五十五話 洗脳
ハインリヒ領がベル王国を侵犯する23時間前。
名将ハンニボル・ルールは、同盟締結の相談をする為ハインリヒ領へと向かった。
一人でこの大国に出向けるほど、このハンニボル・ルールという男は強かった。その圧倒的な判断力に、詳細な能力までは知れ渡っていないが攻守共に最強と呼ばれる程の技術を持ち合わせているからである。
そして何より、領主のハインリヒ・オリジンは人を裏切るような事はしないという絶対的信頼がある為でもある。しかし、それが裏目に出るのだった。
ハインリヒ領の関所に到着すると、いつも通りの雰囲気。愛想の良い役人たちが緩い入国審査を行っている。特に手前で高笑いをしている強面で無精髭な男、ベグとハンニボルは仲が良い。
「おー、ハンニボル様、お久しぶりです!」
ハンニボルに気付いた瞬間、嬉しそうに声をかけてくる。
「久しいなベグ。息災であったか?」
ハンニボルも少し口角を緩ませて応える。
「はい。相変わらず結婚は出来そうにありませんがね。ガハハハハッ!」
「前言っていた婚約者はどうなったのだ?また逃げられたのか?」
「え?何のことです?」
「なぬっ?とても良い女性を見つけたと言っていたではないか。何の冗談かね」
「うーん…モテすぎて女一人のことなんて覚えてないのかもしれませんな。ガハハッ」
「まったく…」
「帰りも瞬間移動なんて使わずに通ってくださいな!お待ちしておりますぞ!」
呆れながら手を振り返すが、内心彼は動揺していた。
(あれだけ熱心な顔をしていたのに…本当に忘れたのか…?)
関所を通るとすぐ近くに来客用の小さな城がある。
ハンニボルが近付くと、護衛の兵士は鍵を開け、頭を下げてから去って行った。
城に入るとすぐに、オリジンが出迎えてくれた。
奥の扉の向こうに客室があるようだ。隣にはグレイもいたが、2人とも普段より表情が硬い。
「…久しぶりだな、ハンニボル」
「ああ、そうだな。久しくなる」
どちらが始めるでもなく握手をするハンニボルとオリジン。
「瞳の色が変わったのは何かの技術か?全く、くだらん技術を習得しおって」
「くだらなくはない!これはカムイ様の!」
唐突に激昂するオリジン。オリジンが冷静さを失う様子すら見た事のなかったハンニボルは驚くと共に、心当たりのない名前が上がった事で困惑している。
「ど、どうしたのだ。失礼な事を言ったのなら今すぐ謝罪する。しかし、そのカムイ殿というのは…」
「…」
黙り込むオリジンに対して、痺れを切らしたように口を開くのは、グレイ。
「ハンニボル殿。我らは新たな王を迎え、大帝国へと生まれ変わります。あなたにはそのお力添えを頂きたい!」
相変わらず状況が読めないハンニボル。王になりそうな人物に、全く心当たりがなかったからだ。
しかし、オリジンも同様に焦る様子を見せる。
「グレイ、気持ちは分かるが抑えろといっただろう!」
「しかし!」
グレイは真っ向から反論を試みる。
「騙して勝とうなど許された事ではありません。堂々と戦うか、対話で解決させるべきです」
そして、奥にある扉の向こうへと呼びかける。
「カムイ様!ここはカムイ様自らがハンニボル殿とお話されてはいかがでしょうか!」
その瞬間、奥の扉が力強く開かれる。
「グレイ、貴様!俺の作戦を全て台無しにしおって!貴様は本当に洗脳が効いているのか!」
勢いよく入ってきてそう叫んだその男は、その言葉の直後何かに気付き口が滑った、と小声で一言。
しかしハンニボルの聴覚は技術と無関係にたいへん優れている。この男、カムイを敵と見なしたハンニボルは、『洗脳』という言葉にひどく戸惑いながらも、反射的に攻撃を仕掛けようとする。
「"火焔放射"」
しかし、カムイの前にはオリジンが立ち塞がる。
「"技術破壊"」
そして、火焔放射はオリジンの技術に吸い取られた。
「火焔放射…なぜ発動しない!」
ハンニボルにはただ技術が吸い取られただけに見えたが、実際は固有技術が破壊されてこれ以上使えないのだ。
「なぜだ!?クソっ、"絶対障壁"!」
他の技術はとりあえず発動したので、今起きている状況を必死に理解しようとするハンニボル。
そしてすぐに、カムイがグレイの頭部を掴んで何かをしている事に気付く。全神経の3割を目の色がより一層暗くなったグレイに向けると。
「申し訳ない。"概念無効化 《障壁》"」
と、そう口にしたのが聞こえた。
余計に理解が追いつかなくなったものの、障壁は破られることなど有り得ないため状況の俯瞰を最優先する。
