騒がしい日常①
これは夢だ。
音もなく崩壊していく白と黒の世界。崩れていく足場とともに、オレは落ちていく。どこまでも、どこまでも。あとを追うように、上空から降り注ぐ白い立方体の数々は、形をかえ、現れたのはトラックの群れだ。逃げ場はない。どうする、どうする。あたりを見渡すが誰もいない。昨日までいたやつがいない。肉薄するトラックに対し、脚を思い切り蹴りあげる――。
「いでーっ!?」
激痛が爪先から全身へと電流のように駆け巡り、たまらずベッドから跳ね起きた。
足をさすりながら時計に目をやると、針は七時過ぎを指している。いつも起きる時間よりも三〇分は早く、夢見も良くなかったはずだが、気分は悪くない。カーテンの隙間からは健康的な朝日が差し込み、挨拶を交わすかのような鳥のさえずりが心地よい。
いつも通りの、いや、いつも以上に爽やかな朝だった。
ただし。
「……むにゃむにゃ」
こいつの存在に目をつぶれば、だ。
「夢じゃ、なかったんだよな」
たとえ目をつぶろうが、聞こえてくる地鳴りのようないびきは消し去ることができない。観念してゆっくりと目を開くと、布団に顔を突っ伏した少女が視界に飛び込んでくる。雲のような金髪を布団代わりに、夢の世界へと旅立っているようだ。
金剛レイム。
オレが彼女について知っていることはそう多くない。
ゴールデンゴーレムであり、物質系最強――以上。
もっとも、彼女が物質系最強かどうかはさておき、人間離れした硬度を持っていることは、疑いの余地がなかった。突っ込んできたトラックを吹っ飛ばし、屋上からの落下に耐え、さらには降り掛かるコンクリートの大群を粉砕する。
付け足すのであれば、寝惚けて彼女を蹴り飛ばしたであろうオレの爪先は、それこそコンクリートを蹴ったかのように鈍い痛みを放っている。折れてないよな、これ。
「おい、起きろ」
トントンと肩を叩くと、
「ふえ? ――あ、おはようございます、御影様」
目をこすり、オレの姿を視認するや否や、一輪の花のような笑顔を浮かべる少女。
気恥ずかしくなって、つい顔を逸らしてしまう。
「なにしてんだ」
「なにしてんだって……なにしてたんでしょう?」
少女は人差し指を形のいいあごに当て、こてりと首を傾げる。仕草こそ可憐ではあったが、残念ながら、その頰には布団の跡がつき、さらにはよだれが糸を引いていた。元をたどれば、オレの布団のうえには大きな水溜りができている。
「おまえ、これ」
疑惑の眼差しをうけ、なにを勘違いしたか、少女は顔を真っ赤にして反論する。
「ち、ちがいます! おねしょじゃありません! よだれ、よだれです!」
「いや、よだれだからセーフってわけじゃないぞ」
「え……?」
なにを思ったか、少女は顔を青ざめて距離を置く。
「それはつまり、おねしょだったらセーフだったってことですか……?」
「断じて違う」
なんでそうなる。
このままだとややこしくなる未来しか見えなかったので、早々に話を戻す。
「で、なにしてたんだ」
「あ、そうそう、そうでした」
ケロっとした様子で、手と手をあわせる。表情がころころ変わるやつだ。
「ご飯、朝ご飯です! 朝ご飯ができたので、起こしにきたんです! なにしてるんですか、早く起きてください、冷めちゃいますよ!」
「寝てたじゃねえか」
「えへへ、つい」
朝食か。
たしかに、どうりで三角巾をつけ、割烹着をかぶっているいるはずだ。
オレの視線に気づいたのか、少女はきら〜ん☆という効果音が聞こえてきそうなポーズをとる。具体的には、頭と腰に手をあて、身体をちょっとひねり、桜色の舌をぺろりと出す。
「お嫁さんっぽいですか?」
「旅館のおばちゃんって感じだ」
「旅館……?」
「もしくは、実家のばあちゃん」
「実家のおばあちゃん……?」
わなわなと震える少女を尻目に、オレはオレで、口から深いため息が漏れる。言うまでもなく、これから訪れるであろう未来に対して。
「朝ご飯、ね」
「なんでため息ですか!?」
「いや、ちょっと、な。……身支度してから降りる」
「はーい。二度寝はダメですよ」
「おまえが言うな、おまえが」
口のなかで「おばちゃん、おばちゃん……」とつぶやきながら部屋を出て行く少女。
その背を見ながら、心配は募るばかりだ。ハッキリ言って、不安しかなかった。こうなってくると、もはや問題は、どの程度オチているか、だ。
階段を下りながら、脳内でシミュレーションする。
問:
なんとなくポンコツ感が漂う少女が朝食を作りました。さて、結果は?
