くすっ、と誰かが笑った声がした。 終