(オリジンの攻撃を受けて火焔放射が使えなくなった…なぜかは分からないがそれは事実。そこで攻撃手段をこの技術に依存していた俺は他に大した攻撃が出来ず、しかし絶対障壁という絶対的防御が残っている。だが先程グレイが発動させた技術には確実に意味がある。だからこそ俺は早急にこの場を立ち去る必要があるのだ)
即この場を立ち去ろうとするハンニボルだったが。
「"氷結"」
障壁の周囲が一気に氷と化してしまう。それが入口に立っているギギル・アショーカの技術であると認識した頃には、ハンニボルは既に障壁に熱を送り込む事で氷に対処し始めていた。
そして突如、ハンニボルの絶対障壁が消えた(・・・)。
「!?」
困惑するハンニボルに対し、ギギルは間髪入れずに襲いかかる。
「"氷檻"」
ハンニボルは狭い氷に囲まれる形で閉じ込められ、動きを制限される。
「これで彼は身動きが取れません。この檻は技術の効果を弱める上、寒さが彼を蝕みます」
「あーわかったわかった。つまりもう大丈夫ということだろう?今からベル王国を攻めに行くぞ」
カムイは部下の活躍に興味を示す様子もなく、次の侵略の事を考えている。グレイとオリジンは理解が追いつかないといった様子だ。
「それはベル王国を奇襲するということですか?」
「当たり前だろう!そういえば貴様…」
「なりません!そんな狡猾な手段で国を乗っ取ろうだなんて、カムイ様がこれから作られる国の一生の恥となります」
「私も賛同出来ません。戦うなら堂々と宣戦布告すべきだと思われます」
カムイの言葉を遮って主張するグレイと、声は落ち着いていながらも、はっきりと反論するオリジン。
カムイの洗脳は効いているが、この2人は根本の自我が強くカムイの思い通りにはならないのだ。
「貴様らァ…戦いが終われば謹慎処分を下してやる!」
激怒するカムイ。それでも怯まない2人。その辺りで、一時的に魔力を吸われている上に激しい寒さに襲われているオリジンは意識が薄くなっていった。
ハンニボルが意識を取り戻すと、何故か彼は歩いていて、ベル王国の関所のすぐ近くに迫っていた。
記憶が混乱する。なぜここにいるのか分からない。しかし目の前にいる男がカムイという名前で、必ず服従しなくてはならない相手だということは真っ先に認識できた。
「これから敵国を強襲する。行ってこいお前ら」
「「「御意」」」
先頭を張っているオリジン、ギギル、そしてハンニボルは、王の指示に対し承諾の意を示す。
関所を抑えた勢いのままベル王城に流れ込むと、障壁を破ったことによる警報音がハンニボルの敏感な耳に鋭く響き始めた。
耳が割れそうになるほどの騒音の中、獣人の男がこちらへ突撃してくる。
「"絶対障壁"」
反射的に周囲の者達を守るハンニボル。
「"旋風爆発"!」
障壁の外の兵士は一瞬にして城の外まで吹っ飛ばされ、想像以上の強さに一同が驚く。
「"概念無効化《風》"」
絶対障壁が破られる事はないが、その異常な勢いを恐れたグレイが、罪悪感を抱きながらも技術を発動する。
こんな事になるなら、攻撃系の技術も習得しておけば良かったっと、ハンニボルは思った。
「"神吹聖剣"!」
スレインの猛攻は続く。その表情には怒りと戸惑い。
「なぜですハンニボル様!なぜ裏切ったのですか!」
ハンニボルの記憶では、この男との面識はない。しかし相手は自分の名前を知っていて、更に裏切り者扱いされている。ハンニボルには訳が分からないのだ。
神吹聖剣の威力は、障壁が無ければここにいる誰も対抗出来ない。
しかし、所詮は風魔法。概念ごと消してしまえば・・・・・・・・・・発動すら出来なくなる。
大地が揺れるほどのスレインの技術は、一瞬にして消え去った。
「旋風爆発!神吹聖剣!風の魔物!…なぜだ、なぜ発動しない…」
狼狽するスレインに、ギギルが容赦なく氷塊をぶつける。
魔法が使えないスレインは一方的に攻撃を受け続け、間もなく気絶した。
その後の流れは早かった。
ハンニボルの2人の弟バルカ・ルールは戦闘力がなく、ギスコ・ルールはハンニボルを見た瞬間攻撃の意思を見せなくなった。
さらに娘ファインは状況判断力がなく無力化は容易で、エカテリーナは気絶したスレインを使って脅すと降伏。
「あとは小国を潰すだけで大陸南部は完全に制圧出来る」
ベル王城の王座に足を組み座っているカムイはそう語る。
その前には、ハインリヒ領やベル王国の逸材が並んでいる。ただ一人、根強い正義感から完全な洗脳が出来ず、記憶を消されて一般人に降ろされたグレイ・フランを除いては。
カムイの語りは続く。
「大陸を再統一し、この世で一番の贅沢をする。それが俺の夢」
そして彼は立ち上がり、声高に宣言した。
「我が国を神聖シュライド王国と名付ける。俺が新たな支配者だ」
これで回想は終わりです。次からカムイ暗殺後の物語に移行していきます。