選択肢:
①消し炭と化したトーストと、ヘドロのようななにかが食卓に並んでいる。
②キッチンは科学の実験教室の様相を呈している。次の被験体は、オレだ。
③ありとあらゆる想像は無駄である。大人しく二度寝をするべきだ。
そして、一階に降り立ったオレは食卓に並べられたものを目にし、驚愕の声を漏らす。
「こ、これは」
正解:
そこには、綺麗な焼け目のトーストと、彩り鮮やかなサラダ、ちょうどいい半熟感の残るスクランブルエッグ、カリカリのベーコン、それに香り漂うコーヒーが並べられていた。
「いやオチてないのかよ!?」
「す、すいません!? なにか、ダメでした!?」
「……いや、すまん。いまのは無茶だった。忘れてくれ」
「は、はい……?」
椅子に腰をおろし、もう一度食卓を見渡す。角度をかえてみても変なところはまるでなく、むしろ、食欲を誘う香りが鼻腔をくすぐる。それに、トーストに添えられているのは、ブルーベリージャムだ。これもオレのルール通りなのだから、隙がない。
しかし、最後まで気を抜いてはいけない。味でオチている可能性もなくはないのだから。
「いただきます」
「ど、どうぞっ」
トーストを齧ると、軽やかな音が応える。スクランブルエッグはスプーンのうえで黄金に輝き、口に含むと、バターの香りが鼻を抜ける。コーヒーも、文句なしだ。
「お口に合いました?」
「……料理、得意なんだな」
少女は弾かれたように笑みを浮かべ、
「勿論です! お嫁さんですから!」
細い腕をグッと曲げ、ガッツポーズする。軍配は旅館のおばちゃんにあがったようだ。
「……と、言いたいところなんですが」
少女は視線を逸らし、照れるようにして言う。
「実のところ、料理はからきしで……。御影様のお父様と、たくさん練習をしたんです。曰く『こういうのは第一印象が大事』とのことだったので」
「……ったく」
結局、クソ親父の思うツボってことか。
「す、すいません」
「いや、謝る必要はまったくない」
「そ、そうですね」
しかし、少女はなおも、そわそわと落ち着かない様子だった。
「?」
「あー、えっと、その」
「ああ、悪い、オレだけ食ってて。つーか、おまえの分は?」
「いえ、わたしはその、つまみ食い――じゃなくて、味見を、たくさんしたので」
「ん、そうか」
別に、わざわざ嘘をついてまで遠慮はしないだろうと、再び箸を進める。口の端に卵ついてるし。しかし、少女はまた、オレの一挙手一投足すら見逃すまいと目を皿にする。
「えっと、落ち着かないんだけど」
「あ、はい、えへへ、すいません」
と言いつつ、さらにそわそわ。そわそわというか、チラチラ?
「……? ああ」
しばしの思案ののち、思い当たる。
「あー、その、なんだ」
わずかな葛藤を、コーヒーの残りで流し込み、言う。
「美味いよ」
カップにコーヒーが残っていなくてよかった。表面に反射する自分の表情を見るのは、小っ恥ずかしかったから。
「……はい!」
少女の満面の笑みは、それだけで、部屋が明るくなったかのようだった。
もしかすると、部屋だけでなく、オレの気持ちも。
ここまで含めて、親父の手のひらのうえなのだろうか。
ちくしょうめ。
しかし、不思議と嫌な気分も、しなかった。
「騒がしい日常②」は本日4/11土20時更新予定です。(いけるか……?)